HONZが送り出す期待の新メンバー第5弾! 秋元 由紀は米国弁護士の資格を保持しており、長らくミャンマー(ビルマ)における開発問題や環境問題などに従事した経験を持つ一方で、極度のヒマラヤ登山史マニアでもある人物。先日HONZに訳者解説を掲載した『沈黙の山嶺 第一次大戦とマロリーのエヴェレスト』や『ビルマの独裁者タンシュエ』、『ビルマ・ハイウェイ』などの翻訳も手掛けている。今後の彼女の活躍にどうぞご期待ください。(HONZ編集部)
先月、アメリカの元陸上選手でオリンピック金メダリストのケイトリン・ジェンナー(旧名ブルース・ジェンナー)がトランスジェンダーの女性であることをカミングアウトしたのが話題になった。白いドレスをまとったジェンナーの女性としての姿が月刊誌の表紙を飾った数週間後、今度はアメリカの最高裁判所が、同性間の結婚を禁止する州法は違憲であるとする判断を下し、日本のメディアでも大きく取り上げられた。なんとなく性やジェンダーのことが頭にあったそんなときに手に取ったのが本書である。
前述の米最高裁判決が日本で大きく報じられたことにも表れているとおり、現代の日本では、性のとらえかたひとつにしても欧米の判断基準というフィルターを外して見てみるのが意外に難しい。その点で本書は、近現代中国についてそうしたフィルターを使わないように努め、西洋の判断基準が入ってくる前から中国で男や女、家族、同性間愛といったことがどう認識されていたか、そしてその認識が近代化やグローバル化によってどう変化していったか、あるいは変化しなかったか、ありのままを論じる。
たとえば同性間愛の認識の変化を見てみよう。中国では18世紀前半に男性間の同性愛行為が非合法化されたものの、明清時代には男性間同性愛は「ありふれたものだった」し、今日ホモフォビア(同性愛嫌悪)と呼ばれるような現象はほとんどなかったという。女性間の性行為は取り締りの対象にもならず、詩や歌、散文作品などに描写されている。さらに、19世紀末に西洋由来の同性関係批判が導入されても、すぐに広く受け入れられたわけではなかった。
帯に「西洋的概念では捉えきれない、性の視点から中国近現代史を見渡す」とあるとおり、本書は西洋の尺度に対してどのくらい進んでいる、遅れている、という見かたをせずに中国での性のありようを描き出す。同時にその考察を通じて、読者が日本での性のとらえかたを独自の視点に近いところから見直すことも助けてくれる。
本書は三部から構成される。第一部は、家族のありかたに国家や制度がどう関与してきたかに注目し、女性隔離や女性の人身売買などを取り上げる。第二部は人の身体に焦点を定め、性欲のとらえかたや、纏足など「装飾され、変形された身体」が持つ意味、女性の自殺、女児殺しなどについて述べる。第三部は「他者」への見かたという切り口から、同性関係や、小説や演劇のテーマの変遷、異文化との遭遇などを考察する。
「女性隔離」のたどる経緯が興味深い。古くから父系制家族が社会秩序の基礎であった中国では、男は家の外で仕事をし、女は家から出ないものとされ、女の子どもは年頃になれば親が決めた男に嫁ぐ身であることを教えこまれていたのが(婚礼前に婚約者が死ぬと、あとを追って自殺する娘もいた!)、20世紀に入ると女性が外に出るようになり、男であること、女であることの意味がさまざまな分野で変化していった。しかし夫と妻のありかたを含む家族制度はほとんど変わらず、1990年代には女性が「家庭に戻る」のを促す動きさえ出てきた。
そんなことを知ると、単純な比較は禁物とはいえ、日本のことも連想せずにはいられない。男女ともに家の外で仕事をしてお金を稼いで自分の生活を支えることが当然とされる一方で、誰でも理想の相手を見つけて結婚するのを望むものだという観念が根強く残り、結婚後の女性がしばしば「嫁」としてのはたらきを求められる。女性の「社会進出」が進んだという感覚があるのとは裏腹に、女性の間で「専業主婦」願望は復活しつつあるのだ。
もともとテキストとして刊行された本書は、中国ジェンダー史や関連分野を学び、研究する人にとって非常に充実していることはまちがいないが、背景知識を持たない私にも楽しく読むことができた。性や身体、異性関係や同性関係にまつわる中国の物語や逸話が随所で紹介され、絵やアート作品の写真などの掲載も多く、記述と合わせて想像をかき立てられる。また、纏足、辮髪、一人っ子政策、宦官など、用語としてしか知らないようなことがらが文脈の中で丁寧に説明されている。
女として、男として、などとあらためて考えるまでもなく、私たちにはジェンダーの視点がしっかりと備わっていて、普段からそれに基づいてさまざまな選択をしている。どんな服を着るか、どんな言葉遣いをするのか、何かを買うとき、どんな色や形を選ぶのか――無意識にすることも多いそんな選択のどこからが本当の自分の意思で、どこまでが社会や制度によって規定されたありかたなのか? その「かっこいい」「かわいい」は誰にとってのことなのか? 本書はそんなことに意識を向けてみるきっかけにもなるだろう。
いつの時代も人は、自分のありかたについて家族や社会からの期待や圧力と国の制度がぶつかり合い、もつれ合うところに生きているのだろう。そこに個人の志向が加わっていろいろなドラマが出現する。本書はそんな流れの中にいる自分の立ち位置を俯瞰する手がかりにもなる。