この本の編者ジョン・ブロックマンは、科学サロンであるEdge.orgの主宰者であり、そのサイト上で毎年1つの質問を知のトップランナーたちに投げかけている。本書は、2012年の質問に対する149人分の回答をまとめたものだ。
あなたのお気に入りの、深遠で、エレガントで、美しい説明は何ですか?
スティーブン・ピンカーが考えたこの質問に対する回答は、物理学、生物学や数学などの自然科学分野はもちろん、言語、人間科学やアート等の分野からも寄せられている。あらゆる角度から繰り出される回答の中から世界の広さ、知の可能性を思い知り、脳がしびれるような刺激を受けるはずだ。
回答者の豪華さには目がくらむ。『利己的な遺伝子』のリチャード・ドーキンス、『ブラック・スワン 』のナシーム・ニコラス・タレブ、『銃・病原菌・鉄 』のジャレド・ダイアモンドなど、回答者の名だけでワクワクしてくる。自らの手で世界を変えてしまうような独創的アイディアを生み出してきた彼らが選ぶ、お気に入りの説明がつまらないはずがない。それぞれの回答は1~5ページ程度なので、気になる回答者部分だけつまみ読みしても楽しめるが、149の回答は分野毎に緩やかにまとめてられているので、順に読み進めるとそれぞれの回答がより有機的に繋がって感じられるはずだ。
回答の中で最も言及されているのは、やはりダーウィンの進化論。誰か他の人が必ずダーウィンを挙げるからと、あえて進化論以外を回答としている者もいる。進化論の影響はあまりに強力であらゆる分野に浸透しているため、もはや自然淘汰という概念のない世の中を想像できないということを再認識させられる。ドーキンスは「なるべく少ない仮定のもとで多くのことを説明する」エレガントさという点で、自然淘汰の理論が「圧勝」だという。
回答内容そのものだけでなく、質問への向き合い方にも強烈な個性がにじみ出ている。自身の研究分野で最も重要だと思われる説明を真正面から掘り下げる者、そもそも美しさとは何かから定義を始める者、散文詩をもって回答とする者など、1つの質問でよくこれほどまでに様々な考え方ができるものだ。さながら、インテリたちの真剣な大喜利をみているよう。
プリンストン大教授のポール・スタインハートは、エレガンスに潜む危うさを指摘する。彼は学生時代に数学者ヘルマン・ワイルが『シンメトリー 』で提示した対称性の理論を、真にエレガンスであると感じたという。原子論すら確立されていない19世紀に、物質の結晶構造を純粋数学の力で突き止めたワイルの理論は、若きスタインハートにとって”エレガンス”そのものだった。しかし、1984年に大きなブレークスルーが訪れる。ワイルの理論では「禁じ手」であると考えられた構造を持つ、奇妙な人工合金が発見されたのだ。『シンメトリー 』で描写されていたのは、完璧からは程遠く、自然の真の姿を無視したものだったのである。この体験を振り返り、スタインハートは以下のように結んでいる。
理論を評価するために、エレガンスと単純さはしばしば有用な基準ではある。が、ときとして、私たちが実際のところ大間違いをしているにもかかわらず、正しいのだと勘違いさせてしまうこともあるのだ。
ハーバード大教授のディミター・D・サセロフは、流体の流れと一緒に動いて伸び縮みするラグランジュ座標に魅了された。初めてその意味を理解した時には「天にも昇る心地だった」という。サセロフの回答の中でこの理論がどのようなものであるかは概説されているが、2ページ少々でその全てを理解できるはずもなく、天にも昇る快感を得ることは難しい。それでも、彼の興奮は十分に伝わってくるし、もっと深く理解したい、その美しさを自分も味わいたいと思わせてくれる。
トップランナーたちの回答には知らないこと、理解の及ばないことも多い。しかし、そのような回答にこそ、より強く惹かれる。もっと知りたい、もっと美しさに触れたい、という意欲が沸き立ってくるのだ。これほど多岐にわたる素晴らしい回答を引き出した本書の質問が「深遠で、エレガントで、美しい」ものであることは間違いない。
本書は優れたブックガイドとしての一面も持つ。面白い回答をした者の著書を読むも良し、紹介された美しい理論の本を読むも良し。本書で刺激された知識欲を、年末年始の読書で爆発させて欲しい。ここからは、『149人の…』に登場する回答者の著書、回答に関連する本を紹介する。
進化の世界を競争的かつ相対的なものとして考える「赤の女王仮説」をベースに、生物の進化を振り返ることで、人間の本性に迫ろうという意欲的な一冊。「赤の女王」の視点に経てば、一見理不尽にも感じられる男女の違いの真の理由が見えてくる(私のレビュー)。リドレーは、DNAによる情報伝達(セントラルドグマ)を美しい説明として紹介している。
『利己的な遺伝子』だけでなく刺激的な著書を生み出し続けるドーキンス。彼自身がその半生を振り返った自伝である。イギリスのアッパークラスの生活を、平易な文章で楽しく垣間見ることもできる( 出口会長のレビュー)。ドーキンスは、美しい説明として、ホーレス・バーロウ(チャールズ・ダーウィンのひ孫)による冗長性の削減とパターン認識に関する理論をあげている。
