『私が弁護士になるまで』文庫解説 by 笠井 信輔 菊間に関する2、3の指摘

2015年1月15日 印刷向け表示
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私が弁護士になるまで (文春文庫)

作者:菊間 千乃
出版社:文藝春秋
発売日:2015-01-05
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「ちょっと待って、俺が書くの?」。文庫本の解説など書いたことがない。ほかに適任者がいるはずである。しかし電話の向こうでは、あっけらかんと「だって、私が書いた2冊の本の両方に出てくるの笠井さんだけなんですよぉ」。電話口なのに、下からいたずらっぽい目でこっちを見上げたような物言いに負けてしまい、返す言葉が見つからない。こうして、局アナから弁護士になった初めての女性のエッセイの巻末に駄文を献上することになった。

確かに、私と菊間の関係は浅くはない。『私がアナウンサー』、そして本書に、私が“皆勤賞”なのもその表れなのだろう。

平成7年に彼女が入社してから、その仕事ぶりを見て、自分と似たアナウンスマインドを持ち合わせていると感じていた。くちはばったい言い方だが、「少しぐらい話がちらかっても心を伝える。情報の芯を感情も含めて伝えようという意志の強さを持つアナウンサー」と言えばいいか。何よりも、当時美人アナが注目されていたアナルームに、日焼けした色黒のひまわり娘が入ってきたのだ。これはこれで目立った。同期の杉浦(高木)広子アナが雪のように透き通る肌だったからということもあるが(笑)、ガテン系と清純派というくらい両者は異なるキャラクターで、杉浦は「広子ちゃん」と親しみを込めて呼ばれる一方、菊間は千乃(ゆきの)という難読で個性的な名前を持つにも拘わらず、「ゆきちゃん」「ゆきの」「ユッキー」などと呼ばれることはなく、いつまでたっても「きくま!」(笑)。いやむしろ親しい者ほど「菊間」と呼んでいた(よって、ここでも“敬称略”)。

菊間と仕事をしていると、思い切りがいいので、何か男同士の友情が芽生えそうな関係が構築される。おそらく、ロースクール仲間や同僚弁護士の皆さんもそんな感覚になっていると思われる。

ところが、菊間は突然女子っぽい素顔(注:色香ではない)を見せる瞬間がある。そんなとき、男どもは思わず首を縦に振ってしまうのだが(この文章を受けた時もそう)、こうした処世術を、彼女は戦略的ではなく生まれつき持っているような気がするのだ。さばさばとした性格の中の女性らしさは(実はこう見えて、けっこう弱い部分もあるというのは、本書を読んだ方ならお分かりだろうが)、彼女の最大の魅力であり、今後の弁護士活動にも大いに役立つと思われる。

ただ、このいかにも男の子っぽい菊間のベールの下の「女子」を敏感に感じ取る者は、彼女のことをちょっと斜めに見たりする。

すべての人間を味方につけそうな菊間の明るいキャラクターの数少ないウィークポイントはここのあたりかな、と私は感じている。こんなことを知ったように書くと、本人から「そんなことないですよー」と笑いながら否定されそうだが……。 

話を新人時代にもどそう。明るい性格を買われて、バラエティで成功するかと思われたが、新人時代に抜擢された明石家さんまさんとの新番組は、わずか7回で打ち切り。起用されなければ、アナウンス室にいる時間が長くなる。しかし菊間は、なんとなく時を過ごすのではなく、いつも新聞や硬派な雑誌を一生懸命読んでいた。

暇があれば情報(新聞・雑誌・ネット・映画鑑賞・観劇など)をむさぼる情報欲の強い人間は、報道・情報番組に向いている。私は2年目になる菊間を誘い、当時、私がメイン司会をしていた土曜朝の情報番組「THE WEEK」にリポーターとして起用してもらった。ところがこれが伝説的番組で、レギュラー出演者が舛添要一&猪瀬直樹&海江田万里などなど……のちに都知事や民主党代表になる論客ばかり。

2年目の菊間がスタジオで事件や政治経済の解説をしても、ゲストの方が詳しいのだ(笑)。毎週スタッフルームで泣いていたような気がするが、そんなことでは彼女はへこたれない。番組が終わると、おっかなそうなオジサマたちと積極的に会話をしていろんな知識を吸収しようとしていた。

さらに、週一回の番組のためにすべての時間を拘束されているのに、VTRやスタジオの出演時間があまりに短いことを疑問に感じ、もっとアナウンサーとして働きたいと訴えてきた。私は局近くの喫茶店で「自分も六年目位まで、取材に出てもマイクを持つ手しか映らないなんてことがよくあった。焦らない」と話した記憶がある。

