センサなどによる詳細な観測で得たビッグデータにより、人間は他者からどのような法則で、影響を受けるのかが明らかになっているという。それを可能にしたのが「社会物理学」という新しい分野。
かつて『データの見えざる手』で話題を呼び、著者のペントランド教授と共同研究をした経験も持つ矢野和夫さん(日立製作所研究開発グループ)に「社会物理学」について解説いただきました。(HONZ編集部)
本書は、Alex ‘Sandy’ Pentland教授の Social Physics: How Good Ideas Spread-The Lessons from a New Science (2014)の全訳である。
ビッグデータに関しては、最近ではたくさんの書籍が出版されている。
それらの中で『ソーシャル物理学』に書かれていることは、他書の追随を許さない高みにある。どこが違うのか。著者本人には書きにくいことも含め、本書とペントランド教授の仕事を、私なりに位置づけて解説してみたい。
後に「ビッグデータ」と呼ばれることになる大量の実社会データを活用する研究が、今世紀に入り、マサチューセッツ工科大学(MIT)のある米国ボストンの地で立ち上がり急発展した。その中心人物が、著者のペントランド教授である。この動きの中で、本書にも紹介されている「社会物理学」の構想が、具体的な社会実験とともに組み上がっていったのである。
私は、著者のペントランド教授と、2004年から2009年まで共同で研究をする機会を得た。この動きに参画できたのは、幸運な縁であった。これをもとに私の研究は発展し、その内容を2014年に上梓した『データの見えざる手―ウエアラブルセンサが明かす人間・組織・社会の法則』(草思社)に綴った。拙著は2014年のビジネス書トップ10(Bookvinegar社)にも選出され、既存の枠組みを超えた点が評価されたが、今回改めて振り返ってみると、ペントランド教授から後に述べる隠れた重要な影響を受けていたことに気がついた。
なぜ「社会物理学」?
まず、なぜ社会物理学なのか、である。
社会を科学的に理解するということは、「社会科学」が学問としてとり組んできたはずだ。なぜ敢えて「物理学」という異質な学問と結びつける必要があるのか。
社会科学の目的が「社会を科学的に理解し、制御する方法を見出すこと」だとすれば、人類・社会にとってこれほど重要な学問はあるまいと思われる。
しかし、その「社会科学」が残してきた結果をみると、学者の間でのみ通じる難しい理屈や、現実からかけ離れた実験研究が多いことは否定できない。
これは社会を対象にしていることでやむを得ない面もある。シマウマや岩石を研究するなら具体的である。だが、貨幣、組織、制度など、社会を構成している概念はもともと人が頭でつくりだした抽象物だ。貨幣がただの紙ではないのは、そのように皆が信じているからである。人が信じているものが大事だとすれば、いきおい抽象的で理屈っぽくならざるを得ないかもしれない。
また、社会を定量化するために使われてきたのはアンケートである。例えば「1から5の数字で答えてください」というアンケートへの回答は主観的で精度が低い。少なくとも、自然科学での精密かつ定量的な、いわゆる「科学」のイメージからは大きく外れている。これが二十世紀までの社会科学の現実だった。
ところが2000年前後から、米ボストン地区の大学で新しい動きが始まった。ボストンはMITやハーバード大学などを擁し、米国の知的活動の中核都市である。一見独立に、あるいは直接・間接に交流しつつ、ノースイースタン大学のアルバート・バラバシ教授、ボストン大学のユージーン・スタンレー教授、ハーバード大学のデービッド・レーザー教授などによって、ITシステムに蓄積された社会の大量データを使って、社会の挙動を理解する研究が始まったのだ。MITのペントランド教授もその中心人物のひとりだ。
この中でもペントランド教授の発想は独創的だ。人の行動に関わる断片的な「ゴミのようなデータ」こそが重要だと考えたのだ。
人間を定量的に理解しようとするとき多くの人は、その人がどんなことをいったか、どんなことを書き込んだか、どんな仕事をしたか、などの意味のある行動記録が重要だと考える。
ところが、ペントランド教授の発想は逆だった。一見意味のない微妙な身体運動の大きさやタイミング、たまたま誰の近くにいたか、たまたま何を目にしたか、などに関連する「パンくず」のようなデータにこそ社会を理解する宝があると考えたのだ。
