人に料理を振舞うのはいい。どんなに忙しい仕事の最中でも、いったん気持ちをリセットしてくれる。次の手順、食材の量、味の塩梅、盛り付け方、そんなことだけを頭に浮かべ、どうやったら美味しくなるか、食べる人が楽しんでくれるか、それを考えるだけで心が弾む。
しかし、それも仕事となると別だろう。自分のお店や自宅でなく、呼ばれた先で賄わなくてはならない出張料理人ともなればその苦労が偲ばれる。本書はフランスで出版されたレシピ本「LA CUISINE DE FUMIKO」がブラジエ賞のグランプリ2010年、グルマン料理本大賞の女性シェフ部門で世界最優秀賞を受賞したほどの腕の持ち主、狐野扶実子の書き下ろしエッセイ集である。
テレビや雑誌で見かけたことがあり、世界中のセレブの家に呼ばれて料理を作り、招かれたゲストがまた新たな顧客になる、という話は知っていた。レシピ本も手に取ったことがある。しかし、こんなにも様々な場所に出向き、その場所で食材を求め、不自由な場所でサーブしてきたことに素直に驚いた。
大学卒業後パリに留学、一度日本に戻ったものの結婚と同時に夫がパリに赴任となり、同行する。世界一有名な料理学校ル・コルドン・ブルーを出て料理人の世界に入る。パリの三ツ星レストランでスーシェフにまでなったが、そこを辞めて新しい仕事探している時に、飛び込んできたのが出張料理人という仕事だった。
何もかも手さぐりだが、相手の話をよく聞き、宗教やアレルギーなどを考慮し、時間と場所を弁えてコースを組み立てる。食材から場合によっては食器まで持参し、相手の好みに合うように努める。
いったいいくらぐらい掛かるのだろう、と勘繰ってしまうが、どうやら一流レストランのディナーを少し上回るくらいらしい。とはいえ、パリの三ツ星レストランで食事をしたことのない私には想像もつかないのだが。
世界中のセレブから依頼が舞い込む。そこには想像を絶するような出来事もある。有名なコメディアンが奥さんのためのサプライズ・パーティのためにフミコを招聘した。しかしその場所はいわゆるカーブと呼ばれる地下室で、調理する場所がない。さてどうする?
ボルドーのワイン博覧会での食事は、当然のことながらワインと料理のマリアージュが絶対条件となる。フランスと日本の味が融合し、その上ボルドーワインに合うようにとメニューを考えたが、どうしてもデザートが決まらない。さてどうする?
ルーブル美術館の館内で行われた「モナ・リザ」の部屋改装記念の食事会。大手ケータリング会社とのコラボ―レーションのため、温めるだけの調理場は展示物を搬送する巨大なエレベーターの中に急きょ作られた。ほとんどの料理は、何もかもシステマティックに作られたケータリング会社のキッチンで作られる。それはうらやましいことか?
大富豪の別荘で2週間。毎日25人のランチとディナーを担当することになった。「何でもあるよ」と言われて出向くと、野菜は畑で実っており、牛も豚も飼われていた。「どの牛にする?」と言われて驚愕するも、彼女が選んだ手段はなんだったのか?
ある国の大統領夫人を招いた食事会で、宗教の関係で豚肉とアルコールを抜いてくれという要望があった。食材一つ一つ吟味し、添加物にも含まれないように注意したはずが、たった一つ見落としていた。それは何か?
小柄な東洋の女性が、準備から終了まで10時間にも及ぶ長丁場を駆けぬける。それも今まで食べたことのない美味しさを提供してくれる、となれば評判が評判を呼び、上客が付いてくれる。彼女が一切手を抜かない様子は、文章の端々に見て取れる。料理はアートであり、おもてなしであり、生きがいにもなる。87歳のゲストに「今まで食べたどの肉より美味しい」と言われれば、どれだけ嬉しいことだろう。
はじめての場所、慣れないキッチン、初めての調理スタッフや給仕人、トラブルは合って当たり前の日々だ。しかしどんな時でも彼女はこう言う「Ce n’est pas grave」(たいしたことではありません)
身体を壊しパリから日本に拠点を写して、出張料理人から料理プロデューサーとして活躍している。彼女の作る「ミロのスープ」を一度味わってみたいものだ。
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アメリカ人女性がル・コルドン・ブルーで学んだ日々を綴ったもの。以下に厳しいかよくわかる。狐野さんはこの上級コースを首席で卒業したという。比較すると狐野さんの非凡さがよくわかる。