小さい頃は、将来当たり前に結婚して、当たり前に子どもを産んで、当たり前に家族と幸せに生きていくものだと思っていた。でも、生まれ育った家族が「解散」したのをきっかけに外の世界を見渡してみたら、実はそうした「当たり前」のほうがマイノリティなのかもしれないと気づいた。じゃあ本当に私が選びたい道って……? 無意識に頭のなかに染み込んでいた像を取り払って考え直すうち、私は「産まない人生を歩みたい」と思うようになった。理由ははっきりと言葉に表すことはできない。でも「産みたい」と言う人に「なぜそう思うの?」とわざわざ深掘りして聞かないのだから、「産みたくない」気持ちにも理由を求めないでほしいと思う。
とはいえ、この思いを大っぴらに口にするのは憚られてきた(特に男性に対して)。でもその「言いにくさ」の正体が何なのかもうまく捉えられずにいた。今回出会った『父ではありませんが 第三者として考える』は、まさにそのぼんやりとした「言いにくさ」に多様な角度から輪郭を描いてくれるような一冊だ。
著者は結婚して10年以上経つ男性。ずっと妻と二人だけで暮らしている。つまり「父ではない」。その著者が「女性に向けては、子どもがいない、子どもを産めなかった、子どもを失った経験などが書かれているものがいくつもある」のに、「男性に向けては『ある』『いる』という状態」から書かれたものしかないことに疑問を感じ、「父親ではない当事者」の視点から子どもや親、家族といった存在の周縁にある社会を紐解いていく。
様々なエピソードと考察が詰まった一冊だが、その視点を大別すると2つ。「父ではないからこそ経験すること」と「(親でない人には分からないと言われやすい事柄だが)親でなくても気づけること」だ。
親ではないからこそ味わうもの
前者は分かりやすいところでいえば、「子どもを持たないの?」「孫の顔が早く見たい」といった周囲からの詮索やプレッシャーであったり、年末年始に溢れる「普通の家族っていいよねモード」への抵抗感などだ。あるいは国の少子化対策の議論において、「環境さえ整えばみんな子どもを産んで育てたいと思っている」という前提で語られることへの違和感も綴られている。
そして個人的に“書いてくれてありがとう”の思いが特に溢れたのは、「子どもは自分の命よりも大切だと想える存在」「子どもを育てると人間的に成長する」「子どもを持つと将来の世界に不安や期待が高まる」といった、よく語られやすい言説への考察だ。そうした言葉には口には出さずとも「子どもがいないあなたにはわからないと思うけれど」という枕詞が付く。親ではない側が語ることを許さないような疎外感、あるいは「あなたも早くこちら側に来ればいいのに」というプレッシャーが生まれやすい。だがそうした言葉は、本当にすべての親にとって「真」なのだろうか?親でなければ経験できないことなのだろうか?本書で著者の論考を読んでみてほしい。
親ではなくても気づけること
後者は、当事者側からは語られることの多い、「母親」や「子育て」に関する固定的な価値観の押し付けに、当事者ではない著者が「NO!」の声を挙げている。
たとえば、「母性」という言葉は母親ではない女性でも使うことが多いが、著者のように父親ではない男性が「父性」という言葉を使うことはほぼない。その違いにも現れるように、女性は子どもを育てる能力が誰にでも当然備わっているかのように語られやすいのに対して、男性はその適性があるかどうかは自己判断に委ねられ、最低限のことを「手伝う」だけで褒められる。その差異に対して著者は違和感を綴る。
子どもがいる人は、夜遅くまで仕事をしていたり出歩いていたりしたら、「子どもがいるなら、早く帰らなくていいのか」と言われることが多いだろう。映画を観に行った時には、「行けて(行くような時間があって)よかったねぇ」と言われることもあるかもしれない。そうした言葉は子どものいない著者は受けることがない。あるいは著者は「なんてことない理由で家に帰ったり、なんとなく、という理由で仕事をやめたり」するが、子どもを持つ親が同じような行動をとったら、「子どものことであるから仕方ないよ」という理解をされる。そうした言葉や態度のなかに「子育てしている親は、どんなことよりも子育てを優先しなければならない」という押し付けがあるのではないかと著者は説く。自分と異なる立場にいる他者に対して想像力を働かせることは大切だが、「子育てはこういうものである」「親はこうあるべきである」といった安易な想像とその押し付けは、呪縛になるのではないか……。
こうして見てみると、後者の「親でない人には分からないと言われやすい事柄」についても、著者は「親ではないからこそ」気づくきっかけを得ている。当事者だから分かることももちろんあるが、当事者ではなくても、いや、当事者ではないからこそ、相手との違いから発見することや感じ取るものも少なくないはずだ。
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本書は、私のように「産まない人生を選択したい人間」が勇気をもらうところも多いが、決して「親ではない人たちの声を社会に訴えるぞ!」という趣旨で書かれたものではない。タイトルのとおり「第三者の目線」の大切さを伝える一冊だ。著者も以下のように綴っている。
「『ではない』側からも見なければ、ありとあらゆる全体像って見えてこないのではないか」
「どんな人間であっても、大抵のことには第三者なのだから、当事者としての言動だけでは、なかなか視野が狭くなる」
本書で書かれている親や子ども、家族やジェンダーのことに限らず、社会の様々な場面において「当事者じゃないなら口を出すな」ということは起きやすい。そういう時にこの本が見せてくれる「第三者が語ることの意義」を私は思い出したいと思う。