「読む脳」の大転換期
私たちは、いま「読む脳」の歴史的な大転換期に生きている。それは文字の発明や、グーテンベルクの印刷革命にも比肩しうる出来事だ。こうした変容を目の当たりにするには、電車に乗るだけで十分だろう。多くの人が(きっとあなたも)、読んでいる(見ている)のは、スマホやタブレットなどのデジタル機器に違いない。実際、さまざまな統計でも、パソコンを含めたデジタル機器への接触時間はどんどん伸びる一方だ。
紙の本をはじめとする印刷媒体から、デジタル媒体へーー私たちの読む体験は劇的に変わろうとしている。では、そのことは、読む脳にどんな影響を及ぼすだろう? そもそも紙とデジタルでは、読む脳の回路にどんな違いがあるのか? デジタル脳がますます優勢になり、紙で読む脳まで変えてしまうのか? そうなれば、私たちの文化や社会はどこへ向かうだろう?
読む脳(読字脳)の研究者として国際的に知られる著者は、こう次々に問いかける。前著『プルーストとイカーー読書は脳をどのように変えるのか?』で、古代の文字の発明から、文字を読む脳の発達までを探究した著者にとって、熟練した読む脳はかけがえのない人類の創造物にほかならない。だがいまや、こうした読む脳は絶滅の危機にあり、ともに育まれてきた奥深い知恵・見識までも失われようとしているのでは?
脳のなかの驚異的なサーカス
もともと私たち人間には、文字を読むための遺伝子が備わっていない。誰もが読むことを学ばなければ、文字を読めるようにはならないのだ。近年、子どもや若者たちの読解力の低下が話題になっているが、その背景を探るためにも、まず読む脳の発達や媒体とのかかわりを知ることが欠かせない。
脳は既存のさまざまな回路を再利用することで、「読む脳」回路を育てていく。そのしくみは目を見張るサーカスのように驚異的で、読む力が増すごとに複雑になっていく。こうした回路のベースを2歳までに育むのが、親子による「対話式読書」である。親が子どもに本を読み聞かせると、子どもはそれに全身で反応する。親の言葉や視線に同調し(注意の共有)、音韻・リズム・意味・文法・文字のかたちなどを吸収していく。その際、物理的実体のある紙の本を、見て、嗅いで、聞いて、触る……ことが大切だ。さまざまな機器からではなく、人間と紙による読み聞かせによってこそ、幼児の言語能力が発達することがわかっている。
2歳から5歳までは、「言語と思考がともに飛び立つとき」である。とくに「物語」は他者の視点となって共感を育む糧となる。注意したいのは、この時期までにデジタル機器に触れるばかりで、文字を読むための脳が準備されないと、子どもの脳が「画面モード」に設定されてしまうことだ。
5歳から10歳までのあいだに、子どもたちは読むことを覚え始める。この期間に子どもは幼稚園や小学校に入って、バトンは親から教師へと渡される。学校の子どもたちの文字を読む能力には差異(6つの発達様相に分けられる)があるため、こうしたばらつきを配慮した教育が求められる。そして、理想的には小学校の3、4年で流暢に読めるレベルに達するが、現状では多くの子どもたちがそうなっていない。
紙の本が「深い読み」を育む
読む脳が発達するほど、「深い読み」ができるようになる。これまで培ってきた知識(背景知識)、推論、分析、共感・視点取得などが統合され、新たな思考モードを生みだす。この思考モードは、文章や情報を自分なりに咀嚼し、批判できる洞察力・創造力を備えている。
ところが、デジタルメディアによる情報が氾濫している今日では、こうした「深い読み」を育むことが難しくなっている。斜め読み・飛ばし読みが標準モードとなり、文章の細部に分け入り把握する力が失われつつあるのだ(著者自身による実験が示すように、熟達した読み手でさえ、その能力が衰えてしまう)。実際、デジタル画面で読む場合と紙の本で読む場合を比べた研究によれば、画面上で読むと細部の情報、記憶の順序付けなどが悪化することが明かされている。
私たちは紙の本という物理的な次元に、空間・時間を位置づけ、そこに入り込む。読みながら、じぶんはどこにいるのかを把握・記憶し、ときにはページを戻ったりすることで、熟読できるのだ。こうして知識の細部が、大きな全体像に結ばれる。
一方、デジタルは注意を散らし、予想力・記憶力を低下させ、外部の知識ベースに頼りがちなため、あふれる情報を分析・批判する能力も育ちにくい。こうして、自分のすでに知っている範囲の外には出ないような状況が生まれる。このことは、共感力の低下、異なる文化をもつ他者への無理解、ひいては民主社会への危機にもつながる。
次代に求められる「バイリテラシー脳」へ
だが、本書はデジタルを悪者扱いはしない。デジタル力も読み書き力と同様に、上手く育てていくことが欠かせない。そのためには、適切な時期に、適切な教育を、適切なデジタルツールによって進めることが望まれる。たとえば、コンピューターの言語記述(コーディング)や設計、プログラミングのスキルなどの習得も、精密な深い読みを促す。こうして子どもたちは、紙とデジタルの脳回路をそれぞれ育み、流暢に切り替えられる「バイリテラシー脳」となっていく。オンラインで読んでも、紙モードの対抗スキルを駆使して、文章を分析・批判できるようになるのだ。
もちろん、このような新しい学習法を実現するにはさまざまなハードルを越えなければならない。さらなる研究調査、専門家の育成、子どもたちが紙・デジタル媒体に接する機会の格差解消……などなど。著者自身も「キュリオス・ラーニング」、MITメディア・ラボのTinkRBookといったデジタル機器による学習プロジェクトにかかわり、推進している最中だ。
本書は最終章で、「良い読み手」が得ることのできる喜びについて語る。それは内省的な領域、「静寂の場所」であり、観想・熟考の生活、はてしない知恵の探究にほかならない。