アール・ラヴレイスの小説『ドラゴンは踊れない』の訳者として、この本の著者のことを知った。
私もかつて滞在したトリニダード・トバゴの熱気と匂い、粘りながら躍動するその言葉と生活のリズムが行間から生々しく立ち上ってくるのは、ラブレイズの才能のみならず、その訳によるところも大きいことは、すぐに解った。
皿の上で湯気を立てた「小さな雲」のようなイディリから本書は始まる。イディリはウーラッド豆と米を吸水させて粗いペースト状にし、さらに発酵させてから蒸し上げた、南インドの「蒸しパン」のような食べ物だ。そのイディリから、6年前に死んだ南インド・マイソール生まれの小説家ラージャ・ラオの話題へと移り、18世紀にロケット砲部隊を組織し、イギリスとの戦いに明け暮れたティプー・スルタンに触れたかと思うと、さらに当地の公用語、カンタナ語の最古の散文、シヴァコティアチャルヤに言及したところで、再び、ほかほかのイディリをサンバル、あるいはココナツ味、トマト味、ミント味のチャトニにつけて食べる描写へと戻る。
著者は詩人で、大学教授で、翻訳家で、エッセイも書く。とびきりの知性の持ち主なのだろうが、その知性を、「食いしん坊」っぷりが上回ってしまっているところが実によい。
作家ジーン・リースの足跡を追ってドミニカ国に行けば、町をタクシーで走るだけで、
「ココナツの匂いがする!」
「マンゴーの匂いがする!」
「パッションフルーツの匂いがする!」
とはしゃぐ。そしてカシュー(殻入りのカシューナッツがピーマンの上に載ったような形をしている。知らない人は結構驚く形状だ)、コーヒーの果肉、ココナツ、レモン、オレンジ、ライム、サワーソップ、バナナ、グァバ、カカオの実などを次々に味見。「アーモンド、落ちてる。生でもうまい」という簡素な記述を読むと、ああ、この人は、落ちているアーモンドを拾って生で食べたんだなぁ、と微笑ましくなると同時に、大いに共感する(私も同じことをしたことがあるからだ)。
そのジーン・リースに関しても、彼女の小説にでてきた「塩魚ケーキ」とは何かを聞きまくり、干し鱈を香辛料や香味野菜、小麦粉などと合わせて揚げた「アクラ」という食べ物だと突き止めると、そのレシピまで記す。さらに、“鱈つながり”で、鱈と里芋を合わせた「棒鱈」的料理の普遍性を語るのだ(私もホンジュラスとニカラグアの国境付近のジャングルで、カリブ族と逃亡したアフリカ奴隷を祖先とするガリフナのおばちゃんに、ココナツ風味の棒鱈を食べさせてもらったことがあるが、当地で食べたもっとも美味しい料理のひとつであった)。ちなみに著者によれば、HONZ読者なら読んだことがある人も多いであろう『鱈 世界を変えた魚の歴史』の日本語訳版は抄訳で、面白ところがだいぶ削られてしまっているそうだ。
読むほどに、著者の食いしん坊っぷりは顕わになる。ひとしきりフランス料理に対する悪口を並べ立てたあと、別にフランス料理は嫌いではないと書き、「うまければ何でもいただきます」の一言で締めくくるかと思えば、アボリジニの食べる芋虫・ウィティティグラブ(なんと100ℊ当たり390~406キロカロリーで霜降り和牛肉や豚バラ肉とさして変わらない、高カロリー食だ)やボゴン・モスというガの腹部(こちらは100g当たり430キロカロリー)の味わいに思いを馳せる。少し前にネットでも話題となった、パプア・ニューギニアの住民が、白人より日本人が美味と語ったという話に興味を持てば、原典にあたって、しっかりそのソース(食べるソースではない)まで調べたあげく、日本では人食いは極限状態での倫理の問題や変態性欲の問題として考えられ、食べ物としてどうかという議論がありえない、と指摘するのも、食いしん坊的視点だろう。もちろん食いしん坊が過ぎて、美味と言われる日本人を食べたくなったわけじゃない(と思いたい)が、劣化ウラン弾をほうぼうに落とすより、敵の大将を丁寧に膾(なます)や蒸し焼きにして食べるほうがよほどましな気もする、という意見には頷きたくなる。
尚、著者の名誉のために書いておくが、実はその食欲は繊細でもある。北海道で育った著者が、子どものころ、つららを食べようとした下りでは、あの『雪は天からの手紙』の中野宇吉郎博士に触れ、ドミニカからイギリスに移り住み、最後までイギリスに馴染めなかったジーン・リースの「雪だけには裏切られなかった。降るたびに食べてみた」という美しい言葉が引用される。
著者は本書でたびたび食べ物の匂いについて描写しているが、同時に、日本古来の「におふ」という語が、美しい色彩に照り輝くこと、威光やオーラを放つこと、赤く色づくこと、色の濃淡の重なりやぼかし具合などを捉えた言葉であったと指摘する。著者は、匂いという言葉を使いつつ、嗅覚だけでなく、五感、あるいはそれ以上の感覚で、食べ物を受け止めようとしているのだろう。
食べ物を味わうということは、五感を駆使し、想像力をふくらませることだと、この軽妙なエッセイは教えてくれる。真摯に「食いしん坊」であれば、思想や論理を超え、自然が生み出したものとリアルに繋がったまま、偏狭な自分の世界を打ち破って、食べ物が内包する歴史と文化、人間の知恵と営み、そして大地に根ざした深遠な物語に至ることができるのだ。
著者の編著。ディアスポラ・アフリカという言葉が気に入りました。
本書で触れられていた一冊。面白そう!
ジーン・リースと言えば、コレ!
本書でも触れられていたパンの木の移植とバウンティ号の話は実に面白い
チャトウィンについても触れられていました。