編集者という仕事柄、様々な文筆家の方とお仕事をさせていただく機会があるのですが、いつも気になっていることがあります。それは彼らが目一杯頑張ったとして、1日のうちどれくらいの時間を、原稿執筆に割くことが出来るのかということです。あるいはそれが、洗い物や料理といった別の作業なら、どれくらいの時間を割くことが出来るのでしょうか。
本書の著者である矢野和男さんの研究チームは、2006年、日立製作所中央研究所でウエアラブルセンサを開発しました。24時間365日、腕の動きの加速度を毎秒20回記録するリストバンド型のセンサです。非常に高感度で、ちょっとした動きでさえ逃すことはないとのこと。
このウエアラブルセンサから得られたビッグデータは、意外にも、私たちの日常の関心事である「時間の使い方」に重要なヒントを与えてくれるものでした。
上のグラフは4人の方の1年間のデータを表したものです。横軸が1日24時間、縦軸は1年間の日付の推移を表します。赤っぽい色ほど運動が比較的激しい(1分間あたりの腕の動きの回数が多い)ことを表し、青っぽい色ほど運動が穏やかなことを表しています。真っ青なところは、寝ているということですね。縦方向に走る3つの赤いオビは、出勤・昼休み・退勤時の身体の動きです。櫛状に凸凹しているのは週末に「寝だめ」しているから。人ごとに日次・週次の規則性に相当違いがあるのが分かりますね。
でも、1日ごとに、毎分の腕の動きの回数が多いところや、少ないところをカウント・集計していくと、実はどの人も同じ法則に従っていることを、矢野さんは発見しました。たとえば60回/分以上の頻度で腕を動かす活動は、起きている時間の半分程度、120回/分以上の活動は、さらに減って4分の1程度で、どの実験データを取っても例外はなかったのです。
同様に、40~50回/分といった特定の幅において動作が出来る時間の合計も、1日の中で決まっており、それ以上の時間を割くことは決して出来ないのです。矢野さんはこれまでに延べ100万人日以上のデータを取ってきましたが、どの人の、どの日もこの法則に従っていたそうです。
さて、人が原稿を書く時には、腕の動きは決まった範囲の運動量に収まります。人によって違いはありますが、だいたい50~70回/分の範囲です。これより激しかったり、穏やかだったりしたら、おそらく原稿は進まないでしょう(サボっているか、集中できてない状態)。
そして先の観測データからは、執筆活動の限界を算定する数式も発見されており、それを使って計算すると、1日の活動時間のうち約29%が原稿執筆に割ける時間の限界値(※50~70回/分の活動とみなした場合)であることが分かったのです!
これは世の文筆家にとって、朗報なのか、悲報なのか……。そして今後、原稿がなかなか進まない「言い訳」としてこのビッグデータから得られた知見が使われたりしたら、私たち編集者はその科学的事実の前に沈黙せざるを得なくなるかも……。
それはともかく、私たちは、毎日To Doリストをつくって仕事を始め、1日の終わりに、「あれが出来なかった」と反省していますが、矢野さんが発見した「法則」から考えれば、そもそも最初から無理な計画を立てていたのかも知れません。法則性を知ってTo Doリストをつくれば、もっと仕事は改善されることでしょう。
矢野さんのチームは、ウエアラブルデバイスを使って人間の活動の様々な側面を測定し、それらとアンケート調査の結果や、売り上げや利益などの指標を組み合わせることで、常識を覆すような科学的発見、驚くような企業業績の向上をしてきました。本書からその一部を列挙してみましょう。
・人と人とが再会する確率は、「会わないでいた時間」に反比例する
・人がある活動をやめて別の活動に遷移する確率は、「その活動の継続時間」に反比例する
・職場の生産性は会話時の身体活動の活発さに左右される
・職場に「知り合いの知り合い」が増えると、開発遅延が減る
・人間の幸福感は身体運動の多さに現れるので、センサで計測可能。また、従業員の幸福感が高まると生産性は向上する
「いったい何を言ってるんだ?」と思われるかも知れません。でも、これらがどれも本当のことであると大量のデータが示しているのです。
本書は、本当の意味でビッグデータの本です。「ビッグデータがあれば、こんなことができるかも知れないという将来の夢を語る本」ではなく、「ビッグデータにより既に得られた知見をまとめた本」なんです。そして、その新発見はどれも、これまでの常識を覆すもの。読んでおくとあなたの生活が大きく変わるかもしれない情報が、盛りだくさんです!
1998年より草思社に勤務、主にポピュラーサイエンス書とクルマ関係書を担当。主な担当書籍は『異端の統計学 ベイズ』『宇宙を織りなすもの』『機械より人間らしくなれるか?』『雲のカタログ』など。
*「編集者の自腹ワンコイン広告」は各版元の編集者が自腹で500円を払って、自分が担当した本を紹介する「広告」コーナーです。HONZメールマガジンにて先行配信しています。