山本朋史は朝日新聞記者として39年のキャリアを持つベテランだ。さまざまな部署を経験したが、事件取材が圧倒的に多かった。特ダネを抜いたり抜かれたりしたりしつつ、現場に拘って過ごしてきた。60歳で定年を迎え後も1年ごとの契約更新で記者の仕事を続けていた。
そんな山本が脳の異常を感じたのは61歳を過ぎた頃であった。記憶力には自信があったのに、少し前に聞いた人の名前が出てこなくなったのだ。大好きな競馬の競走馬の名前も思い出せない。しかしそんなことは周りを見ればみんなあること。加齢のせいにしていた。
だがある日、取材日程をダブルブッキングしてしまう。いままでの記者人生でありえないことが起こった。これは絶対におかしい。彼は医療関係者のアドバイスに従い、東京医科歯科大学病院精神科にある「物忘れ外来」に飛び込んだ。
認知機能検査を受け、MRIとCTの精密検査の結果、症状はまだ軽いが認知障害の疑いがある(MCI)という結果に驚愕する。
診断をした筑波大学の朝田隆医師の勧めで、認知症早期治療としてデイケアにおける認知力アップトレーニングを受けることを決意する。その実体験を週刊朝日に連載したルポ、それが本書の骨子となっている。治療は自腹、すべて自分が体験したことだ。巻末には治療にかかった費用も記されてる。
筑波大学附属病院でのトレーニングが始まった。週に一度、南千住の自宅から約2時間の病院へ。午前9時開始、午後3時半終了。その間、記憶力のテストや認知症患者のために開発された「アタマ倶楽部」というゲーム、思い出をみんなに語ったり、どのくらい大きな声を出せるか計測したり、ステップダンスをしたり、体力テストを行ったり、と果たして何の役に立つのだろう、と訝るような訓練が続く。最初は長くトレーニングを続けている高齢者にかなわない。
数回のトレーニング後、その効果が期待できるものだと判断し他の患者からの合意も得た著者は、ルポ連載を開始した。誌上で自分は軽度認知であることをカミングアウトしたことで、最初は対応に困っていた周囲も、やがて何でも聞いてくるようになる。何十年も同僚として働いてきた仲間が、どうなってしまうのか心配であるとともに、明日は我が身、同じことが起きうる、と心の準備もあるだろう。多くの読者から反響があったのも頷ける。
どのようなケアが行われたか紹介しよう。
まずは筋トレ。負荷をかけた運動に痛みを感じなかったら、それは認知障害の始まりなのだそうだ。認知症の患者は、感覚神経が脳につながっていない。だからいくら徘徊して歩いても疲れを知らず、足の痛みも感じない。どの運動が一番効果的か研究した結果、トレーナーの本山輝幸が考案した本山式トレーニングはかなりハードなものだった。
本の中ではモノクロ写真だが、編集部からお借りしたカラーでみると、被験者の顔でそのきつさがよくわかる。このように身体の各部を細かく分けて行うエクササイズが10種類以上。1時間ほどの運動で汗びっしょりになるそうだ。先生の筋肉がすごい。
他にも美術療法や体を動かしながら脳を活性化させるシナプソロジーという独特のエクササイズ、料理、楽器演奏、社交ダンスとプログラムは多岐にわたる。参加者は仲間と交流を持ち、ケアに参加することを楽しみにするようになっていく。
それにしても、認知症を治す、あるいは進行を止めるため、なんと多くの医療以外の専門家が様々な療法を考案しているのだろう。多くは身近に認知症患者を診たことがきっかけになっているようだが、要は脳に刺激を与え活性化することに尽きる。それも同じことを繰り返すのではなく、手を変え品を変え、新たな刺激を与え続けることで進行は遅れていくようだ。
実感としても、かなり改善されたようだ。数カ月に一度行われる検査の数値も目に見えてよくなったうえ、持病のアレルギーや中性脂肪値、悪玉コレステロールの値も目に見えて改善されていく。体重もいつの間にか落ちて、体はどんどん元気になっていく。
家族の悩みも深い。このケアトレーニングには認知症を発症した配偶者や子供が付き添ってきている。かつては近所や親せきに隠すため、家族のストレスは大きかったが、このようなオープンな場があることで、お互いの悩みを相談でき、笑いあうこともできる。
スタッフが経験豊かであることも、患者や家族にとって大きな支えになる。患者への対応だけではなく、生命保険や年金の手続き、住宅ローンの免除、認知症の種類の特定など、症状に合わせてのサポートは本当にありがたいだろう。
実は私の舅は阪神淡路大震災で家が全壊したことで、認知症を発症した。まだ60代であった。20年前は、今のようにまわりの理解もなく、病院も少ない。ようやく見つかったのは、神戸から遠く離れた滋賀県。両親は2時間半かけて、その病院に通った。そこで治療は程度の差こそあるが、本書のように仲間と一緒にケアするもので、何より家族会が支えになったという。効果も顕著で、舅はやがてできてきたデイケアなどを使い、10年もの間、家庭で普通に暮らすことができた。今思うと、非常に先進的な試みをやっていたのだということが理解できる。
しかし認知症に完治はない。このトレーニングを卒業したら、果たして自分はどうなるのか。多くの予備軍が彼らの背後に控え、もしかすると私も、と少し怯えながら本書を閉じた。50歳を超えたら、心の準備として読んでおくことを進めたい。ボケてたまるもんですか!
この連載から山本朋史は昨年11月に東京で行われた国際的な「認知症サミット後継イベント」のオープニングスピーチに抜擢された。出来はまあまあだったものの、致命的なミスをひとつしてしまう。それはぜひ本書で。
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渡辺淳一氏の秘書を長く務めた著者が経験した介護詐欺。まさに「明日はわが身」と戦慄した。
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