ディープラーニング、機械学習、人工知能……正確な未来予測は無理でも、だいたいの方向性において人類は「技術的な進歩」を重ねてきたし、これからも重ねていくだろうということは予測できる。そしてその技術的な進歩が今後必ず起こるのがAI分野だ。本書はそのAI分野の「過去」から「現在」そして「未来」までを見通してみせるきっちりとした仕上がりの良書だ。
特に昨今ではディープラーニングが話題になることも多く、この単語を耳や目にしたことがある人も多いのではないか。ディープラーニングについて、「人間の頭脳における神経回路網を再現したニューラルネットの一種で〜」といくらでも正しい説明はできるが、まあその辺の事は込み入って長くなってくるので詳しい説明は本書に譲ろう。ごくごく簡単に、その最大の長所を抜き出してしまえば「情報の中から特徴を自ら発見できること」にある。以下、具体的にどのような事が出来るのかを紹介したい。
具体的に何ができるのか
たとえばGoogleは2012年にディープラーニング技術を使ったシステムにYouTube上の大量の動画を投入することによって猫や人の顔の視覚的な概念を学習するに至ることができた。ほら、これが猫の動画だぞ、特徴を抽出してみろ、と人間が猫動画を選別して渡したわけでも特徴をあらかじめインプットしたわけでもなく、自力で頻出する特徴量を検出して、概念を取得できたというのが衝撃的な部分だ。
これは2012年のことだから、3年経った現在では様々な分野に広がっている。たとえばFacebookであれば、日々投稿される数億枚の写真を分析し、今では撮影された人達が何をやっているのかを理解できるまでに至っているという。この技術もきちんと精度があがっていけば、一時の気の迷いで投稿されたような写真に対して「本当に大丈夫ですか」と警告を入れることができるようになるだろう。
次に何ができるのか
わくわくさせてくれるのが、専門家の間で「次の数年間でディープラーニングによって大きく進化する分野はどこか」という話題で、それが「自然言語処理」なのだという。我々が使うような言葉をシステムが理解するための技術が「自然言語処理」だ。収益源である広告の精度に関わってくるのでGoogleやFacebookはこちらに注力しているのだろうが個人的に期待しているのは「機械翻訳」の分野。
Kindleには元々、辞書をあらかじめダウンロードしておくことで単語をタップするだけで瞬時に辞書情報が表示される便利機能がついていた。洋書が読みやすくて重宝していたのだが、最近アップデートがかかって「範囲翻訳」ができるようになったのだ。英語⇒日本語の精度はまだかなり悪いが、ディープラーニングの応用研究がすすめば、人間が言語運用を行っている上で当たり前に行っている「文脈」などの把握を自力で特徴抽出して学習し続けるようになり、牛歩のような歩みを見せていた機械翻訳が一足飛びに進化する可能性もある。
うまくいけば数年後には一冊丸々機械翻訳で(不都合に目をつぶりながらも)他言語の本を読む事が当たり前になっていてもおかしくはないのだ。
現在の驚異
そして現在の驚異として興味深いのが、Googleがどんどん「ディープ・ニューラルネット」などの技術と、ロボット系の企業を次々と買収していること。『「器用に動くロボット・アーム」「人間とコミュニケーションできるヒューマノイド」そして「ロボットの頭脳に当たるAI」と、グーグルは自分たちが新たに組み上げようとする”何物か”に向かって必要なピースを掻き集めているように見えます。(P143)』と著者は書いている。
もちろんGoogleは「私達はこれこれの為に買収を繰り返しております」などと説明することはないのだが、識者の間ではグーグルは最新鋭のニューラルネット技術(AI)を組み合わせ柔軟に対応することのできる次世代ロボットを開発しようとしているのだろうというあたりで意見が一致しているらしい。
それの何が驚異なのか? Amazonも配送用の無人ドローン投入を狙っているし、今後介護や災害対応などロボットの需要が増えることはあっても減ることはない。良いことばかりなのでは? だがロボットが我々のごく身近なところに、日常的に存在するようになれば、ロボットを支配している企業はユーザとの情報のやりとりを行う際に発生する「無数のユーザの日常データ」を取得することができるようになる。
つまり「情報端末としての次世代ロボット」は、グーグルをはじめ米IT企業が、あらゆる業界の企業や一般消費者について深く理解し、彼らを内側から支配するために投入する「トロイの木馬」なのです。(P159)
まるで悪の化身か何かのようだが、次世代の重要なポイントであることは確かでここを技術的にもシェア的にも抑えそこねると情報の損失は大きい。
未来について
こうした人工知能の発展はこの先前に進むことはあれど後退することはほぼない。そうであるならば未来はいったいどこへ向かっているのだろうか。人間は打ち負かされてしまうのか。たとえば将棋電王戦では、AIを搭載したコンピュータ将棋ソフトとプロ棋士が対戦する団体戦が行われている。2013年からプロが負け越し、2014年ではプロは1勝4敗という結果に終わっているが、2015年はプロ側が「角成らず」でソフトをフリーズさせて勝つ等の超展開が発生した。
その将棋ソフトも最初は棋譜を読み込んでその能力を向上させてきたが、今では「ポナンザ」など十分に強くなり、プロの指し手を教師とすることの信頼性が怪しくなってきたものも存在する。そして次に起こるのは必然的に、自己から学ぶモデルになるだろう。現にポナンザは自己対戦を行い、8手先の局面を約9億個集めるような方法で機械学習させる作業を繰り返している。
人工知能が人間からの学習を終える事は、あらゆる分野で今後確実に起こる。人間の能力を超えて、人間に勝る知性を備えたAIの誕生。人間はそんなものを許容するだろうか? 著者はその問いに対して、今後直面するであろう未曾有の困難と危機に対処するためにも、「未来の人間はあえてそうした決断を下す」と考えていると述べる。
これに関しては多少別の意見もあるかなと思った。ミチオ・カク著の『フューチャー・オブ・マインド―心の未来を科学する 』の中で、iRobot社の創業者のひとりでもあるロドニー・ブルックスはこうした懸念に対して『ロボット工学と人工神経が進歩したら、われわれの体内にAIを組み込むことも可能になる。』と「融合する」可能性を提示している。
人工知能。それを敵だとか味方だとか、人類とはまったく別の存在であるとみなす考え方はあまりに現代的なものなのかもしれない。だがそこはさすがに、HDDやSSDの容量はより増え、安くなっていくだろうという予測程には明確に答えることのできない領域だ。
ひとつ確かな事として言えるのは、最初に述べたように未来は少なくとも技術的にはもっと進歩するということ。確実に世界変革の一端を担うであろうAIへの理解を深めるために、本書は現時点で最適な入門書だ。
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