別世界、別次元を楽しむための小説の一節に不意にドキッとさせられることがある。「これ今、私の目の前で起こっていることじゃん!?」「あの生意気小僧、この主人公にそっくりだな。」「あのおばさんも確かにこんな感じだった。」「これ今の日本の状況と同じだな。」
フランス文学の面白いところは100年以上前に他国で書かれたものなのに、現在の日本を正確に捉えていて、現実世界とシンクロしながら、私の悩み相談の解決策を掲示してくれるほどリアルなところだ。
本書の著者、鹿島茂は、本好きなら誰もが知るフランス文学者であり、フランス文学や俗世に関して100冊以上本を世に送り出している。私は、『馬車が買いたい』『とは知らなんだ』などは大好きで、『パリ、娼婦の街』や『モンマルトル風俗辞典』を読んでやたらとフランスの娼婦文化について詳しくなったり、『鹿島茂 大読書日記』で新刊から足が遠のいてしまい、戻ってくるのに必死だったりと、存分に振り回されている気がする。「世間の人がまったく価値を認めていないもの」の中から価値を見出すその姿勢が全くブレないところが大好きだ。
しかし私は、鹿島茂大ファンと言いながら、フランス文学を読んだことがなかった。今回、本書『フランス文学は役に立つ!』を読んで、初めて『ゴリオ爺さん』を手に取った。初心者の背中をポンと押し出すような、フランス文学入門書の役割を果たす本書を、私は寝る前に少しずつ読んでみたのだが、軽く読め、それでいて内容は侮れない。
構成を説明しよう。時代は17世紀から20世紀にわたり、全部で24編著者によって選抜されている。「いまの日本を理解するのに役に立つか否か」という観点から論じた「講義」の部分が中心となり、また初心者が理解出来るように「あらすじ」が添えられている。さらに、もともとNHKの「テレビでフランス語」の教材として執筆されていたため、最後には「おさえておきたいフレーズ」がフランス語の原文と訳文で紹介されている。
なぜ、今フランス文学なのか。実は、フランス大革命は個の解放を歴史上初めて宣言した非常に大事な出来事であった。個と家族、個と社会の関係が劇的に変わり、新たな時代に突入する。そんな最中に生まれた文学作品の数々を、現代の日本では100年、200年の遅れをとってやっと受け入れるタイミングになったようだ。個の解放、つまり社会に頼らず自分自身の生き方を貫く、そんな価値観が浸透してきた現代だからこそ、「役に立つ」フランス文学を読み返すべきなのだ。
たとえば、「無一文で無一物な若者が上の階級にはい上がろうとするときにどんな障害に出逢い、それをどのように克服してゆくのか(『ペール・ゴリオ』『赤と黒』)」とか、「女性がだれの助けも借りず、結婚もせずに社会で生きてゆこうと決意するとどのようなかたちの恋愛が残されているのか(『シェリ』)」など、自分で生きると決意した後には避けて通れない難題が、200年の時を越えてフランスと日本を結ぶのである。
老若男女、気になる作品は様々だろう。例えば、私が『ゴリオ爺さん』に惹かれた理由は、田舎からパリに出てきて立身出世を目指す青年ラスティニャックのように、「やりたいことをやり、いきなり有名になって大金持ちになりたいが、面倒くさい努力は嫌いだ」という現代的プロトタイプを自分の中に少なからず認めてしまったことと、「金がすべて」の世の中で、悪魔に魂を売り渡すことなく、社会と闘うにはどうすればいいか、という不安がぴったりと重なってしまったためだ。社会で初めて孤独を覚えて、それでも前に進まないと食っていけないという現実に答えをくれる期待を無意識に込めていたことに気がついた。
本の価値が、ネットから得られない情報にあることは言わずもがなである。本書を読めば、「好きな人に一生愛される!彼の心をつかんで離さない、愛され女の特徴」とか、「モテるための5つの必要条件」などの安いネット情報を追いかける人生から解き放たれるだろう。また、社会がどのように変わり、個人にどんな影響を与えるか、大局的に物事を捉える勉強にもなり、読めば読むほど味が出てくるのも本書の魅力のひとつであろう。