プロ野球のペナントレースも、いよいよ大詰め。今年のセ・リーグはヤクルト、中日が頭一つ抜けるも団子レース、パ・リーグはソフトバンクで決まりか。セ・リーグが団子レースになっているのは、交流戦の影響が多分にある。昨年に引き続き、二年連続でセ・リーグがパ・リーグに大きく負け越しているからだ。少ないパイを奪い合っていれば、必然的に団子レースにもなる。昔から「人気のセ、実力のパ」などとはよく言ったものだが、最近では人気の面においても、パ・リーグの地元密着戦略が功を奏しており、なかなかのものだ。
そのパ・リーグに、かつて人気も実力もなかったチームがあった。1954年から56年までのわずか三年間、パ・リーグの一員として存在した高橋ユニオンズというチームである。七十余年の歴史を持つプロ野球史において、ほとんど顧みられることのない幻の球団。本書はそんな高橋ユニオンズの日々を綴った群像記だ。
こんな渋いテーマを取り上げるのは、もしやと思って見てみると、やはり元は雑誌『野球小僧』の連載がベースだ。この『野球小僧』という雑誌、知る人ぞ知る存在なのだが、その誌面には根強いファンがいる。僕が特に気に入っているのは、「流しのプルペンキャッチャー」というコーナー。その年のドラフト候補生の元へ訪れ、球を直接キャッチングして、体感を記したものである。その臨場感溢れるリポートは、ドラフト前には手放すことが出来ない。
話がそれた、元に戻そう。高橋ユニオンズの誕生は、パ・リーグが人気逆転のための起死回生の策として八球団制に移行したことに端を発する。大日本麦酒の社長を経験し、戦後には参議院議員として通産大臣も歴任した「日本のビール王」こと、高橋龍太郎氏がオーナーであった。
新球団誕生というと、2004年の楽天イーグルス誕生時の分配ドラフトが記憶に新しいが、高橋ユニオンズの場合は各球団からの供出という名のもとに、金銭トレードで集まることとなった。当然、各球団の一線級が集まる訳もなく、初代監督となった浜崎の言葉を借りれば「ポンコツと呑兵衛の寄せ集め」というのが実態であったという。ちなみに、契約第一号となったのは、あの伝説の名投手スタルヒン。この時点で288勝を挙げていたとはいえ、全盛時はとうの昔に過ぎていた。
本書の楽しみ方の一つに、その並はずれた弱さに関する記述のみを拾い読みし、鼻で笑ってみるというのがある。 三年間の通算成績は435試合を戦って146勝281敗8分。勝率はわずかに.342。そもそも表紙の写真からして、見るからに弱そうだ。
「こんなチームに勝ったって、何の自慢にもならない」という自負があったし、本気を出して打席に立とうものなら、自軍の先輩たちからは「打つんじゃねぇ、かわいそうだろ!」と罵倒されることもしばしばあった。本当にやりにくい相手だった。(西鉄ライオンズで対戦した豊田 泰光氏のコメント)
6月12日の西鉄ライオンズ戦。ユニオンズは1対17で大敗を喫するのだが、「1イニング7四球」という記録を叩き出す。四番の大下にはヒットを打たれたものの、その他の1番から7番までは全てフォアボールというありさまだ。前代未聞の記録は半世紀以上が経過した平成の世でもいまだに破られていない。
高橋ユニオンズ三年目、六大学の花形スター佐々木信也が入団。その時のベースボールマガジンの記事は「高橋ユニオンズは、佐々木の加入によって、待望のダブルプレーができるようになった。」というもの。佐々木自身も、思い描いていた「プロ野球のレベル」が想像とまったく違うことに気づかされ、イメージの下方修正を余儀なくされたと述べている。
この他にもシーズン中に現役コーチが市会議員に出馬して当選、謎の外国人選手の突然帰国、連盟規則による罰金制度で資金難に陥るなど、なにもかもが規格外。まるで草野球だ。
しかし、一方で当時所属していた選手たちの表情を見てみる。これが不思議なくらいに爽やかだ。誰もが口を揃えて、「ユニオンズはいいチームだった」と懐古するのである。
高橋ユニオンズとは本当に懐かしい、いい思い出の1ページですよね。(佐々木 信也)
青春。そう、青春ですね。(西本 道則)
楽しかったね。弱かったけどいいチームだった。(伊藤 四郎)
考えさせられるのは、プロフェッショナルとは何かということである。プロである以上、勝つことが本分だ。しかし、それ以上に夢を売るのもプロフェッショナルの仕事なのである。五十年以上経った今もなお「青春だった」「楽しかった」と言い切れるその台詞は、夢を売っていることにほかならない。
最近、戦後の揺籃期を描いた書籍によく出くわす。背景には、その当時、躍動した人や生き証人たちの高齢化というものがある。それは高橋ユニオンズについても同様だ。毎年秋に行われているというOB会は、現存するチームではないので、新規のOBが増えない。また、わずか3年しか存在しなかったチームなので、年々、参加者も減っていくばかりである。
そんな中で、残された人たちが一様に口にする「あの頃は楽しかった」という言葉は、ただの古き日々へのノスタルジーなのだろうか。それは、緊縮する経済下において、必死でもがく人達に対して「楽しかったら、それでいいじゃん」と言っているようにも聞こえる。
そんな割り切り、到底出来っこないと思う人は多いだろう。だからこそ、僕は彼らを羨ましく思う。社会的には未成熟で、先進国には程遠かった時代。それでも彼らは「今日より明日がよくなる」と信じることが出来ていたのだ。僕たちの明日はどうだろう?
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本書を読んでいた時に、偶然併読していたのがこの本。負け続けても楽しかったと言い切る、若き日の高橋ユニオンズの選手たち。その姿が、今の若者たちの姿と重なって見えてきた。
毎日新聞に入社後、系列の夕刊紙「新大阪」、「毎日オリオンズ」、「新日本放送(現・毎日放送)」などを怒涛のように立ちあげた小谷 正一氏、その伝説の数々。パ・リーグ設立に伴う誕生秘話も、盛りだくさんである。設立の裏側に、正力 松太郎氏も絡んでいたのは驚きだった。
弱いチームを、ぼやかせたら天下一品。ノムさんこと、野村 克也氏による「あ~ぁ」シリーズの中から。