うんと幼い頃、ロバのパン屋さんという行商があった。記憶は遠く、かすかに覚えているのはロバの瞳だ。大きな目の中の全部が黒くてまつ毛が長かった。考えてみれば、自分の生活圏の中で働く動物を見たのはあれが最初のことだし、犬以外の動物では最後だったのではないか。
会社を辞め海外を一人旅していた著者は、モロッコで使役されるロバの姿を見た。あいつに荷物を載せて旅をしてみよう。きっとどこまでも歩いていける。そうやって最初の旅は始まり、終わりをつげ、帰国し再就職した。
だがもう一度ロバと旅をしたいと気持ちを抑えきれない。その欲求に素直に従い、まずはイランへ飛ぶ。2022年2月25日のことだった。
最初に買ったロバは数日で死んでしまう。老齢だったのか病気なのか理由はわからない。ただ自分の扱いが悪かったのだと反省する。ある意味、本当のこの旅のはじまりはここからだったのだと思う。若く食いしん坊のメスのロバを新たな相棒に、旅は続く。地元では嫌われ者のアフガニスタン人に間違われると敵視されるが、日本人だと知れると親切すぎるイラン人。ありがたいけど辟易する姿がロバの困った顔に重なる。だが結局は「ロバと旅することは違反である」と別れさせられ、著者はこの国を去る。
次に向かったのはトルコ。ここで出会ったのが元気な精力漲るオスのロバで名前を「ソロツベ」と名付ける。しょちゅう警察官に尋問されるが切り抜け、出会った人とチャイを楽しみ、ソロツベの男の悲しみに共感しながら旅を続ける。
私が彼の旅をツイッターで知ったのはこのころだ。なんだか楽しそう、と追いかけ始めた。何よりソロツベが可愛かった。出会う人たちとのエピソードが若い頃に『深夜特急』を楽しんで読んでいた時のようだったし。事実、本書で著者が沢木耕太郎さんのこの本を熟読していたことを知る。
トルコはほとんどの人が親切だが、襲われる場面は恐ろしい。金銭だけでなく身体を狙われるのは女性ばかりではない。逃げろ逃げろと呟きつつ読み進める。
そして最後はモロッコだ。一度は旅をした場所だが、ここで出会ったメスのスーコがいい奴だった。けもの道のようなところを一人と一頭はポコポコと歩く。ところどころに挿入されている写真をみると、スーコはとても美人なのだ。警察の監視が付くのは、ロバと旅をしてれば不審に思われるのは当然だろうと思う。SNSで彼らの旅を見ていると、羨ましいなあとため息が出る。ロバと相棒になって、日常をすごしていくことは、すでにイランでもトルコでもモロッコでも、普通のことではなくなってきている。
帰国した著者は、いま日本国内をロバの「クサツネ」と旅を続けている。朝おきてパソコンを立ち上げて最初に見るのは「太郎丸」のX(ツイッター)だ。いまは鍵アカウントになっているが「太郎丸」で検索できる。現在フォロアーはもうすぐ11万人。どこかでクサツネとめぐりあいたいものだ。
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ロバとの旅といえば、この本を思い出す。こちらは徐々に仲間が増えていきブレーメンの音楽隊みたいになっていく。私のレビューを読んでみてください。https://honz.jp/articles/-/44790