『日本の包茎』作られた「恥ずかしさ」をめぐって

2021年3月3日 印刷向け表示
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日本の包茎 ――男の体の200年史 (筑摩選書)

作者:澁谷 知美
出版社:筑摩書房
発売日:2021-02-17
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本にブックカバーはつけない。これを長年の流儀としてきた。
通勤電車で本を開くと、目の前に座る人の視線がきまって表紙に注がれる。本との出会いは何がきっかけになるかわからない。中には電車でたまたま見かけて興味を持ち、本を買う人だっているかもしれない。出版文化への貢献のためなら、喜んで歩く広告塔になろう。そう考えて、どんな本であろうと(たとえ『性豪』『鍵開けマニュアル』といった本だろうと)顔色ひとつ変えず公衆の面前で本を開いてきた。それがハードボイルドな俺の流儀だった。

だが、本書を手にした時、初めてその覚悟が揺らいだ。
いや、覚悟が揺らぐなんてちょっとカッコつけ過ぎである。正直に言おう。気後れしてしまったのだ。臆病な犬のように尻尾を股の間に挟んで後ずさりしてしまったのだ。カバンに手を突っ込んだまま固まっている俺を、目の前の女が不安そうに見上げた。銃を持っているとでも思われたのかもしれない。怯えさせてすまない。だが取り出した手に「包茎」と書かれた本が握られていたほうが、よっぽど君を驚かせてしまうかもしれない。結局、俺は電車の中で本を取り出すことはできなかった……。

さて、あらためてこの時の心の動きを振り返ってみたいのだが、本を取り出すのを躊躇した時、心の内にあったのは、「包茎で悩んでいる人だと思われたらどうしよう」という恐れだった。もう少し掘り下げるなら、恐れの奥には、「包茎=恥ずかしい」という感覚が存在していた。

だが、この「包茎は恥ずかしい」という感覚はどこから来たものなのだろうか。なぜ包茎は恥ずかしいとされるようになったのだろうか。いや、それ以前に、そもそも包茎って恥ずかしいものなのか。

本書はこうした疑問に答えてくれる一冊だ。
日本人男性の多くは包茎を恥ずかしいと思っている。
その一方で、仮性包茎は日本人男性のマジョリティであるといわれる。
この「多数派なのに恥ずかしい」という独特の恥の感覚は歴史的にどう形成されたのか。著者は膨大な文献を博捜し、包茎をめぐる言説史を炙り出していく。

そもそも「包茎」という言葉はいつ頃から使われだしたのか。
医学の専門家のあいだでは、1810年代に使われるようになったらしい。文献では、華岡青洲の医術を弟子が書き留めた『華岡氏治術図識』(1818年刊行とみられる)に「包茎」の文字が確認できるという。

ここで用語の確認をしておくと、包茎は現代では、「真性包茎」と「仮性包茎」の総称である。「真性包茎」は、手を使っても亀頭を露出することができないもの、「仮性包茎」は、手を使えば亀頭の露出が可能なものと思ってもらえばいい。

本書によれば、包茎を恥ずかしいと思う感覚は戦前からあったという。
第二次大戦敗戦まで、「M検」と呼ばれる検査があった。医師の前で全裸になり、ペニスや睾丸の状態を調べられる検査である(Mは魔羅に由来)。徴兵検査はもちろん、入学試験や就職試験などでも広く行われていた。

M検のデータをもとにある解剖学者が包茎について論じた1899年の論文では、仮性包茎を恥ずかしいと考える男性がある程度いることが指摘されている。また、M検の際に医師から「皮かむり」であることをからかわれたり、検査を待つ若者の股間を検査官が「お前、包茎か」とバカにしたり、この時代はこうしたエピソードにも事欠かない。

ただ、戦前は広く包茎に対する恥の感覚が共有されていたわけではなかった。そもそも包茎が何たるかを知らない者もいた。責め絵で有名な伊藤晴雨は、しばしば吉原に通うほどの遊び人だったが、医師に診てもらうまで自分が包茎であることを知らなかったという。

