ふしぎなふしぎな子どもの物語 なぜ成長を描かなくなったのか? (光文社新書)
- 作者: ひこ・田中
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2011/08/17
- メディア: 新書
本書はアニメやヒーロー物、児童文学、漫画、ゲームなど様々なメディアで描かれてきた「子どもにまつわる物語」を考察している。変遷をたどると、異なるメディア間でも90年代末以降、子どもの物語は似た傾向を取り始めたことがわかる。世相を反映するかのように、絶対的な主人公はいなくなり、正義と悪の境界はあいまいになり、これまで当たり前のように受容されてきたストーリーが受け入れられなくなってきているという(最初に断っておくが、今回のレビューは懐かしさも手伝い長い。お付き合いください)。
たとえばヒーロー物。私たちが小さな頃、ウルトラマンや仮面ライダーは正義の味方として描かれてきた。ただ、本書を読んで、腰を抜かしたのだが、その姿はおおきく変貌を遂げている。本書によれば、転換点となった『ウルトラマンネクサス』(2004)はウルトラマンに変身できる人間が複数登場するほか、一般の人は怪獣やウルトラマンの存在を知らないというなかなか複雑な設定らしい。光の超人「ウルトラマン」に対し影の「黒いウルトラマン」まで登場するという。極めつけは、最終回に、ウルトラマンが去った1年後、平和が訪れたと思いきや、今まで見えなかった怪獣が一般人でも見られるようになり、暴れ回り、町は大パニック。「あきらめるな」というナレーションで幕を閉じる。怪獣におびえる人々を救う正義の味方であるウルトラマンの姿はどこにもなく、ウルトラマンがウルトラマンシリーズを完全否定したとしかいいようがない。著者は子供が「ウルトラマンを見て、ヒーローにあこがれながら、卒業し、大人になっていく成長の道筋がウルトラマンでは絶たれた」と指摘している。
(余談だが、ウルトラマンシリーズには絶対的な正義や悪はないという思想が元々、根底には流れている。怪獣を倒せば、世界に平和は戻り秩序は回復するが、それは果たして喜ぶべきか。怪獣は人間がつくりだしたものであり、それを倒して何が変わるかというメッセージが下敷きにある。本書では触れられていないが、円谷プロの初期傑作で今でもカルト的な人気を誇る『怪奇大作戦』の登場人物にも完全な悪人は出てこない。ただ、こうした円谷の意図は「シュワッチ」がしたいだけのかつての私のような子どもにとっては迷惑千万であり、円谷プロの歴史は製作側の情熱と怪獣ごっこを望む子どもたち(視聴率)の間で揺れ続けてきた歴史とも言えよう)
アニメの変貌という観点では「世界名作劇場」の話に対する考察が面白い。「世界名作劇場」と聞いてもピンとこない人がいるかもしれないが、日曜の夜に放送していた『フランダースの犬』や『母を訪ねて三千里』と聞けば、「ああ、あれね」と思い出す人もいるだろう。75年から97年まで続き、再放送も含めれば一度くらいは見たことがある人が多いのではないか。感情豊かとは言えない幼稚園児の私ですら最終回では「パトラーッシュ」と叫び、涙腺をうるうるさせたものだ。だが、このアニメに、言葉は悪いが、だまされている人も少なくないのではないだろうか。
なぜなら、あんなに、かわいげなネロは実は15歳なのだ!(フランダースの犬のあらすじは省く。わからなければ、極論だが、幼い子どもネロが犬と凍死すると考えよう。)アニメを見ている限り、どう見ても小学校中学年以下なのに!15歳の男が村の有力者の怒りを買ったばかりに、牛乳運搬の仕事を回されなくなり、絵画コンクールに落ち、失意の中、犬と凍死した話と聞くと、なんだか感動が薄れてくる。有名な話だが『フランダースの犬』はベルギーでは有名でない。「なに、それ?」の世界だ。15歳だったら町を出て、他の町で働けよ、死ぬなよという見方が多く、話に違和感を覚える人が大半という。日本版アニメはネロの年齢を幼い描写で覆い隠すことで「無力でかわいそうな子ども」と位置づけ、無害で受け入れやすいストーリーにしているのだ。
これは放送時間が日曜の7時半という家族団らんの時間であることが影響しているという。まだ、テレビは居間で見る時代。子どもではなく、親に受け入れられるストーリーを意識した制作者側の姿勢が反映された。『フランダースの犬』以外でも、原作では父親がほぼ不在なはずなのに、アニメでは、やたら登場してきて大活躍してしまう『若草物語』など、チャンネル権を握る親へのポイント稼ぎとしか思えない話も少なくない。原作を脚色することで、「ほのぼの」もしくは「哀れ」(やたら孤児作品が多い)の2つを際だたせ、親の心をがっちりつかんだと言えよう。ただ、30年にわたり続いた長寿番組も終焉を迎えたことは、そのような家庭像の押し売りが結局、限界に達したことなのだろう。著者が指摘するように、家庭問題の原因は細分化し、親子がそろっていても、愛情が無く、家庭内が不和のケースもあるし、片親でも当然の話だが立派に育つ。子どもは放っておいても、自然に大人になるともいえなくなったのだ。
最後に、本書の 副題「なぜ成長を描かなくなったのか?」についてである。例えば漫画の世界では、『ドラゴンボール』では孫悟空は多くの敵と戦い、傷つき、修行を積み、大人になるに伴い、武力も増していくが、『ONE PIECE』の主人公は物語の初期から無敵の強さなのだ。不思議だ。
確かに、かつて、大人はあこがれだった。「月光仮面のおじさん」は「おじさん」でも格好良い存在だった。大人は子どもがしらない、なにかを知っている存在だった。少なくともそう、思われていた。だから、みな成長を望んだ。著者は、経済力とそれがもたらす情報格差が大人を輝かせていたと指摘する。だが、子どもと大人の情報格差が縮まってきた今、「大人の中には何にも知らない奴、多いじゃん」って話になったのかもしれない。大人に対する子どものまなざしは確実に変わった。ただ、著者はそのこと自体は問題視しない。子どもが果たして大人になることは自明なのかと問いかける。近代は子どもを別存在として位置づけたことで、大人が誕生し、誰もが大人になれるようにしていただけではないか。 その考え自体が、社会が大きく変わる中、無理があるのではないか。子どもを取り巻くメディアの物語の変化がそれを示唆しているのであるという結論である。
著者は児童文学が専門。考察する対象は上記以外では『月光仮面』、『仮面ライダー』、『ドラゴンクエスト』、『ファイナルファンタジー』、『魔法使いサリー』、『エヴァンゲリオン』『ガンダム』など冒頭に述べたように広範囲に及ぶだけに、多くの人が懐かしさと新たな発見に遭遇できるのではないだろうか。
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- 作者: TVアニメ
- 出版社/メーカー: バンダイビジュアル
- 発売日: 2011/12/22
- メディア: DVD
根強い人気があるみたいです。『ふしぎなふしぎな~』では、97年公開の映画版『フランダースの犬』では子どもより、幼少時にテレビ版を見た親世代が楽しんでいたとありましたが。
- 出版社/メーカー: ビクターエンタテインメント
- 発売日: 2003/12/19
- メディア: DVD
円谷プロの初期傑作。今でもカルト的人気。正義とは悪とは。