そして入社3年目で担当になった「めざましテレビ」で事故は起きた。周知のとおり5階建てビルの窓から生中継中に転落し、腰の骨を折る重傷を負った。実はこの時、我々が聞かされていたのは「手術をしても一生車いす生活になる可能性が高い」という最悪の情報だった。私も覚悟した。車いす姿の菊間にどう声をかけるかまで考えていた。

しかし、本人のリハビリの努力もあり、奇跡の退院。ただこの時なぜか私は(恐らく私だけだと思うが)ワイドアナ独特の勘で、退院を祝うより「とにかく写真誌に気をつけろ!」と口を酸っぱくして菊間に言い続けた。しかし本人は笑顔で「大丈夫ですよ~」と糠に釘。するとしばらくして、彼女は当時の交際相手との退院後デートをフライデーされたのだった。それ見たことか!である。自分で決断・判断できる女性なので、人の話をまともに聞かないときがあるのだ。ここも指摘しておきたい。

入社5年目、ついに菊間にメイン司会の仕事、昼ワイド「2時のホント」の依頼が来た。ここで菊間は「この仕事を受けるべきか否か」を私に相談しに来た。「入院の時に受けた取材がとてもいやだった。自分がいやだった事と同じような事をするワイドショーの司会をするべきでしょうか」。私は、阪神大震災の取材経験など、ワイド番組の功罪のうち“功”を語り、外でとび回る菊間のスタイルに一区切りつけるためにも、スタジオMCであるこの仕事を引き受けることを勧め、彼女は受けたのだった。

TV画面上は考えるより前にまず走るように見える菊間は、実は、何かことを起こすときにはかなり考えてから行動に移している。入社5年でメインMCなら、喜んで受けそうなものだが、この番組でいやな気持になる視聴者がいるかもしれないという立場の弱い人たちへの思いは、何も弁護士を目指していて生まれた感情ではない。山あり谷あり(この谷が深い深い)の人生の中で、自分がくじけそうになった経験が彼女の周りに対する目の配り方を深めていると思うのだ。もしかすると、それは弁護士の仕事をするために培われたものなのかと思う程、彼女の人生は何かに導かれているがごとく弁護士につながってゆく。いや、また知ったようなことを書くと、「自分で決断してきめてますよー」と言われそうだが……。

人の記憶というものは曖昧である。菊間はてっきりもう一つの谷間(入社11年目、未成年者との飲酒問題)で全番組降板というあまりのつらさから、逃げるようにロースクール(弁護士という道)を模索したのだと思っていた。多くのフジテレビ関係者もそう感じていたと思う。しかし、彼女がロースクールに通い始めるのは全番組降板の数ヵ月前だった。私が本書の中でもっとも感銘を受けたのは、冒頭の15~16ページの部分だ。彼女はシドニー五輪からアテネ五輪への4年間、女子バレーの頑張りを見て「私はこの4年間なにをやってきたのか?」と自問自答している。しかもアナウンサー業が楽しいと感じているときにだ。

ここが菊間の菊間たるゆえんである。その半生を俯瞰してみると波乱に満ちた流れの中で、すべては弁護士になるための出来事であり、導かれるように弁護士になったと総括できるのだが、これらはみな自分に対する真剣な評価があってこその選択だったのだと思う。辛いから別の道とか、とりあえず、今はうまくいっているからこの流れに乗ろうなどという発想は、彼女にはないのだ。

その菊間が、突然結婚した。

驚いた。自分の全く知らない人であったことも驚きだった。放送界でも、もうひとつの法曹界の男性でもなかった(きっと、また自分に対する真剣な評価をしたのだ)。披露宴の菊間は美しかった。相変わらずあっけらかんとケラケラ笑うので、今日ぐらい花嫁らしくできないものかと思ったりした。

そして回ってきたスピーチで私はこう話した。「私は、これほど自分の人生を自分の力で切り開いてきた人物を知りません。これからもそういう人生を歩む女ですから、夫についていくということはないと思います。ただ、『そうやって自由に生きていいよ』と言ってくれる人だから、菊間はあなたを旦那さんに選んだのだと思います。覚悟してくださいね」。

人生は一人で歩むより二人で歩む方が楽しく力強いが、難しい。まだまだ、菊間の山あり谷ありは続くのだ。

笠井 信輔(フジテレビ・アナウンサー)

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