天才には世界がどう見えているのだろうか。
これは凡人には一生わからない謎かもしれない。
たとえばアイザック・ニュートンは、なぜあれだけ物理法則を発見することができたのか。同じように夜空を見上げても、凡人はせいぜい月がきれいだと感心するくらいなのに対して、ニュートンは「なぜ月は落下してこないのか」と考えた。天才の目にはどうやら凡人とは違うものが見えるらしい。
経済学者・岩井克人氏の回想録『経済学の宇宙』にこんなエピソードが出てくる。留学先のケンブリッジ大学には、19世紀から続く「使徒会」という秘密結社があり、知性に優れた学生が会員に選ばれるというならわしがあった。哲学者のバートランド・ラッセルや経済学者のジョン・メイナード・ケインズも会員と聞けば、レベルの高さは想像がつくだろう。
ラッセルによれば、使徒会では、世間では非常識と思われるような事柄でも自由に討議することが原則となっていた。使徒たちのエリード意識は強烈で、自分たちのみが「実在(Reality)」であるとみなし、普通の人々のことは「現象(フェノメナ:Phenomena)」と呼んでいたという。天才たちからすると、凡人はただの風景に過ぎないらしい。
だが天才といえども上には上がいる。天才の中にも「真の天才」がいるのだ。20世紀の「真の天才」といえば、ジョン・フォン・ノイマン(1903年-1957年)である。短い生涯の間に、論理学・数学・物理学・化学・計算機科学・情報工学・生物学・気象学・経済学・心理学・社会学・政治学に関する重要な論文を発表し、あらゆる分野に影響を与えた。
身近なところで言えば、ノイマンがいなければスマートフォンは存在しなかったかもしれない。同じハード(機械本体)を使いながらソフト(プログラム)を交換すれば多目的に対応できるという「プログラム内蔵方式」を考えたのはノイマンである。
あるいは「天気予報の父」でもある。気象力学の基礎方程式をコンピュータにプログラムし、観測値を入力して気象予測を行う方法を編み出したのはこれまたノイマンである。
ノーベル賞だって複数分野で受賞していたかもしれない。
ノイマンが生み出した「ゲーム理論」は、経済学の分析方法を根底から変えた。ポール・サミュエルソンは、「私たちの専門分野なのに、彼は少し顔を出しただけで、経済学を根本的に変えてしまった」と述べている。ゲーム理論をさらに追究していればノーベル経済学賞を受賞したはずだが、ノイマンの興味はすぐ別の分野に移ってしまった。
また原子の「スペクトル理論」では、ユージン・ウィグナーと共著で重要な論文を発表し、物理学界から大きな注目を浴びた。この分野の研究を続けたウィグナーは1963年にノーベル物理学賞を受賞した。ノイマンも亡くなっていなければ同時受賞していたといわれる。
本書は、人類屈指の天才ノイマンが、世界をどう認識し、どのような価値を重視し、またいかなる道徳基準に従って行動したかを明らかにしようと試みた一冊だ。登場人物は科学者を中心に綺羅星の如し。手軽な新書でありながら、20世紀前半の知の最前線の人間ドラマを描いて読み応え十分である。
ノイマンは1903年、オーストリア・ハンガリー帝国のブダペストで裕福なユダヤ人家庭の長男として生まれた。天才に神童エピソードはつきものだが、ノイマンもその手の話題に事欠かない。
6歳の頃には古典ギリシア語で冗談を言い(母語はハンガリー語)、8歳でドイツ語の『世界史』全44巻を読破した。一度読んだ文章は一言一句たがわず再現できる能力があり、ある時、ディケンズの『二都物語』が話題に出ると、冒頭から暗唱し始め、周囲が止めるまで延々と引用を続けたという。
17歳で大学を飛び越えて大学院に合格すると、22歳で書いた博士論文で、「天才数学者」としてその名がヨーロッパ中に響き渡る。そして27歳でアメリカのプリンストン高等研究所から声がかかった。
着いたその日からノイマンは「アメリカに恋していた」という。生まれ故郷のブダペストは、第二次世界大戦中はナチス・ドイツ、戦後はソ連に蹂躙された。ノイマンは「ヨーロッパの瓦礫」の中から自分を救い出してくれたアメリカを「理想国家」とみなし、国家のために身を捧げることを惜しまなかった。
そのひとつが原子爆弾の開発である。ノイマンが導いた「爆縮理論」がなければ、アメリカの原子爆弾完成はもっと遅れたとされる。科学者の中には、大量殺戮兵器の製造に加担していることに罪悪感を抱く者もいた。リチャード・ファインマンもそのひとりだった。だがファインマンは、ノイマンと散歩をしながら交わした会話で気持ちが楽になったという。ノイマンはこう言った。
「我々が今生きている世界に責任を持つ必要はない」
「ノイマンの哲学」とは何か。著者はノイマンの思想の根底にあったのは、科学で可能なことは徹底的に突き詰めるべきという「科学優先主義」、目的のためならどんな非人道兵器でも許されるという「非人道主義」、この世界には普遍的な責任や道徳など存在しないという一種の「虚無主義」だと指摘する。そんなノイマンを人々は「人間のフリをした悪魔」と呼んだ。
本書を読みながら、合理的思考について考えさせられた。
たとえばノイマンは、京都への原爆投下を強く主張したことで知られる。日本人の戦意を喪失させることを最優先にするなら、「歴史的文化価値が高い京都にこそ投下すべき」と主張したのだ。またソ連についても、共産主義がゆくゆく脅威になることを見通し、先制核攻撃によって原始時代に逆戻りするくらい破壊すべきだと主張した。ここに見られるのは、最短でゴールに到達するにはどうすべきかだけを優先する合理的な思考である。その思考に人道主義などが入り込む余地はまったくない。
合理的に考えることは大切だが、行き過ぎたそれは恐ろしい。もしノイマンが生きていて、現在の環境問題の解決法について訊いたら、人類の数を強制的に半分にすべしなどと言い出しかねない。地球環境に害を及ぼしているのが人間であるなら、合理的に考えれば、人間がいないほうが地球には優しいからだ。
「水爆の父」エドワード・テラーは、「超人的な新人類が生まれることがあるとしたら、その人々はジョン・フォン・ノイマンに似ているだろう」と述べた。また核反応理論でノーベル物理学賞を受賞したハンス・ベーテは、ノイマンについて「人間よりも進化した生物ではないか」と本気で考えたことが何度もあるという。もしかしたらノイマンは本当に突然変異によって現れた超人だったのかもしれない。
そんなノイマンが人間らしい姿を見せた記録が残っている。
1945年の春、疲れ果てて帰宅したノイマンは、ベッドに直行し12時間眠り続けた。起きている間、ほとんどの時間を考えることに費やすため4時間睡眠が習慣だったノイマンが、一気に3日分も眠り続けたのである。そして夜中に目を覚ますと、妻のクララに「我々が今作っているのは怪物だ」と動揺した様子で語ったという。
この時、ノイマンの胸にあったのは、自らが手がけた原子爆弾によって命を奪われる犠牲者への罪悪感だろうか。もし「人間のフリをした悪魔」にもそうした部分があったのなら、このエピソードに少しだけ救われる思いがするのである。