実は、これらのゴミのような情報は、無意識に人の行動の影響を受けており、社会の実情を忠実に映しているというのである。2000年ごろ、時代は携帯電話がネットにつながりはじめ、また企業は定型業務をコンピュータで処理するようになったころのことだ。大量の生活や業務に関するデータが日々情報システムに蓄積されるようになった。もともとは社会研究のためのデータではないが、これを活用することは、社会を定量的にとらえるレンズが得られたのに等しい。
物理学が過去400年にわたり、客観的な計測データによる検証・反証により発展してきたように、社会についてもデータによる検証・反証可能な科学が発展しはじめたのである。
この動きを牽引してきたのが著者のペントランド教授であり、それが体系化されたのが「社会物理学」である。本書には、コンピュータに溜まった大量のデータを使うことで見えてきた社会の法則性が多数紹介されている。
動的な特徴に隠された意味
しかし、一部の人にはこの議論の根本のところがわからないかもしれない。私がこれまでさまざまな場所で議論したところでは、以下の反対論が根深くある。
「人間に法則なんてないよ、もっとどろどろしたもので、国や文化によっても違うし、一律な議論しても意味ないさ。結局のところ、学者さんには理解できないところがあるよ」。
ここで「社会物理学」と「物理学」との類似性が重要な役割を果たす。物理学の基本法則(ニュートンの運動法則)には、速さの変化(加速度)という「動的」な特徴に普遍的な法則が現れる。すなわち、動的な特徴(加速度)に関しては、一見まったく異質に見える「リンゴ」と「月」にも違いはないのだ。もちろん月とリンゴでは、速さも動きもまったく違う。したがって速さそのものには法則はない。速さの変化=加速度に注目するとき、月とリンゴに普遍的に成り立つ法則が見えてくる。
ニュートン以前には、強い力を受けた物体が速く動くという素朴な見方が信じられていた。もちろん実際にはそんなことはない。強い力は大きな加速度になるが、速い動きには直結しない。それは状況(物体の質量や初期条件)による。
「社会物理学」も、社会ネットワークの中での「アイデアの流れ」という動的な成長プロセスの特徴(本書の中でいう「探求」や「エンゲージメント」、社会的学習など)に普遍法則があることを一貫して説いている点が重要だ。動的な特徴に関しては、国や時代によらないといっているのだ。一方で、上記物理法則がそうであったように、この法則は、国や時代により多様な現実が生まれるのをまったく妨げない。それは常に状況による。このような社会物理学による社会の理解は、従来の静的なルールや定常状態を前提にした議論を否定する。社会科学に物理が入ってくる必然性はこのあたりにある。より普遍性を高めた枠組みになっているのだ。
このような動的な世界の見方は、従来の静的な見方と対立する。マスコミ報道も、一般の人たちも、従来のステレオタイプなカテゴリ分けや静的な是非の議論を当然と思っている。
そこに新しいものの見方の枠組みを提示しているのが本書である。もちろん、社会全体のものの見方を変更するのは簡単ではない。ただし、そこに風穴を開けるのが、データによる定量的エビデンスであり、教授の提唱している社会的な信頼やプレッシャーを利用した介入技術である。
社会実験への執念
ペントランド教授は、単に法則性を見つけることでは満足しない。さらに社会を具体的に動かす介入方法についても、社会実験を通して深めている。その中には、人間に関する新しい洞察を与えてくれる結果がたくさんある。
私が特に刺激的に感じたのは「レッドバルーンチャレンジ」である(具体的なところは、本書の第7章を読んでいただきたい)。周りへの小さな親切を通して信頼を得たい、という人間の隠れた本能を促すシステムを創れば、300万人ものほとんど見知らぬ人々が、8時間という短時間に即興的に協力しあい、グローバルな問題を解決できることを証明した。
そこにあるのは、従来の階層組織での上司と部下の関係でもなく、売り手と買い手という取引関係でもない。もちろんマスコミと一般大衆のような関係とも違う。従来見たこともない大規模な協力の仕組みである。
