ダーウィン進化論は、信じられないほど少ない仮定で、驚くほど多くのことを説明してしまう。なにしろ、100万種以上といわれるほど多様で、かつその1つ1つが複雑な機能を備えている生命が、どのように実現されているかを誰もが理解できるように示してみせたのだから、驚異という他ない。またダーウィン進化論は、DNAがどのように遺伝情報を継承しているかというミクロな視点から、種が集団としてどのように発展するかというマクロな世界までを考えるための共通土台を提供することで、あらゆるレベルでの生物への理解を深めるために欠かせない存在となっている。
それでは、進化の果てに生み出されたヒトが作り出す文化について、我々はどれほど理解しているだろう。文化がどのように生まれ、伝達され、発展もしくは衰退するのか、そしてその過程に何らかの法則性があるのか、共通の理解は得られていない。さらに、文化を解き明かそうとする様々なレベルの社会科学的試み、ヒトの脳内での情報処理過程を明らかにしようとする脳神経科学から、集団生活を送る人々の振る舞いを探求する民俗学、より大きな視点から経時的変遷を記述しようとする歴史学まで、をまとめあげる枠組みも持ち合わせていない。文化理解において、わたしたちはまだダーウィン以前の段階にいるのだろうか。
本書は、生物と同様に多様で複雑な文化をダーウィン進化論の枠組みで説明し、社会科学統合の足がかりにしようという挑戦的な一冊である。文化進化と生物進化が類似しているという主張は、ダーウィンが進化論を発表した直後から行われていたが、より具体的な科学の成果が21世紀に入ってから急速に増えているという。ダーウィン進化論のレンズで文化をのぞきみれば、文字による歴史を残していない狩猟採集民がどのような情報伝達経路で矢尻のデザインを洗練させていったか、婚資制度(結婚を望む男性が、相手の女性に金品や財産を送る)と持参制度(花嫁の家族が新婚夫婦に金品や財産を贈る)がどのように変遷するか、文化の変化が加速するのはどのようなときかまでもが定量的に検証可能となるのだ。
2011年に出版された『Cultural Evolution』の翻訳である本書には、原著者による日本語版序文と竹澤正哲・北海道大学大学院文学研究科准教授による解説が付されている。この解説では、一歩引いた視点からの文化進化論の学術的位置づけ、原著出版以降の最新研究成果、本書以外の文化進化論のあり方などが簡潔にまとめられており、本文にとりかかる前に一読しておくと本書の内容がより深くできるはずだ。訳文も読みやすく、原著よりもお得な一冊といえるだろう。
本書における文化は、「模倣、教育、言語といった社会的な伝達機構を介して他者から習得する情報」として定義される。ここでポイントとなるのは、行動は文化から区別され、情報も“社会的な伝達機構を介した”ものに限定されていることだ。例えば、飲酒習慣の違いを考えるとその区分の重要性が理解できる。宗教による飲酒に対する忌避は文化的なものと考えられるが、個人的経験や嗜好からお酒を飲まないことや、体質的にアルコールを受け付けないことは文化とは関係がない。つまり、行動の違いの全てが文化によるものではなく、個人的学習による情報や遺伝情報は文化的情報とは区別されるべきだということである。
文化進化と生物進化はどの程度似ており、同じ手法で説明ができるだろうか。ダーウィン進化論の基本的な考え方では、生物の変化は変異、生存競争、継承という3つの基本要素から説明できる。著者は、言語の多様性や土器文様の変遷などを例に取りながら、文化の変化がこれら3つの要件を満たしていることを示していく。さらに、この3要素以外にも文化には適応・不適応や収斂という生物との類似性が証拠として提出されていく。もちろん、本書の目的は知的パズルのように文化と進化の類似性をこれでもかと挙げていくことではない。著者の目的は、あくまでも進化論の枠組みを活用することで、文化進化を理解することである。
自然選択が働かず、無作為なプロセスから小さな集団で進化的変化が生じる「遺伝的浮動」という生物進化の概念も、文化を読み解く有用な鍵となる。考古学者フレイザー・ニーマンは、考古学者が対象とする物(例えば陶器の模様)は浮動の影響を受けるはずだと考えた。ニーマンがそう考えたのは、模様のような人工物は機能的役割がないので自然選択が働かず、先史時代の集団サイズが小さくサンプリング誤差の影響を受けやすいためである。
変化を支えるプロセスにおいて浮動が唯一の存在となるときには、遺伝的バリエーションは徐々に減少し、浮動は集団が小さいほど速く進むことなどが知られている。そのため、人工物の変化に浮動が働いていると考えると、以下の様な予測をすることが可能となる。集団の有効個体が多いほど文化のバリエーションは豊かになる、集団間の伝達が多くなれば集団内の多様性は増し集団間の多様性は低くなる、集団間の伝達が減れば集団内は均質に向かい集団間は多様性が増す。つまり、集団内多様性と集団間多様性は反比例の関係にあるという予測ができるのである。
ニーマンは、ウッドランド期(紀元前200年~西暦800頃)の陶器装飾の実データを用いてこの予測の検証を行った。果たして、遺跡内の多様性と遺跡間の多様性には反比例の関係が確認された。さらに、ウッドランド期の中でも前期、後期で集団間多様性が高く、中期では低くなることが分かった。この結果は、前期・後期では集団間の交流が少なく、中期には盛んであったことを示唆している。この集団間交流の増減は、考古学者が従来前提としていた「時代とともに集団交流が増していくウッドランド」という仮定が誤りであったことを突きつけている。ダーウィン進化論に基づいた文化進化の考え方は、このように文化の新たな姿を定量的に示す力を秘めているのだ。
ここで紹介したエピソード以外にも、言語がヒトの認知能力に適合した構造に進化していく可能性を示した実験(これはチョムスキーの「言語習得の生得仮説」を否定する材料となるかもしれない)や、狩猟採集社会から脱工業社会へ変化していくに従って情報が縦の伝達(生物学上の親からの伝達)から横の伝達(同世代の他人からの伝達)へ移行していくことなど、読み飛ばせないエピソードが山盛りだ。ただし、著者も最後に「今後取り組むべき課題は非常に多い」というように、定量的に系統立てて文化をダーウィン進化論の切り口で読み解く挑戦は始まったばかりであり、本書の内容も今後大幅にアップデートされていくだろう。それでも、本書が文化とは何か、情報はどのように伝達されていくかを考える新しい視点を与えてくれることは間違いない。
木村資生による分子進化の中立説をしっかりと説明してくれる。数式もガンガン登場するが、じっくりしっかりと本文を追っていけば、面白くて途中でやめられなくなるはず。
「あなたのお気に入りの、深遠で、エレガントで、美しい説明は何ですか?」という質問に世界中の知のトップランナー149人が回答していく。最も多かった解答はやはりダーウィンの進化論であるが、その他にも多くの美しいセオリーがたくさん登場する。レビューはこちら。
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