1962年10月16日、ソ連が密かに核ミサイルをキューバに設置していることを発見したアメリカ大統領ケネディは、ソ連首相フルシチョフにミサイルの撤去を迫り、拒否された。この日からフルシチョフがミサイル撤去の決断を下すまでの13日間ほどに、人類が核兵器による全面戦争に近づいたことはない。キューバ危機で核ミサイルが攻撃に用いられることはなかったが、実はこの危機の最中に核ミサイルは4発も爆発していた。その事実が世間に知られることがなかったのは、この爆発が宇宙空間で行われていたからだ。
4発中2発はアメリカによって、残りの2発はソ連によって行われた実験だった。わざわざ宇宙空間で核爆発させたのは、クリストフィロス効果を研究するため。1957年にソ連が打ち上げた人工衛星によるスプートニク・ショック以来、アメリカはソ連のICBM(大陸間弾道ミサイル)から自国を守る方法を探し続けていた。そして、無名の科学者であるニコラス・クリストフィロスが考案した「大気圏のすぐ上の地球の磁場にある高エネルギー電子をとらえ、それによって生成されるアストロドームのような防御シールド」を作るというアイディアに行き着いた。クリストフィロス効果とは、電離層での数千発にも及ぶ核兵器の炸裂によるベータ粒子を地球の磁場に注入し、そこを通過しようとする物体に障害を引き起こすというものだった。
宇宙空間での核爆発というあまりに危険で、莫大な費用を要するクリストフィロス効果はSFの世界のアイディアのようにも思える。しかし、このアイディアは高名な科学者によって真剣に議論され、アイゼンハワー大統領のゴーサインを得た後、1958年に初めての実験が行われた。最初の実験では予想よりも弱く、短時間の効果しか確認されなかったものの、キューバ危機にいたるまでその検証は続けられていたのである。そして、この実験を主導していたのが本書の主役である国防総省内のARPA(高等研究計画局)なのだ。
「国防のために研究開発されるアメリカ最先端の軍事プロジェクトを管理する」ARPAは、ソ連の脅威に対抗するために誕生した。第二次大戦での原爆およびその後の水爆の凄まじさを目の当たりにして、科学の力がもたらした熱核兵器の威力を痛感していたアメリカは、世界最強の軍事大国であり続けるためには科学を前進させることが不可欠だと理解していたのである。ARPAはその創設以来、次々と革新的な技術を生み出しながら、アメリカ軍の頭脳的役割を果たし続けた。ベトナム戦争では枯葉剤に代表される化学兵器の開発を指揮し、ベトナム民衆の心をつかむために社会科学研究プログラムまでも実施していた。
アメリカ軍のベトナム撤退以降、ARPAには国防という言葉が加えられ、現在に至るDARPA(国防高等研究計画局)と呼ばれるようになった。年間予算が30億ドルにもなるこの組織は、アメリカのその他の軍事研究機関とは大きく異なる。なぜ、DARPAが現在のような組織となったのか、どのように運営され何を生み出してきたのか、本書では膨大な資料調査と関係者へのインタビューをもとに丁寧に描き出されていく。600ページ近くに及ぶボリュームであるが、次々と驚きの事実が明らかにされていくため、興奮とともに読み通すことができる。アメリカ軍事史として、革新を生み出すための組織論として、また科学技術の進化史としても楽しめる多面的な要素を持つ一冊である。
ベトナム戦争時のARPA局長であったエーベルハルト・レクティンは、この組織を「まだ存在しない需要」を満たすためのものだと表現した。既存の技術に基づいた明確な需要は、DARPAの研究対象外なのである。DARPAの使命は想像力を最大限に活用し、まだ見ぬ恐怖に対するニーズを先取りすること。そのためには、どれだけ大きく、かつ実現性のあるアイデアを思い描けるかが成功の鍵となる。事実、ペンタゴンは9・11以降の対テロ戦争の頃からSF作家にアイデアを求めるようになったという。特に、「国益にかなうサイエンス・フィクション」をモットーとするSIGMAグループはペンタゴンとホワイトハウスにコンサルティングを行っている。
SF作家にアイデアを求めているとはいえ、DARPAが取り組んでいるのは夢物語ではない。インターネットやGPSという現代の生活には不可欠なものから戦場の最先端で活躍するドローンや生物兵器まで、DARPAがその誕生に関わった技術は、実際に世界を大きく変えてきたのだ。今後もこの組織が生み出すものの影響を無視することはできないが、軍事の最先端を扱うDARPAの全容を知ることは難しい。著者も本書で述べるように、既に公開されている技術や情報は全て過去の遺産であり、この組織がいま何に取り組み、これから何を生み出すかは謎のベールに包まれたままだ。
著者の入手した情報からは、今後のこの組織の力点がロボット、人工知能、そして人間の脳にあることが読み取れる。SF的想像力を原動力にテクノロジーを更新し続けてきたDARPAは、映画のようにロボットが人間に反乱する未来まで現実のものとしてしまい、物理学者スティーブン・ホーキングが警告するように人工知能の追求を「人類史上最大にして最後の過ち」とするのだろうか。
著者がインタビューで述べるように、スプートニクショック以降の60年間、アメリカはDARPAのおかげで国家として他国からの科学的サプライズに晒されたことはない。今後もDARPAはアメリカをサプライズから守り続けることができるだろうか。とどまることを知らない想像力は、人類に不吉なサプライズをもたらすだろうか。DARPAの歴史は、人類の想像力の無限の可能性と、恐ろしさを教えてくれる。
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