1972年5月15日の沖縄返還に先立つ、1971年8月15日。アメリカ合衆国大統領ニクソンは、ドルと金の交換停止を発表する。ニクソン・ショックである。
敗戦から急速に立ち直り未来へと時計の針を進めていく本土をよそに、なおも四半世紀にわたるアメリカの支配に耐え、ようやく返還の日を迎えようとしていた沖縄の人々の生活は、危機に瀕する。沖縄返還にともないドルから円への通貨交換を控えていたからである。
ニクソン声明を受けて日本政府はドルと円の交換率を変動相場制に移行すると決定した。事実上の円切り上げ=ドルの価値が下落する、最悪の事態なのである。
1ドルの価値が360円から305円へと55円目減りするならば、地上戦の地獄を生き抜き、アメリカ支配に耐えながら、沖縄住民が営々として築いてきた個人資産は一夜にして16%も失われる事になる。また沖縄は生活物資の80%を日本本土からの輸入に頼っており、円切り上げは深刻な物価高につながる。沖縄経済の混乱と、人々の堪え難い不安が如何ばかりのものとなるか、計り知れない。
この事態をどう乗り切るのか。沖縄住民の痛手を、少しでも軽減するためにはなにができるのか。
「ドル危機から生活を守る県民総決起大会」には約3万人が集まり、「ドル通貨の即時円切換えと一切の損失補填を要求する決議」「ドル防衛に伴う沖縄県民の損害に対する保障を要求する決議」が採択される。琉球行政府の屋良朝苗主席も大会にメッセージを送る。
沖縄の住民は、26年にわたって十字架を負わされてきた。いま、再び、ドル危機によって、住民に犠牲を強いられようとしている時、生活を守ろうとする住民の怒りがここに結集されたことは、当然のことである。わたくしは、この世論を背景に、住民の先頭に立って、問題の解決に全力を打ち込む決意を新たにしている。
アメリカはもはや返還が決まった沖縄の住民のために救済措置をしようという意志もなければ能力もなく、日本の外務省はアメリカには相手にされぬとばかりに対米折衝をしようとせず、大蔵省は実務の面から出来る事はないとの立場で、いずれも「しかたがないこと」と言わんばかり。
沖縄のために動こうとするものはいないのか。怒りと不安が急速に広がり、不穏な空気さえ漂うところに、鍵を握る人物があらわれる。総理府総務長官・山中貞則である。琉球政府副主席・宮里松正との極秘会談の席上、山中は言い放つ。
「沖縄県民のためにお前の命をくれと言ったらくれるか」
「そのときは山中大臣の命ももらえますか」
「おれも自分の首は切れる」
政治家が「命がけ」だの「首をかける」だのといったところで何ほどのものかと思いたくなる昨今だが、このときの山中と宮里が合意した内容は、まさに政治家としての生命をかけた、驚くべきものだった。
住民が保有するドル紙幣をすべて確認・検印してその額を確認し、預貯金については金融機関の台帳を封鎖したうえで債務を差し引いた純資産額を確定し、それぞれについて沖縄返還直後の通貨交換時に日本政府が1ドル=360円の交換率を補償する、というのである。
琉球政府はいわばアメリカ政府の下請けであり、アメリカ系の銀行をもふくむ金融機関の封鎖の権限が与えられているわけではなく、なんらかの理論武装がなければ、命令に従わせる事は難しいだろう。だが、アメリカに通告し、協力をあおぐ交渉を行えば情報は漏れる。この決定が外部に漏れれば、大量の投機ドルが一気に流入し、スキーム自体を破壊するだろう。
あくまでも極秘に準備を進めた上で、全住民の現金・預貯金を一気呵成に確認しなくてはならない。ごくごく一部のものだけが「世紀のドル確認作業」の計画の実行に向けて動き出した。
事務作業にあたるごく少人数のものたちは、マスコミをさけて役所を退庁後ひそかにとあるアパートの一室に集まり、缶詰になる。人の気配に明かりを消して、なりを潜めながらの作業である。
保有ドルの確認証に証紙がわりにちょうど発行予定があった記念切手を貼ろうとするが、桁違いの枚数を疑われずにどう発注するのか。また、大量の切手は税関の目を欺いて沖縄に運び込まなくてはならない。荷物の中身を調べられたら秘密が漏れかねないからだ。荷物を「開けさせない」ためにどうするか。山中が水面下で動く。
住民が持参したドル紙幣は、同じ紙幣がなんども確認証を得るための「見せ金」にならぬよう、一枚ごとに検印を押さなくてはならない。当初は直径3センチくらいの「琉球政府」のスタンプをドル紙幣に押印する予定でいた。が、すでに各離島にまでスタンプを持参した職員が配置された土壇場で、大蔵省からストップがかかる。回収したドル紙幣がアメリカから「汚損した」とねじこまれたら、くず同然になりかねない。
施政権返還に伴うアメリカ資産の買い取りに沖縄のドルを使うつもりの大蔵省が、おじけづく。「3センチは大きすぎる」というのだ。なにかどんな離島でも手に入るもので、かつ、小ぶりな印を押せるものはないか。苦肉の策で「あるものを使ってチョンと押す」ことを思いつく。
一連の計画に法的根拠を与えるためには沖縄の立法院において「通貨および通貨性資産の確認に関する緊急特別措置法」を通過させなくてはならないが、通貨に関する法案で議会の召集をかければたちまちマル秘作戦がバレてしまう。さてなんと言って議員たちを召集するのか。
投機ドルの流入を防ぐためには金融機関に強権的にシャッターを降ろさせなくてはならないが、そんなことは前代未聞。短期間に口座の名寄せをするのも気が遠くなるような大変な作業だ。銀行は、公庫は、協力してくれるのか。
つぎつぎに浮かび上がる難題を怒濤のごとく片端からかたづけて、何が何でも計画を実行しようとするエネルギーがすごい。沖縄のために、出来る事をするのだという気概である。
最後までああだこうだと抵抗する大蔵官僚を相手に、宮里は一歩も引かずに渡り合い、沖縄の住民が送ってきた厳しい戦後と苦労のありったけをぶつける。山中は竹下登官房長官を深夜に叩き起こして佐藤総理の裁断を求め、頑としてゆずらない水田蔵相と怒鳴り合いになる。一方、あざむかれたことを知りいきり立つアメリカ・ランバート高等弁務官を前にして、屋良主席も動じない。
著者の川平成雄氏は沖縄社会経済史を専門とする琉球大学の教授である。あくまでも学者・研究者として、事実を着々と、淡々と抑えた筆致で書き記している。にもかかわらず、その掘り起こされた事実はあまりにもドラマチックで、息をもつかせないほどである。次善の策として計画されたドル確認作業だが、返還に伴う通貨切り替えが引き起こした異常な物価高が沖縄を苦しめた事実は変わらない。
本書は、この「世紀のドル通貨確認作業」の顛末を描くにあたり、返還前のコザ反米騒動から語り始め、いまだのしかかる基地問題を描写して終わる。
あのとき、沖縄のために体を張るものがいたとして、なお、沖縄の背負う荷はあまりにも重い。
沖縄の島々は、人が住む島々ではなく、戦略のための島々でしかない。このような状況からいかにして脱するか。深くて長く続いている重い問いを考える際に、本書が一助ともなれば、幸いである
あとがきに記された著者の言葉が、胸にのこるのである。