ある朝、著者は携帯メールの着信音に起こされる。
2011年3月11日――。
彼女はアメリカ人だが母親は日本人、子どもの頃からしばしば母に連れられて日本を旅してまわった。福島県いわき市で禅寺を営む親族もいる。
メールはアメリカにいる著者に、日本での地震を伝える友人からのものだった。幸運にも、いわき市の親族は無事だった。だがそれがわかるまでの間、不安にかられてインターネットに接続してはすぐに出る、ということを繰り返していた。
知りたくてたまらず、それでいて知りたくなかった。(中略)そこに映る海岸一帯は、私が子供のころから見知っている、私の愛する日本ではなかったからだ。
じつは当時、著者は3年前に最愛の父を亡くしたショックから、心の病を患っていた。
何カ月もの間、私は自分の人生を父と祖父母が死ぬ以前の状態に戻そうと試みていた。そして、それができないとわかると――彼らをあの世から連れ戻せないとわかると――気が狂いそうになった。
震災後、著者はまるで「巡礼」のように日本の旅を繰り返す。津波の被害を受けた地域で僧侶とともに遺族を訪ねて話を聴き、永平寺や總持寺で禅の修行を体験し、京都でお盆の行事をみてまわり、高野山で秘伝の瞑想を学び、恐山でイタコを介して亡き父と交信し、遠野ではまさに『遠野物語』に出てくるような神秘的なできごとも体験する。
日本では遺族の悲しみは片道通行ではない。亡くなった者たちもまた、同じくらい私たちを恋しがっているとされている。たとえ私たちに巡礼をする時間はなくても、死者のほうは常に私たちを懐かしみ、私たちのもとに帰りたがっている。
本書は、大切な人を亡くした喪失感から少しずつ心が蘇生してゆく記録であり、優れた紀行文であり、内から外から日本を見つめた文化論でもある。
青森のねぶた祭りや松島の灯籠流しの情景描写は、かのラフカディオ・ハーン(小泉八雲:1850-1904年)の随筆を連想させるほど幻想的で、これが本当に現代の日本を描いたものかと不思議な気持ちになってしまうほど美しい。それでいて「第二の祖国」に向ける視線には、ちょっとした日常であっても、時おり「日本人ではない私」が現れる。
突然、一八歳になるかならないかくらいの若者が、うっかり一握りの小銭をばらまいてしまった。即座にまわりの男女が立ち止まり、硬貨を拾い始めた。(中略)三〇秒もしない間に、まったく見ず知らずの一〇人ほどが小銭を拾って若者に手渡し、すんなり元の歩みに戻ってラッシュアワーの通行人の流れに溶け込んでいった。のちに考えた。本能的な動作だとしか考えられないあの共同作業に、私もあんなにスムースに入っていけるだろうか?
周囲との違和感と、何度も向けられた「外国人のあなたにはわからない」という言葉。しかし、旅を続けるうちに、自身の内側から生まれた感覚の変化が綴られるようになる。
總持寺の座禅では、40人ほどの参加者のなかで、著者とその隣の男性の2人だけが最後まで警策で打たれなかった。寺の老師は「皆がここにいるからこそ、あなたたちはこんなに長く座禅を組めたのです」と語りかける。そして帰り際、隣にいた品の良い年配の男性と会話を交わすうち、心の中にある考えが湧いてくる。
話しているうちに、私があんなにも長時間じっと座っていられたのは、ひとえにその男性が隣にいたからだということが、しだいにわかってきた。彼もまた一度も警策を受けなかった。くしくもあの老師が言ったように、私は隣の人から強さを引き出していたのだ。
見ず知らずの12人で受けた永平寺での禅修行では、食事中の会話は禁止、全員同時に食べ終わるという規則があった。
そのとき、妙なことが起きた。事実、私はその場にいる一人一人が食事のどの段階にあるかを感じ取ることができたのだ。隣の女性はまだ三分の一しか食べていないので、彼女だけが取り残されることがないよう、私はペースを落とした。左のずっと端のほうにいる男性は食べ終わっていると感じた――早すぎる、この男性が早く食べ終わりすぎたことに誰もが気づいたとも感じた。全員の不安が伝わってきた。
こうした内からの変化や、喪失体験から立ち直れない人たちとの痛みの共有を経て、著者は現在の日本におけるメンタルケアのありかたにも疑問を投げかけている。
日本はよく西欧式の精神的ケアの導入が遅れているとの批判を受ける。けれども、それが対象個人の文化と結びついていない限り、最新の療法が常に最良であろうとする考えは危険ではないか。
そして訪れた、「死者の霊が生きている者たちと一緒に踊る」といわれる秋田県の西馬音内盆踊り。
(笠で顔を隠した踊り手たちは)私の目には誰もが同じに見えた。そのとき、修行僧たちの読経や動作が完全に揃っていた永平寺や、海や川の流れにもまれながらも小さな灯籠たちがくっつき合っていた灯籠流しで抱いたのと同じ感情が、私の中に湧き上がった。実際、人は一人ぼっちではない。生きていようが死んでいようが、一人ぼっちではないのだ。
この瞬間、父を亡くしてからずっと止まったままだった彼女の時計は、再び時を刻み始めたのではないか? 父の死の理不尽さに苦しみ、自分にもっとできたことがあったのではないかと後悔し続けていた彼女に、恐山で出会った僧侶はこう語りかける。
「仏教の真髄は、(心の)傷とともに生きるのが自然だという教えにあります。誰もが傷を抱えているし、またこれからも傷ついていくことでしょう。初めて聞く耳にはショックかもしれませんが、事実、これは完全に普通のことなのです。まったく、これにつきるのです」 大事な人を亡くした苦しみも例外ではないと、彼は言った。強烈な哀悼はこの傷の認識であり、それに慣れるには常に時間が必要なのだと。
再び歩き出すために、苦しんだ時間は必要だった。誰にとっても、喪った人は戻らないし、喪失の傷が完全に消えることはない。しかも現実は厳しくて、いま苦しみの渦中にあっても、著者のように日本中を旅してまわることができる人などきっとわずかに違いない。
でもだからこそ……、本書を必要としている人たちは少なからずいるはずだ。今はまだ時計が止まったままだったとしても、いつかその痛みとともに新しい時を刻み始める日が来てほしい。心から願っています。
詩情豊かに日本と日本人を紹介した名随筆「神々の国の首都」や「日本人の微笑」などを収録。
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「死者たちは『課題』を残していなくなるのではない。死者は、『課題』のなかで、君たちと共に生きる、ひそやかな同伴者になる」――東日本大震災の後、「復興、復興」という風潮のなかで見過ごされてきた「死者」の存在に光を当てた、人間への深い慈しみを感じる心の一冊。