仮性包茎の扱われ方も現代とは異なっていた。仮性包茎は異常ではなく、清潔にしていれば無理に手術する必要はないと、医師たちの言説はおしなべて仮性包茎にやさしかった。この時代は、包茎を恥ずかしいと思う人もある程度はいたものの、その恥の感覚が市民権を得るまでには至っていなかったようだ。

流れが変わるのは戦後である。戦後まもなく美容整形ブームが訪れ、整形熱はやがて下半身にも及び、1960年代には性器整形がブームになった。ここで強調されたのが、整形による「短小」と「早漏」の解消である。

包茎手術に短小の解消が期待された背景には、敗戦の経験があると著者は指摘している。若い女たちは、背が高く経済力もあるアメリカ兵に夢中になり、貧弱な体格の日本人男性はプライドをいたく傷つけられた、だからこそ巨根に生まれ変わりたい、というわけだ。この頃から、大切なのは大きさよりもむしろ膨張率だとか、長さで負けても硬さでは負けないなどといった涙ぐましい言説が見られるようになっていく。それはすなわち、ペニスを介した日本人男性のアイデンティティの醸成であった。

「セックスで女性を喜ばせるには立派なペニスでなければならない」。こうした強迫観念を植え付けるのに大きな役割を果たしたのが雑誌である。『平凡パンチ』、『週刊プレイボーイ』、『ホットドッグ・プレス』、『ポパイ』、『スコラ』といった青年誌が、1970年代から90年代にかけて、包茎言説の主戦場になっていく。

青年誌に掲載された包茎記事の多くは、記事にみせかけた広告、つまり「タイアップ記事」だった。記事の典型は、①女性たちの包茎をめぐる座談会、②包茎男性の悲惨なエピソード、③医師による解説とクリニック紹介の三要素で構成される。出版社にとってタイアップ記事はドル箱だ。記事はテンプレートで作れるからたいした手間もかからない。ボロ儲けである。クリニック側にも巨額の広告費に見合うだけの利益がもたらされた。たとえば高須クリニックでは、最盛期には一日300人もの包茎手術を手がけていたという。

見過ごしてはならないのは、こうした記事の多くは、なぜ仮性包茎に手術が必要なのか、医学的な根拠を示していないことだ。しかもこれらの記事は、男ばかりの編集部で作られていた。包茎手術ブームを牽引した高須克弥氏は、2007年のインタビューで、「雑誌の記事で女のコに『包茎の男って不潔で早くてダサい!』『包茎治さなきゃ、私たちは相手にしないよ!』と言わせて土壌を作ったんですよ」と暴露している。つまり、出版社とクリニックは、「男が男から金を巻き上げるシステム」をめぐる共犯関係にあったのだ。

もともとあった下半身に対する素朴な恥ずかしさは、1980年代に「作られた恥ずかしさ」へと変容した。それは「他者に馬鹿にされる恐怖」を出版社や医師が煽ることで形成されたものだった。包茎言説はその後、青年雑誌から中高年雑誌へと舞台を移し、次第に退潮へと向かうのだが、その顛末はぜひ本書でお読みいただきたい。

それにしても、女性研究者がなぜ包茎を取り上げたのだろう。
著者はその理由を、「男が幸せにならなければ、女もまた幸せにならないと思ったから」としている。男性が自分の身体に自己肯定感を持てるようになる材料を提供しようという目的で、本書を書いたという。

この本を読んだのをきっかけに、長いつきあいの女友だちに包茎をどう思うか訊いてみたので、最後に紹介しておこう。失笑されたり、ポカンとされたり、この話題を切り出した時の反応はさまざまだったが、彼女たちは口を揃えてこう言った。
「そんなこと、気にしたこともない!」

決定版-HONZが選んだノンフィクション (単行本)
作者:成毛 眞
出版社:中央公論新社
発売日:2021-07-07
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