ペントランド教授は、10年以上に渡り、大変精力的に実社会で実験を重ね、データを取得していった。本書にも紹介されているバッジ型のウエアラブルセンサ「ソシオメーター」やスマートフォンなどを使って、企業、病院、学生、地域などのデータを取得していった。ボストンでの実験に加え、途上国を含めた世界各国で新たな目的を設計し、データを取得している。
ここまで精力的に実世界で社会実験を行っている人は他にいないと思う。その構想力とエネルギー、そして人間を見る一貫した目にふれることができるのも、本書の魅力である。
一貫性
共同研究している期間に、私はボストンに出張して教授と話す機会がしばしばあった。その中で、特に印象に残ったことがある。
当時、我々はいろいろな場所において共同で実験を行っていた。それは銀行、病院、研修所、コールセンタ、大学など様々だった。当然のことながら現場が違えば、具体的な結果は異なる。ところが、ペントランド教授は、違う会社や業種だから違う結果が出て当然、というような思考をまったくしなかった。そのようなものの見方は微塵も見せなかったといってよい。
つねに、あらゆる現場での実験結果を統一して見ることのできる一貫した説明をしようとしていた。実験結果が増えるごとに、結果が増えるのではなく、すべてを貫く唯一の一貫した説明が力強さを増していくのである。読者は当たり前と思うかもしれないが、業種や国や地域が異なれば、結果は違って当然という見方が普通だった。それをまったく許さなかった。
この多様な実験結果に対する一貫性のある態度に、私は知らず知らずに影響を受けていた。最近の私の成果であり、幅広い企業で大きな関心を呼んでいる「ハピネス計測」(身体活動から個人や集団の幸福度を計測する研究)にも、これが活きていることに、この解説を書きながら初めて気がついた。ペントランド教授が本書で強調している、本人も意識してない影響の連鎖がここでも見られるのだ。
先日、私は研究チームの若手のメンバーから「矢野さんのハピネス論文のまとめ方がとても勉強になりました」といわれた。彼はその実験で大きな貢献をしたが、彼が出した結果がそれ以外の現場での実験結果と統合されることで、一つの実験だけでは見えない一貫性のある結論へと導かれたことに感心したようだった。
それこそ私が教授から影響を受けている部分だ。それはアイデアというより、ものの見方でありスタンスというべきものだが、教授が本書の中で「アイデアの流れ」というときの「アイデア」とは、このようなものを含めているのだろう。その「アイデア」が、ボストンのペントランド教授から東京の矢野へ、そして若い世代へと、社会のネットワークを伝わっていくのを目の当たりにしたのだった。
最後に本書の世界をさらに深めるための書籍を、読書ガイドとして紹介する。
ペントランド教授の前著である。『ソーシャル物理学』が都市や社会に多くの紙幅を割いているのに対し、『正直シグナル』では、より個人や少人数の振る舞いに多くの紙幅を割いて丁寧に解説している。本書と合わせて読むと、教授の思考の全貌が理解できる。
ペントランド教授の研究室で、ソシオメーターを使って精力的に研究を行った聡明な大学院生が著者のベン・ウェイバー氏である。学位取得、卒業後、ペントランド教授が会長、ウェイバー氏がCEOとしてコンサルティング会社「ソシオメトリックソリューションズ」が発足した(現在は、社名をヒューマナイズに変更した)。ウェイバー氏の著者では、コンサル会社のCEOとしてよりビジネス視点から、事例が紹介されている。
「ネイチャー」誌の編集者なども務めた著者は「社会物理学」という言葉を広めた人である。一見個人の自由な意思決定で行動しているように見える人間を物理学的な視点を通して見ることで、見通しがよくなる事例を挙げている。サイエンスライターの書いたものにふさわしく楽しく読める。
「社会物理学」の背後にある科学哲学の古典(原著1957年)。ポパーは「科学」と「非科学」を反証可能性によって区別したことで有名。本書ではさらに社会科学の方法として、マルクスに代表される歴史的必然に頼る方法を徹底批判し、社会を対象にしても科学の方法は一切揺るがず、物理学と変わらないことを論じきる。
ペントランド教授やウェイバー氏と共同研究の後、我々は、ハピネスやフロー状態の定量化やビッグデータから儲けを自動で導く人工知能などに研究を独自に発展させた。人の身体運動のデータが、ハピネスの定量化につながったり、最適な時間の使い方や運の定量化などにつながる意外性が大きな評判になった。