【連載】「男のパスタ道」第1回ペペロンチーノを極める

土屋 敦 2014年8月25日 印刷向け表示
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おいしいパスタを作りたい。その一念だけで『男のパスタ道』を書いた。パスタを作るひとつひとつの工程を検証して、最善の方法を探る。それを積み重ねることで、とびきりのパスタを完成させる。それが目的だ。

ゆでるときの塩が、まず大問題

おそらくもっとも重要なのは、パスタをどうゆでるべきか、ということだ。あらゆるパスタ料理に共通する工程であり、料理本・雑誌やインターネット上には、実にさまざまなアドバイスが溢れている。ただし、ゆで汁に塩をたっぷり入れろ、いや入れなくてもいい。塩は水が沸騰してから入れろ、いや最初に入れるんだ。岩塩を使え、いや海塩だ……。相反する意見が並び、正解を見つけるのは難しい。私も以前、生活情報サイトのオールアバウトに「ゆで汁に塩を入れないでパスタを茹でるとどうなるか」(http://allabout.co.jp/gm/gc/378964/)という記事を書いたが、これは非常にたくさんの人に読んでいただいた。「パスタのゆで方と塩」問題に関心を持ち、正解を求める人は多いのだ。

ゆでる際に入れる塩とパスタの関係については、塩がパスタのコシを生む、という解説もよく見かける。理由として挙げられるのは、「塩を入れると沸点が上がるから」「塩がパスタのグルテンを引き締めるから」など、さまざまである。しかしよく考えると、沸点は何度上がり、それがどういう形でパスタに影響を与えるのか? グルテンはどんな性質を持っていて、具体的にどう「引き締められる」のか? 分からないことだらけだ。さらに突き詰めれば、そもそもパスタの「コシ」とはどういう状態を指すのか、という当然の疑問に至る。

それで気づいたのは、コシという言葉をきちんと定義したうえで使っている人がほとんどいないという事実だった。我々はどういう状態のパスタをおいしいと感じ、それはなぜなのか。そこまでさかのぼって納得したい。となると、パスタの原料である小麦の特性、パスタの製法、小麦の成分の熱変性まで、あらゆることを自分で調べざるをえない。

コシとアルデンテの違いを再定義

この本の執筆をはじめてから、私はちょっと自虐的に「書斎派パスタ求道者」を名乗っている。家にこもり、さまざまな文献・論文を読み、理解したことをもとに仮説を立て、キッチンで実験し、試食し、調理法を改善し、疑問が生じればさらに論文をあさる。こうしたことを延々と行っていたからだ。はたから見れば、どうでもいいような実験をくり返している。塩の量でパスタの歯ごたえがどう変わるか、という実験はもちろん、パスタを水からゆでるとどうなるか? 電子レンジでチンでは無理なのか? スパゲッティなどのロングパスタはどの程度の長さが食べやすいのか? 昔の南イタリア庶民のようにパスタを手で食べるとどんな気持ちがするのか? など、おそらく世のパスタ好きでもやっていないような奇妙な実験もやっている。

徒労に終わった実験も多かったが、いくつかの実験からは大きな収穫もあった。例えばパスタの原料であるデュラム小麦からタンパク質とデンプンを取り出して、それぞれゆで、何が起きているのかを観察した。その過程で、麺の食感について、そしてコシとアルデンテの違いについて、明確に再定義できた。ゆでるという行為ひとつとっても、それを理解するには科学的アプローチが不可欠だ。実験をくり返すなかで、インターネット上の記述だけでなく、パスタに関する本やプロであるシェフたちの解説にも間違いが多く、料理の世界がいまもさまざまな迷信にとらわれていることを思い知ったのだ(加えて言えば、私自身が過去に書いたインターネット上の記事にも、訂正・加筆が必要なことが判明した)。

『男のパスタ道』には、既存の「パスタ本」に載っていないことが、たくさん書いてある。特に最後に記したペペロンチーノのレシピは、これまで書かれてきたものとはまったく違う新しいものであると自負している。ゆで方についても、ものすごく細かな部分までいちいち検証することで、多くの迷信を吹き飛ばすことができたと思う。まだ仮説の部分もあり、精度の高い機械で専門家によって検証してもらう必要はあるが、パスタ愛好家同士のさまざまな議論に対する最終回答に近いところまでいったのではないだろうか。

ただし、なにしろ実験環境は家のキッチンである。結果がほかの要因に左右されていたり、素人である私の解釈が間違っている場合もあるだろう。それでも間違いを恐れずに自分なりの結論を出してみた。専門家の論文でさえ、ほかの研究者の追試をへて、ようやく認められていく。皆さんも、ぜひ本書の実験を追試してもらいたい。そして間違いがあったら教えてほしい。それがくり返されてレシピが修正されれば、パスタ愛好家の力で日本のパスタはどんどんおいしくなっていく。それこそが、私の望みである。

