東日本大震災から5年。この「5年」というのは一つの区切りの意味を持つようで、関連図書の出版が相次いでいる。その中でも注目の本が東北学院大学、金菱清ゼミナールが行った「震災の記録プロジェクト」をまとめた本書である。このゼミの学生と指導教官である金菱清が、被災地における問題が生存(survive)から、生活(life)にシフトしようとしている2013年から始めたものだ。
この5年間、被災地では何が行われ今に続いているのか。政府やマスコミ、インターネットでの情報しか知らない人たちは、この事実に驚かされるだろう。
石巻市や気仙沼市で多く見られるという幽霊現象。実際にタクシーに乗せたという経験を持つドライバーに直接インタビューを行った。彼らは乗車させただけでなく、会話もしている。初夏に厚いコートを着て乗り込み、いつの間にか消えてしまう。乗車記録が残り未収金となる。若い人が多いのも特徴のようだ。ドライバーたちは怖がるわけではなく、その存在を受け入れる。古くから日本人がしてきたことと同じだ。
おびただしい数の震災慰霊碑が建立されているが、旧閖上(ゆりあげ)中学校では死者を慰め悼むのではなく、彼らが生きていた証を記憶するための新たな試みがされている。
津波被害の象徴ともなった南三陸町の防災対策庁舎。「震災遺構」として残すか、遺族の心を思い解体すべきか。広島の原爆ドームの保存の視点からこの問題を探っていく。
先祖供養のためのお墓に関する問題も見逃せない。全て流された地域では、人々の心が休まるように新しいお墓の形が生まれ始めている。
本書では報道されなかったヒーローたちの姿も紹介されている。
672ものご遺体が仮埋葬として土葬にされた現場で、あらためて掘り起し、火葬にしていく作業についた葬儀社の9人だけのチーム。
津波のデッドラインにあたる水門の閉鎖を行った消防団の人々。
そして終わりの見えない原発事故の後始末。その一端として、野生動物の駆除にあたる猟友会が紹介される。高い放射線量が検出されるため、食べることもできない野生動物を殺生する意味と誇りは何か。
取材者の多く東北出身者で高校3年に進級する春に震災を経験した。それだけに東北地方に貢献したいという思いが強いという。自分たちの手で震災の記録が編まれたことは自信となり力となるに違いない。多くの人に知ってほしい一冊である。(週刊新潮3月3日号より転載)
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震災当時小学5年生だった彼らは、大人たちから「悲惨な事実を口にすること」を禁じられた。しかしいま、語ることは後の世の防災につながると勇気をもって人前に出る。子どもの視点だからこそ知られなかった真実がある。
仙台の地方出版社「荒蝦夷」。社長の土方は被災地から直接の言葉を本にしてこの5年間届け続けている。当事者だからこそ被災者に寄り添え、後の世の教訓を残すことができる。胸を突かれる本であった。