激アツな一冊だった。我を忘れてシャドーボクシングをはじめるくらいに。本書は、36歳のB級ボクサー米澤重隆が日本チャンピオンに挑む日々を、同世代の映像作家がまとめた本だ。私の熱き血潮はどこから湧き上がったのか。冒頭シーンの紹介から始めたい。ドキュメンタリー番組をつくるため、著者は米澤のいるジムに乗り込んだ。
「僕なんかでいいんですかね?」
思わず返答に詰まる。もちろん、と即答したかったのだが、正直、僕は米澤がドキュメンタリーの取材対象として面白いものとなるのか、まったく自信がなかった。曖昧な笑顔で「大丈夫ですよ」と答えるのが精一杯だった。 ~本書P13より
これが、取材開始当初の温度感である。ボクシングにおいて、B級とトップの間には別競技とも言えるくらいの差がある。37歳までのたった9か月でチャンピオンになるという目標は、いかにも無謀だ。一方で著者の仕事であるドキュメンタリー番組の成否は、その挑戦の帰趨にかかっている。こんな温度感になるのも、無理からぬことだろう。
「殴らないで勝つ方法、ありますかね?」練習の後、インタビューのつもりで帰り道を一緒に歩いていると、米澤はこんなことをボソッと呟いたという。殴るのが嫌いな男が、どうしてボクシングをやっているのか?著者はまず、この切り口で対象に踏み込む。その生い立ちに触れながら、読者は人間・米澤重隆に引き込まれていくことになる。
そして心に残るラスト10秒まで、著者と共に沸々と心がたぎっていったのだ。常識的な人生を歩んでほしいと願う両親、心からサポートする恋人、狂気に巻き込まれるジムの会長やトレーナー。立ちはだかる幾多の苦難。リアルロッキー?映画を超えた実話?エピソードを積み上げて一気に読ませる舞台装置が、まさに奇跡だ。
まず、米澤の置かれている境遇を紹介しよう。取材が始まった2013年1月現在、彼は日本ミドル級のB級ボクサーである。ボクシングは、プロテストに合格するとC級になり、4ラウンド制の試合を4勝するとB級になる。30歳を過ぎてボクシングを始めた彼の戦績は、36歳3か月にして5勝6敗2分という平凡な成績だ。
そこに、37歳という年齢制限が立ちはだかる。脳障害などの危険があるため、日本ボクシングコミッションが設けたルールである。ただし、チャンピオンなどいくつかの条件に当てはまればその制限は適用されない。今回の闘いは、その条件を満たすことで37歳での引退を回避するための崖っぷちの闘いなのである。
目標達成のためには、まずはB級ボクサーに勝ってA級に昇格し、日本ランカーにも勝ってタイトルマッチ挑戦権を得て、最終的にチャンピオンを倒さねばならない。9か月の間に最低3戦、勝てば勝つほど相手が強さを増していくのである。そんな困難な闘いに挑むのに、ボクシングに集中できる状況にはない。肉体はボロボロで、仕事も過酷なのだ。
そこから一歩一歩、奇跡に近づいていく。それを可能にしたのは彼自身の凄まじい努力だ。その姿を見て周囲が熱くなって、あり得ないような協力をする。なかでも恋人のみな子さんの物心両面の支えは大きい。彼女は福島県双葉郡楢葉町に生まれ育ったが、その故郷は原発事故で居住禁止になった。彼女の言葉を、本書から紹介したい。
「人生は一回きり。好きなことをしなければダメだよ」
これがみな子さんの口癖だ。みな子さんは訥々ともう戻ってこない故郷の話をしながら、その日も変わらぬ笑顔だった。僕は話の重さに衝撃を受けながらも、決して負けない不屈の魂はみな子さんの中にこそあるのかもしれないと思った。 ~本書P134より
そして、忘れてはならないのが青木ジムの人々だ。負けられない闘いが続く中で、相手選手を踏まえて戦い方を考え、勝つための技を磨くサポートを懸命に行う小林トレーナーは、米澤のわずか2歳年上である。時々、崖から足を踏み外してしまいそうになる米澤のメンタルのフォローさえも行っている。
そして、ジムの有吉会長だ。本書を読むと、ボクシングのマッチメイクの裏側がわかる。36歳のB級ボクサーが9か月でチャンピオンになるのは、実力面だけでなく、マッチメイクの面でも困難を極めるのだ。なぜなら相手には、リスクを冒してまで米澤と闘うメリットがないからである。しかし、あらゆる手段を尽くして米澤が闘う舞台を整えていく。
身に故障を抱え、周囲を振り回しながらも彼は闘い続ける。その理由を、著者は何度も問うている。取材で知り得た事実をもとに、ようやく著者が一つの「答え」に辿り着いたのは最終戦の前夜だ。それを開示された読者は強烈なパンチを食らったように目が覚め、ボクサーと著者と一体になって、ラスト10秒にラッシュをかける。
人生は案外そんなものかもしれない、と納得する「大きな答え」だった。ある時に人に認められた経験が人生を進める原動力になる。その法則に従って、目標を変えながら、米澤はここまできたというのだ。しかし、この闘いの6年後、彼の口から「余生」という思わぬ言葉がでてきて著者は困惑する。それに対し、私はこんな風に考えた。
何かを求めてガムシャラに闘うこと自体が生きる意味だった。しかし彼は、その闘いによって手にした「存在証明」に支えられて、生きられるようになったのだ。これは、高度成長期に受験戦争を勝ち抜いて、社会に出た人々と共通するものがあるのかもしれない。しかしそこには、与えられたものと自ら見つけたもの、という大きな違いがある。
ただいずれにしても「存在証明」を手にするために、人はガムシャラに闘う時期が必要なのだ。なぜ闘うのか時には本人すらもわからない。「永遠は一瞬の中にある」あとがきの中で著者は、ロマン・ロランの美しい言葉を使って、それを表現している。それを手にした人は、案外少ないのかもしれない。ぜひあなたも、胸に手を当てて考えてみてほしい。
米澤の人生と対比すると自分はどの地点にいるのか。ガムシャラに闘ったことはあっただろうか。闘わぬうちに、或いは闘いきらぬうちに、資格を喪失した気になってはいないか。人生に年齢制限はない。ボクシングに年齢制限があったことで、本書の読者は、運良く気づくことができる。いまが「余生」でない以上、まだ種火は残されているのだと。