勉強法というジャンルは、常にビジネス書の定番である。勉強はいつから始めても遅いことはない。そして好きなことだけが武器になる(成毛眞『勉強上手』幻冬舎)。まさにその通りである。だから第一線で働いている人ほど、社会人大学や各種学校で学び直し、資格試験にチャレンジしている。決して悪いことではない。
しかし、そういった人たちの多くが勉強に追い立てられているように見えるのは、なぜだろうか。「勉強しなければいけない」という意識が、強迫観念のように先走っているように私には見える。
現代は「VUCA WORLD(見通しの立てにくい社会)」と言われる。コロナ禍がもたらした雇用や就業に与えた影響や社会の変化など先行きの不透明な状況はまだ続く。現在やっている仕事がきちんと将来に生かされるのか、心もとなく思えるのも無理はない。そのため何かを一所懸命に学ぶことで、将来的な安心を得ようとする。
勉強しなければならないのは、今に始まったことではない。私自身、小学校に入学したとたんに宿題が出され、大学に通ってからも教授から「ちゃんと勉強したか」と詰問される。
思春期の中学高校時代、時間は勉強なんかより自分の好きなことに使いたいと思っていた。そして高校3年になり大学受験が近づいてくると、「なぜ面倒な試験なんかあるんだ?」と怒りにも近い感情が湧き上がった。
今回、こうした中高生の素朴な疑問に答える『100年無敵の勉強法』を上梓した。実は、勉強するのと勉強しないのとでは、人生の「質」が格段に違ってくる。それはみんなが知っているが、あらためて言うのはカッコ悪いので黙っている。でも、勉強するほうが豊かな未来が待っているのは確実だから、私は半世紀かけて後輩たちに語ってきた。
私は地球科学者である。「人類が暮らしているこの地球とは何か」について45年研究してきた。後半の24年間は京都大学の教授として学生・院生に語りかけてきた。途中で学生たちの要望を受けて『新版 一生モノの勉強法』(ちくま文庫)を書いた。
さらに講義の合間には高校生や中学生にも「出前授業」と称して授業に出かけた。その際、彼らからいつも「なぜ勉強しなくちゃいけないの?」という言葉が飛びだしてきた。
大学生や中高生たちと向き合う中で、「勉強の意味は何か」「どう勉強すればいいのか」そして「どうしたら勉強してくれるか」について日夜考え続けてきたのである。そして勉強歴では後輩である若者たちに、勉強の本質を伝えたいとずっと願ってきた。
さて、勉強する目的について最近の中高生は、多くの大人が思うように「学歴」とか「高収入」とか「名誉」とは考えない。確かにこうしたことと全く無縁ではないが、この3つは既に彼らのモチベーションではないのだ。
もっと重要なことがある。いわゆる「地位・金・名誉」だけを勉強の目標にすると、勉強そのものが「死んで」しまう。実は、勉強には「活きた勉強」と「死んだ勉強」の2つがある。そして中高生たちには「活きた勉強」をしてほしいのだ。
私の経験から言うと、「活きた勉強」はゼッタイに楽しいし、やっているうちにいつのまにか生きることが明るくなってくる。その反対に「死んだ勉強」はつまらないし、そもそも勉強することがキライになってゆく。時おり大人になってから「学校の勉強は無駄だった」と言う人がいるが、残念なことにその人にとって、勉強は「死んだ勉強」だったのだと思う。
では「活きた勉強」とはどのようなものだろうか?ひとことで言うと、勉強しているとひとりでにワクワクしてしまう「感覚」が生まれる。私はある時から勉強が急におもしろくなって、自分でも本当にビックリした(『火山はすごい』PHP文庫)。まったく予期せぬ突然の出来事だった。これが「活きた勉強」だと発見した瞬間であるが、その体験をぜひ語りたい。
本当のところ、その瞬間に、自分がそれまでいかにたくさん「死んだ勉強」をしてきたかに気づいたのである。いままでの間違っていた勉強に気づいて愕然とした。そして、これからの人生はぜんぶ「活きた勉強」に変えてやろうと思ったのである。いったん「活きた勉強」を知ったら、もう「死んだ勉強」なんかには戻れない。それほどの大きな衝撃を受けたのだ。
「活きた勉強」はいくらやっても飽きないし、勉強することがますます楽しくなる。そして、「活きた勉強」をしていると、他人の目が気にならなくなってくる。つまり、「活きた勉強」は自分にとっての「活きた勉強」であって、まわりの友達や先生から見たら、ぜんぜん勉強らしくないかもしれない。
もっと言えば、「活きた勉強」に熱中しているところは、親から見たら「勉強してないじゃないか!」と怒られるようなものかもしれない。でも、自分が「活きた勉強」だと思ったら、それを押し通して構いない。なぜならば、勉強は「自分の人生」のためにするもので、親や先生や友人のためにするものではないからである。
とにかく、今までしてきた勉強には「活きた勉強」と「死んだ勉強」があるらしい、ということを先に知ってほしい。それにどこかで「ハッ!」と気づくことがあるかも知れない。
その時こそ、自分にとって「活きた勉強」が始まるのだ。それは、「誰にもじゃまされない自分らしい人生」が始まる瞬間でもある。勉強の本当の目的は「誰にもじゃまされない人生」を自分の中に作り出すことだからだ。
そして自分には「誰にもじゃまされない人生」を生きる権利がある、と深く悟ること。自分の力で「活きた勉強」を発見し、それを一生かけて押し通すのだ。こうすることで、自分だけの人生を「プロデュース」できるようになる。これが100年間保つ勉強法の極意である。
いかがだろうか。「なぜ勉強しなくてはならないのか?」という素朴な問いから、新しい世界が拓けてくる。そして「自分だけの大切な人生」の存在をしっかりと掴む。現代は「人生100年時代」である。「活きた勉強」というキーワードで、もういちど点検していただきたい。いえ、読者に対してだけではなく、まず私自身に対してである。