全3回に渡った「青木薫のサイエンス通信」番外編。最終回にしてついに『エピジェネティクス』の紹介に入ります。様々なサイエンス・ノンフィクションの名著を翻訳されてきた青木薫さんは、『エピジェネティクス』をどのように読んだのか? 過去記事はこちら → 第1回、第2回
で、本の中身です。もちろんエピジェネティクスについて書かれているわけですが、私はあえて、これを細胞ワールドへの手引書ととらえたいですね。
はっきり言いますが、細胞は、現代生命科学の重要なキーワードだと思うんです。 「え? 細胞って、あの、玉ねぎをカミソリでスライスして、顕微鏡で見たやつ?」と意外に思う人もいるかもしれませんが(若い人はやってないのかな?)、今では細胞がとてもとても豊かな世界であることが明らかになってきています。少しも大袈裟ではなく、それは一つの世界だ、と言っていいぐらいだと思うんです。
人間を低分子(水H2Oとか)だとすると、ひじょ~~に大雑把なスケールの話として、細胞は、中世の城壁都市くらいの大きさとイメージしてみてください。都市を取り巻く城壁(細胞壁)の外側には、農地や森林が広がっていて、壁をとおして物資が都市に入り込んできますし、あちこちにある都市(細胞)との交流もあります。城壁のうちがわにはさまざまな構造物があり、さまざまなギルドが活動し、多種多彩生活が営まれたいます。
そこにはどんな生活があるのか? それはどんな世界なのか? どんな力が働いているのか? どんな役者が登場するのか? それを知るためには、その世界の基本的な成り立ちを知らなければなりません。われわれの住む世界とは別世界を舞台とするSFを楽しむためには、その世界の仕組みや登場人物を知らなければなりませんよね。たとえば三宅乱丈の『イムリ』(マンガです^^;)の世界に入り込むためには、マージが何なのか、イコルが何なのか、光彩が何なのか、促迫が何なのかを知らなければ話にならないのと同じです。
その世界の仕組みと、主要登場人物を知る。そのためには、『エピジェネティクス』の第二章をがっちり読んでください。仲野さんは、難しければ飛ばしてもいい、な~んて優しいこと言っていますが、私は、あえて、石にかじりついてもここは突破してほしいと思うんです。こんだけコンパクトな章ひとつ読めばいいんですから、あっちこっちの本を読むより効率的ですよ! すいすい読めなくても気にすることはありません。いやむしろ、すいすい読めなくて当然です。「これって何だっけ?」と思ったら、ちょっと戻って確認してください。ここを突破すれば、後はホイホイ読めます!
私は本書を、「細胞ワールドへの手引書だ」と言いました。しかし、「それはちょっと違うんじゃない? 細胞ワールドとはいったって、しょせんここで扱われているのは染色体まわりだけだよね? 細胞ワールドへの手引書とまで言うのは、ちょっと大げさなのでは?」
ある意味では、その通りです。しかし別の意味では、そうでもない。
それがどういうことかを簡単に説明したいと思います。
中世ヨーロッパの知識人が書いた宇宙論の書物などを読むと、いきなり三位一体から話が始まったりするんです。なんで三位一体!? と私も最初はびっくりしましたが、考えてみれば、当然なんですよ。全能の一なるものから、この多様で豊かな森羅万象が生まれる。三位一体は、その指導原理みたいなものですから。
それと同様に、細胞ワールドもまた、全能の存在(受精卵)から、約270種類、数十兆個の細胞ができてくる。エピジェネティクスは、その多彩な世界(私たち生きものの、この体)を創りだす指導原理みたいなもんなんです。そのことを念頭に置くと、あちこちでの仲野さんの言葉が、ふっと腑に落ちるかもしれません。
本書には、いろんな名前や、いろんな概念が出てきて、かなり難しく感じることもあるでしょう。しかし、私が請けあいますが、どれもこれもみんな簡単です。だって、どれもみな、私たちを構成する細胞の中の、具体的なモノやプロセスのことなんですから! もう、ほんっとに具体的な話なんです。抽象数学の概念を理解するのとは、それこそ天と地ほどもちがいますから。
本書を読んでいて、ちょっと難しいな、と思ったら、「大丈夫、大丈夫、具体的な話なんだから」と心を落ち着かせて、一歩一歩進んでみてください!(わたし、もしかして、脅かしてますか?(笑))
パート1で述べたように、エピジェネティクスに関する本は、優れたものがすでに何冊も出ています。人それぞれとっつきやすいと思うものから、読んでみてください。そして、パート2に述べた「構え」を身に付けるために(これ大事!)、そしてパート3で述べた、「手引書」をひもといて細胞ワールドの指導原理に触れるために、ぜひ、本書に挑戦してみてください!
※本稿は青木薫さんのFacebook投稿をそのまま原稿にしております。