現代の生活に欠かすことなど想像すら難しい、コンピュータ。そのコンピュータが、アラン・チューリング、フォン・ノイマンらの頭脳によってどのように生み出されたのかを明らかにしていく(内藤順のレビュー)。ダイソンは宇宙の境界条件に関する理論を美しい説明としている。
『脳のなかの幽霊』で知られ、幻肢痛の概念と治療法を確立したラマチャンドランが「自己とは何か」という壮大なテーマに挑む一冊(高村和久によるレビュー)。ラマチャンドランの美しい説明は、やはり意識・自己意識に関連したものだ。
住む場所やパートナー、そして職業。自分の意識で選択したと思っている事柄は、実は意識以外がその決定に大きな役割を果たしているという。ある種の状況において、意識はまるで傍観者のように振る舞うのだ。意識が本当に果たしている役割について迫っていく一冊(私のレビュー)。 イーグマンの美しい説明は、複雑で謎に満ちた脳を理解するための理論である。
マウンテンゴリラになりたい、という少年時代の夢をを忘れることなくサポルスキーはヒヒの研究者となった。『サルなりに思い出す事など』は1978年から20年以上にわたって東アフリカでサポルスキーがヒヒを研究した成果をまとめたもの。アフリカの地で1人ヒヒの群れと格闘するサポルスキーには多くの困難が襲いかかるが、持ち前のユーモアと生命力で、なんとか研究を進めていく。ヒヒの知られざる習性や集団行動の真理を、最高に楽しい文章で知ることができる(私のレビュー)。サポルスキーは、個々には知能を持っていないように思われるものも、集団となると創発性や複雑性を発揮する「群知能」を美しい説明として選択している。
目には見えないが、世界はウイルスに満ち満ちている。この本には、ウイルスをテーマにした様々なエッセイが収められている。成毛眞のレビューはこちら。ジンマーは、ケルヴィン卿の今では誤りであることが明らかになっている「地球ができてから、たった1000万年しか経っていない」という説明を、美しいものとして紹介している。2014年に世界を騒がせたエボラウイルスの恐ろしさと真の姿をしるためには『ホット・ゾーン 』がオススメ(私のレビュー)。
人類誕生から6百万年以上が経過している。この長い時間の中で、直近の1万年間で人間が大きく進化したというのが著者の主張である。1万年前に開始された農耕は人類をどのように変化させたのかを明らかにしていく。コクランは、感染症の細菌起源論にまつわる考え方を美しい説明として紹介している。
仲野徹は『149人の…』の回答者ではない。しかし、回答者の1人、生物人類学者のヘレン・フィッシャーは、「エピジェネティクスこそが、ダーウィンが自然淘汰と性淘汰の理論を提出して以来、社会科学と生物学の間に生じた、もっとも記念碑的な説明である」と述べている。エピジェネティクスとは何か、私たちの世界にどのような影響を与えるのかを知るためには、この『エピジェネティクス』が最適だ(塩田春香のレビュー。私のレビュー)。
本書に回答を寄せているのはアイ・ウェイウェイ自身ではなく、共著者のハンス・ウルリッヒ・オブリストである。『アイ・ウェイウェイは語る』では、中国共産党から睨まれているアイ・ウェイウェイの思想の核にあるものをオブリストが引き出していく(新井文月のレビュー)。自然科学の理論が多い回答の中で、オブリストの回答は異彩を放っている。
本書に回答を寄せているのは、エド・キャットムルと共同でピクサーを創業したアルヴィー・レイ・スミスである。『ピクサー流想像するちから』では、ピクサーがどのように誕生し、どのように名作のみを生み出し続ける組織を作ったのかの秘訣が明らかにされている(私のレビュー)。スミスの紹介する美しい説明は、コンピュータアニメが滑らかに動かすための理論である。
人間の行動を支配する知られざるルール、パターンが実は存在する。データをつぶさに分析していくことで、著者はそのルールを明らかにしていく。中世時代の十字軍のエピソードを織り交ぜるユニークな構成で、本書のストーリーは進んでいく(内藤順のレビュー)。ウェアラブルセンサーを装着した人のデータを蓄積し、人の行動を定量的に明らかにした本では『データの見えざる手』がオススメ(仲野徹のレビュー。編集者のワンコイン広告)。バラバシは意外にも、料理にまつわる理論を美しい説明としてあげている。もちろん、その説明を支えるデータもある。
記憶とは、なんとも曖昧なものである。しかしながら、鮮明に脳裏に焼き付いている記憶もある。記憶はビデオテープのように鮮明でも、再生可能でもないという。本書を読むと、自分の過去がぐらぐらと揺らぐような感じを覚えるかもしれないが、記憶の本質に近づくことができる(私のレビュー)。サバーは、記憶とは全く異なる分野、自然の核分裂についての理論を美しい説明としている。