「誰かを論破できる人ってカッコいいと思うんですよ」。若い友人の口から飛び出した言葉に驚いた。彼が憧れるのは、「論破王」と呼ばれる著名人だという。SNSやテレビのワイドショーで、次々に相手を言い負かす姿がたまらないらしい。そんな話を聞いて、面白いと感じる一方、ちょっと考えさせられてしまった。
実は、この著名人流の「論破」が成り立つには、舞台装置が必要だ。ツイッターなら140文字、テレビコメントならわずか数十秒という制限である。そこでは決まった枠組みに最大限の成果を詰め込めた者が評価され、沈黙は敗北と見なされる。つまり「論破王」は、限られたフォーマットに則ったある種の芸を繰り広げているにすぎない。
こうした「芸」に長けた著名人の動向などが逐一、情報としてもたらされるのだから現代人は忙しい。のべつまくなしにスマホへ届く通知に反応していれば、あっという間に時間が経ってしまう。
私たちは「注意経済」(アテンションエコノミー)の網で覆われた社会に生きている。「人々の注意」というリソースから、経済的利益を生むシステム。本書はそんな注意経済の網の目からいかに逃れるかについて書かれた一冊だ。読書家として知られるバラク・オバマ元米国大統領が2019年の「お気に入りの本」に挙げたことで、米国では一躍ベストセラーとなった。
『何もしない』というタイトルからは、多くの人が「デジタルデトックス」をイメージするかもしれない。だが、著者はデジタルデトックスには批判的である。それは、一定期間デジタル機器から離れることで、再び生産性の高い状態となって仕事に戻るための方法であり、注意経済を補完するものでしかない。
ならば一切のSNSとの関わりを断ってしまえばいいのだろうか。それも違うと著者は述べる。自分だけがSNSをやめたとしても、社会への影響はほとんどない。
著者が提唱するのは、むしろ私たちの注意力を鍛え上げ、アップデートする方法だ。ただし、注意を向ける先を大きく変える必要がある。
ここで有用なのが、哲学やアートの知見、自然観察の方法である。例えば、著者に多くのヒントを与えたのが、哲学者のディオゲネス。1本の杖とボロボロの上衣以外を持たず、大きな甕(かめ)の中で暮らしたことで知られる古代ギリシャきっての変わり者だ。ディオゲネスは、通りをわざと後ろ向きに歩いたり、客がはける時間をわざわざ狙って劇場の中に入ったりした。
ディオゲネスは、世の中で「まとも」だと見なされている人間は、「強欲、腐敗、無知が蔓延する世界を支える習慣にとらわれているがために、かえってまともではない」と考えていたという。そんな彼の不可解なふるまいを、著者は「反転の美学」と呼び、現代のパフォーマンス・アートにも通じる精神を見いだす。
私たちの注意力を抜け目なく鍛え上げることで、人々の注意をハックし金儲けをしようとたくらむ連中を出し抜く。生産性至上主義の呪縛から解き放たれ、豊かな「余白」を人生に取り戻す。一見のんびりしたタイトルからは想像もつかない、現代社会を挑発するような一冊である。