火附盗賊改といえば、池波正太郎の小説『鬼平犯科帳』を思い浮かべる人も多いであろう。特にテレビドラマで中村吉右衛門が演じる長谷川平蔵が「火附盗賊改である!」と見得を切るシーンは有名だ。
ところが、小説やドラマなどで有名な火附盗賊改という組織がどのような組織であったのかと問われると、私をはじめ多くの人が明確には答えられないのではないか。そもそも江戸の治安を守っていたのは北町、南町の奉行所ではないのか?という疑問が湧いてくる。小説や映画、果ては漫画まで江戸時代を扱う作品は巷にあふれるように存在している。そのために、この時代の事はなんとなく知っているように思いがちだ。火附盗賊改もそんな存在の一典型ではないだろうか。
では火附盗賊改とはどのような組織であったのだろうか。それを知るには徳川幕府創世記の慶長・元和の時代まで遡る必要がある。戦国の余風が残るこの時代には滅亡した大名家の残党とも言うべき人々が新たな職に着く事も出来ず困窮していた。こうした者たちの多くが戦士としての生き方しか知らず、平和になりつつある世の中で燻り続けていたのである。
一度、戦闘員となった者たちが一般人として社会に復帰する事がいかに難しいかは、現代のアフガニスタンや内戦に明け暮れたアフリカ諸国を見れば理解できるだろう。当時の関東一帯も同じような状況であった。こうした者たちの一部、特に下級戦闘員出身の者たちが盗賊として跋扈していたのである。
そこで慶長16年に幕府は3人の足軽大将に部隊を与え常陸、下野に派遣する。賊たちも真っ向から受けて立ち戦端が開かれた。このとき多くの賊が討ち取られ、捕らえられた賊三百余人の全てが斬首された。この武断的な事例が後の火附盗賊改にも受け継がれていく。江戸の町奉行が主に江戸市内の治安を維持していたのに対し火附盗賊改は市中だけでなく関東一円を活動の場所とした。さらに捕物が中心の町奉行とは違い、初期の火附盗賊改は賊の殲滅をもっぱらの任務としていたのである。もっとも時代が下ると火附盗賊改も捕物を中心するようになった。
とはいえ、犯人を現場で切り殺す権利が制限されていた町奉行とは違い、火附盗賊改は犯人を斬殺する事に制限を課されてはいなかったという。本書の帯に書かれているように「殺しのライセンス」を持つ者たちだったのだ。
組織としての大きな違いもある。町奉行が役方と呼ばれる文官系なのに対し火附盗賊改は番方と呼ばれる武官系のトップである先手組頭が任命された。先手組頭とは戦国の時代の足軽大将のことで、戦さの際には先鋒として敵陣に切り込む武将達だ。華々しい部署ではあるが、損耗率が高く、勇敢な者でなければ勤まらない役職である。
江戸初期の火附盗賊改は戦国時代に武勇を馳せた家の子孫が任命されていたが、時代が下るにつれ家名と現当主との能力の差に乖離が現れるようになり、低い身分の者で武勇に優れた人物が任命されるようになっていく。ちなみに町奉行がひとつの役職であるのに対し火附盗賊改は先手組の指揮官に与えられる任務であり、先手組頭の任務と兼務されていた。
先手組頭の役高は1500石で「足高制」という制度が用いられていた。これは、1500石に満たない身分の者が先手組頭に任命された際に石高の不足分を任命期間中に限り支給されるというもので、上記の鬼平こと長谷川平蔵は400石の家禄で不足分がこの足高制によって支給されていた。
火附盗賊改は実入りよりも出費の方が嵩み多くの者が1~2年ほどで転任していたそうだ。火附盗賊改の歴史200年の間に役200人もの者が火附盗賊改に任命されている。そんな中にあって長谷川平蔵は9年もの間、火附盗賊改を勤めていた。武官のトップといっても戦争のない時代なので彼らの任務は将軍の警護という地味なものが多く、出世に関しては行き詰まり感がどうしてもぬぐえない。
しかし、元禄の頃の久貝中左衛門正方のように文官としての能力も備えた者たちが現れ、番方から役方に取り立てられ、実入りの良い遠国奉行などに抜擢され、幕閣へと出世する者も現れる。火附盗賊改は番方の出世登竜門のような意味合いが強くなっていく。
さて、江戸に名奉行がいたように、名火盗改と呼ばれる人物も存在する。その一人が中山勘解由だ。この男の苛烈さは同時代人を震え上がらせている。中山は侍、町民の区別なく怪しいと思った者を捕縛し、自身が考案した海老責と呼ばれる拷問で自白させ多くの人々を火刑にしている。その中には無実の人もおおく含まれていたのではないかと著者は指摘する。ではなぜこの男が名火盗改なのか。それは中山が火付改という職分を超えて、当時、町奉行でも手が出せなかった旗本出身のかぶき者集団「大小神祇組」を壊滅に追い込んだ為である。
詳細は本書に譲るが、アンタッチャブルな存在として武士、町人に恐れられていたアウトロー集団に果敢に挑んだ事により、その酷薄な面が相殺され名声を博したようだ。また鬼平こと長谷川平蔵は公平な裁判と自費をなげうって犯罪者予備軍たる無宿人の更生に尽力した事が高く評価されている。
また火盗改の敵となる盗賊団も興味深い。例えば日本左衛門こと浜島庄兵衛は100人から200人ほどの手下を率い東海道で暴れまわったという。現地の奉行や近隣の大名も手が出ず、自由気ままに振舞っていた。彼は基本的に殺しはやらなかったようだが、押し込んだ先の婦女を必ず強姦したという。また長谷川平蔵の時代、江戸では武家屋敷ですら抜刀した押込強盗の被害にあうことも頻発していた。
その代表格の一人が大松五郎という男で、浜島庄兵衛と同じく押し込んだ先の婦女を必ず強姦したという。多くの旗本の婦女が被害にあっている。大松は長谷川平蔵に捕らえられ、速やかに斬首された。本来これほどの大盗賊ならば市中引き回しのうえ獄門となるところだが、旗本の婦女子が陵辱されていたために、こっそりと処分されたようだ。
江戸300年はある種のノスタルジーを伴う牧歌的イメージが強く、人々が平和で安心して暮らしていた時代という思い込みがあるのだが、本書を読むと思っていた以上に治安が悪く、警察組織である町奉行や火附盗賊改が取締りに苦労していた一面が見えてくる。また犯罪という側面から江戸を見ることにより、この時代を生きた庶民たちの欲望が活き活きと蘇ってくる。新書という形態のため、歴史本といっても肩肘張らずに読むことが出来る。秋の夜長に楽しむのにベストな一冊である。