始まりは騒々しい街中。子どもの泣き声に夫婦喧嘩の嬌声、食欲をそそる鍋を振る音。息遣いを生々しく感じさせるこの街の騒音が、男は無性に好きだった。突然、音に溢れるこの街に、ひときわ大きな太鼓のリズムが鳴り響く。音の源へ急いだ男の目は一人の少女の踊りに奪われた。その舞は、これまでに見たどんなものよりも激しく、華麗だった。衝撃的な出会いから男と少女の間に恋が芽生えるまで、それほどの時間はかからなかった。後にこの少女は男の妻となる。
奇跡的な出会いからの恋愛、多くのハードルを乗り越えての結婚だけでも十分に劇的だが、この少女は後にその歌と踊りで国民的スターとなるというのだから話題には事欠かない。ドラマになりそうな要素満載の筋書きだが、本書のストーリーは日本で放映されるようなドラマとは異なる点が多い。先ず、彼らが出会った街は東京でも、ましてやパリやニューヨークでもなく、コート・ジヴォワールの大都市アビジャンである。そして、このギニア出身の少女はグリオ(記憶した歴史や物語を楽器にあわせて語り歌う語り部)の家庭に生まれていたことも特筆に値する。何より特別なのは、本書の著者であるこの男が文化人類学者だったことかもしれない。
この本の物語は、1つのカップルの愛の物語でありながら、異文化交流の物語でもある。プライベートな話題が中心に据えられているが、この本の射程は「極私的な恋愛体験記」に留まるものではない。なぜなら本書は、文化人類学者がどのように世界を見ているのか、文化人類学がいかにして発展してきたかを教えてくれる、文化人類学入門書としての役割を果たしているからだ。もちろん、著者が経験した8日間に及ぶ結婚式など、個別のエピソードも格別に面白い。
本書には、文化人類学の礎を築いた学者や書籍が多数紹介されている。本文に加えて巻末の注でも、それらの本の要約や学問的な位置づけが解説されているので、見逃さずに読んで欲しい。今日的な意味におけるフィールドワークという手法を確立したマリノフスキーによる『西太平洋の遠洋航海者』から、死者が父親になることもあるというユニークな婚姻形態を明らかにしたエヴァンス=プリチャードによる『ヌアー族の親族と結婚』や人類学者でも読みこなすのが困難だというレヴィ=ストロースの『親族の基本構造』など、じっくり読み込みたくなる本の美味しいところが凝縮されている。
文化人類学者という職業は、なんとも厄介なものに思える。住み慣れた土地を離れて未知の価値観に飛び込み、長期間にわたってその地に溶け込む努力をしながらも、完全に同化することなく客観的な視点を保ち続けなければならない。そんな文化人類学者になるルートは大きく3つあるという。1つは大学でその魅力に取り憑かれて研究の道を志すという王道パターン。もう1つは第三世界でのNGO、ボランティア活動を経て大学院に入る迂回ルート。そして、著者もたどったという最後の道は、学生時代の貧乏旅行経由。世界中をブラブラし続けたい、という動機が一定数の若者を文化人類学へと導くのだという。
著者が街角で未来の妻ニャマと出会ったのは、博士課程を休学し、日本大使館の専門調査員としてコート・ジヴォワールを訪れていたとき。駆け出しの文化人類学者であった著者は、知り合ったばかりのニャマに戸惑うことも多かったそうだ。例えばニャマに「きみの民族、なに?」と尋ねても、その回答はときによって変わるのだ。あるとき「マンデングよ」と答えたかと思えば、「私はマンニンカなの。」と言う時もある。またあるときは「私はマレンケだから。」と返答するのだから、何がなんだか分からなくなる。彼女が虚言症でなく、状況に合わせて適切に言葉を使い分けていたことを知るためには、その「歴史的、文化的、社会的な背景を知る必要」があったという。
著者が感じたような戸惑いは何も国際的交流のときにだけ生じるものではない。自己と他者との間には必ず何かしらの違いが生じ、国籍や年齢が同じでも全く話が合わない、理解できないという経験をしたことのある人も多いだろう。著者は、そのようなときにこそ、「文化人類学との対話」が役に立つと言い、もっと「人類学する人」が増えることを願っている。異なる価値観と出会ったときに覚える違和感や戸惑いも、「人類学者ならどう考えるか」と一歩引いてみることで、少しは和らぐのかもしれない。
ヨーロッパの白人が植民地下の原住民の奇妙な習慣を記述する術として誕生した文化人類学は、様々な有益な成果・フレームワークを生み出してはきたものの、克服しがたい「上から目線」や柔軟で動的な社会を描ききることの困難さに苦しんでいる。近年の文化人類学のテーマはバラバラに分かれ、一般の人には馴染みにくいものも多くなっているという。それでも、価値観の違いが引き起こす摩擦が世界中で顕在化し、直接的な危機となり始めている現代において、人類学は他者を理解するための一助になるはずだ。本書で著者の体験を通して異文化を見る目を身に付ければ、私たちは明日からでも文化人類学者見習いくらいにはなれるかもしれない。多様性の全てを受け入れることは不可能でも、それを楽しもうという姿勢に学ぶところは多い。
日銀からから単身アフリカの地へ、ルワンダ中央銀行総裁として乗り込んだ著者の奮闘の記録。文化、価値観の違いを乗り越えて、現地の人々と崩壊した経済を立て直していく著者の姿には、1人の人間が成しうることの可能性の偉大さを感じる。
ポーランド出身の世界的ジャーナリストであるカプシチンスキのアフリカ縦断は、まさにアドベンチャー。著者は幾多の命の危機にさらされることとなる。「アフリカ」の一言ではとてもくくることのできない多様性に向き合いながら、各地の歴史や風土を楽しく知ることができる。
幼少の頃に夢見た「マウンテンゴリラになる」という夢が叶わないと知った著者は、ヒヒ研究者になった。アフリカでヒヒの集団に入り込むことで、種を超えた多様性と向き合う著者の姿はたまらなくユーモラス。文章を読んでいるだけで楽しくなってくる一冊。レビューはこちら。