「おいしいパスタ」とは何かを考える

さて、ここまでは『男のパスタ道』のプロローグの最初の部分とほぼ同じ内容だ。この本、「パスタ道」とタイトルにはあるが、実はいわゆる「ペペロンチーノ」のレシピしか載っていない。当初からペペロンチーノのレシピを中心に本を作ろうとしていたのだが、それだけでとても一冊分の文章を書けるとは思えず、トマトソースやクリーム系のパスタの話も付け加えるつもりだった。

ところが、フタを開けてみると、ペペロンチーノだけで20万字近くを費やしてしまい、新書の標準的な文字数に収めるため、苦闘しながら削るはめになった。この本は全体がひとつの「ペペロンチーノのレシピ」のつもりでもある。通常のレシピでは、ひとつの手順はせいぜい50字程度。よく「手順1:鍋に塩と水を入れて沸騰させ、パスタをゆでる」などと書かれているが、この本でその部分に該当するのは第1章〜4章で、ここには8万字を費やしている。同様に、第5〜7章の、オイルソースをどう作り、どうからめるかだけで6万字だ。いうなれば、たったひとつの料理に14万字を費やした世界一長いレシピである。

この連載では、その「世界一長いレシピ」のうち、最初の手順であるパスタのゆで方を中心に、本の内容を抜粋しつつご紹介する。果たして塩は入れるのか、入れるならどれぐらいの量をいつ入れるのか。ゆであがったパスタにどんな違いが出るのか。そのあたりを検証しつつ、見てゆきたいと思う。

その前に、ゆであがった状態における「おいしいパスタ」(「パスタ料理」ではなく、麺そのもの)とは何かを考えてみたい。おいしさには大雑把に言って、化学的な味と力学的な味がある。化学的な味というのは、ごく簡単に言えば、細胞で感じる味だ。食べ物の成分を、味や嗅いなどの受容体が感じて、それでおいしさを判断する。本来は、口に入れたものが毒ではないか、今体が必要としている栄養素が含まれているのか、などを感じるための機能と言ってよいだろう。

パスタの力学的な味を極める

力学的な味は、噛んだとき、顎にどれぐらい力を入れて噛み切るか、どれぐらいのサイズまで歯で細かくするかなど、噛む、飲み込むといった動きと連動した感覚だ。これが口腔内の快感につながる。サクサク、ツルツル、モッチリ、プリプリ、など擬音で表現され、食感という言葉で語られることが多いが、これも食べ物の「味」を構成する極めて重要な要素だ。

パスタをゆでる際に、前者に主眼を置くなら、パスタが本来持っている小麦の味と香りを活かし、適切な塩味をつけることが重要になるだろう。つまり、数多ある製品の中から、おいしい乾燥パスタを選び、ちょうどよい塩味をつければいい。この化学的な味はパスタのゆで方を論じるとき、実はあまり論じられない。どの程度の塩をどのタイミングで加え、どれぐらいの時間ゆでればパスタの風味を最大限活かすことができるのかは追求する価値はある。しかし、小麦の味や香りの良さはゆで方以上に製品そのものに依存することもあり、ゆで方をめぐる議論の中心にはなかなかならないようだ。

「パスタのゆで方と塩」問題の中心は、もっぱら力学的な味だ。パスタのゆで方と言えば、「コシ」と「アルデンテ」という言葉がすぐに登場するが、これらこそ、力学的な味だ(麺の表面のツルツル感も力学的な味のひとつだが、こちらは主にソースに依存する)。この連載でも、まずはそんな力学的な特性に注目する。

果たして、ゆで汁の塩分濃度を変化させると、パスタの食感はどのように変化するのか。それを見てゆくのに、中学生程度の化学の知識を用いる(力学的な味を向上させるには、力学じゃなく化学的な考察が必要なのだ)が、極力わかりやすく書くので心配はしないでほしい。というか、ド文系の私の場合、むしろパスタをゆでているうちに、中学生程度の化学の知識が身についたという感じだ。「パスタのゆで方と塩の関係」は夏休みの自由研究のテーマにいいかもしれない(ゆでている間、暑くてたまらないという問題点はあるかもしれないが)。

さて、「パスタのゆで方と塩の関係」を見ていくに当たって、まず片付けておかなければならない疑問がある。パスタの「力学的なおいしさ」として一番語られているのは、なんといっても「アルデンテ」という言葉だろう。しかし果たしてアルデンテとは何なのか。次回はそれを見ていきたい。

第2回に続く

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土屋敦(つちや・あつし) 料理研究家、ライター。1969年東京都生まれ。慶應大学経済学部卒業。出版社で週刊誌編集ののち寿退社。京都での主夫生活を経て中米各国に滞在、ホンジュラスで災害支援NGOを立ち上げる。その後佐渡島で半農生活を送りつつ、情報サイト・オールアバウトの「男の料理」ガイドを務め、雑誌等の書評執筆開始。現在は山梨の仕事場で畑仕事をしながら執筆活動を行う他、書評サイトHONZの編集長。自称「書斎派パスタ求道者」。著書に『なんたって、豚の角煮』(だいわ文庫)他。近著『男のパスタ道』(日経プレミアシリーズ)が革命的(あるいは偏執的)レシピ本として各メディアで評判に
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