大野「こういうレールの上をあるけば生きていけるとか、このとおりにすればうまくゆくとか、そういうモノゴトは儚く崩れ去っていきました。「今までとは違う」時代をどうやって生きるのか。社会の仕組みをどう変えるのか、自分たちで考えなければならないと言われ続けてはいるものの、いまだにその手がかりすらつかめません。いつも、混沌の最中にいる感覚があります。」
開沼「振り返ってみれば、いつも、誰かの話を聞く中で目の前で起こっていること理解し、いますべきことを考えてきたように思う。同じ時代を生きていても、人によって見える世界は全く違う。いつ生まれたのか、どこに住むか。どのメディアに接しているか、どれだけ所得があるか、どんな人間が周囲にいるのか。見える世界の違いによって生じる情報の溝の中に身を置いた時に、自分の考えが相対化され、新しい視座を獲得できる。」
『困ってるひと』で、自身の難病体験を赤裸々に綴った大野更沙と、修士論文である『「フクシマ論」 原子力ムラはなぜ生まれたのか』を端緒に、中央と地方との関係を問い続ける開沼博の共通項。それは本書のタイトルにある通り、「1984年」に「フクシマで生まれ」たということだ。
本書は、震災後の日本社会のキーマンや、二人が会ってみたいと思った人との鼎談をまとめた作品。原発や震災の話が出ないはずはもちろんないが、どちらかと言えば視線は「未来」に向けられている。日本の現在を様々な軸で切り取りながら、良い未来も悪い未来も掬い取っていく。「明日」は遠くの「未来」と繋がっていて、「明日」は自分の足元を照らすことでしか見えてこない。本書では、「未来」に繋がる足元が、たくさん照らされていく。
開沼さんと本をつくることになって、タイトルには「フクシマ」というカタカナ表記を使おうと考えました。今この瞬間も、被災し続けながら、消費され変化し続けながら、分断され傷つきながら、それでもなお地上に存在し人が暮らしている空間を表現する言葉を、わたしはほかに思いつかなかったからです。
未来は、「手の届かない、自分が影響を及ぼすことできないドコカ」にあるのではない。
僕らのつま先が向いている、その延長線上で、僕らを待ち構えているのだ。
「この世界で、また学級委員になったつもりでいるの?」
女性ばかりの歌劇団出身のミュージカル女優とそのファンが織りなす、限りなく“虚構”に近い危うい現実を軸として、それぞれに悩みや苦労を抱える三人の女性たちの生き様を、朝井リョウは抉り出す。
「革命なんて起きないよ」
誰しもが、揺らぎ不安定な足場に身を置く。自らの立ち位置をしっかりと認識している。でも、その認識から逃れたい。自分が見ている現実を現実として受け止めたくない。彼女たちのそんな思いが、現実を絶妙に捻じ曲げることが出来る“虚構”を絡めとりながら、甘く腐りかけた毒へと変化していく。
「自分のために自分で動かないと、自分から参加していかないと、ずっと、手の届かない距離にあるままだよ」
逃げ続けることが出来る人は、逃げ続ければいい。僕は、そう思う。誰しもが、現実と対峙出来るわけではない。“虚構”のような世界を、目隠しをしたまま歩き続けたって、それはそれでいいと僕は思う。思いたい。
嘘かもしれないこんな光景があってやっと、自分はおいしいものを食べていいのだと、やわらかい布団で眠ってもいいのだと感じることができる」
直木賞を受賞しながら就職し、社会人としての生活もスタートさせた朝井リョウ。本書は、そんな朝井リョウが初めて社会人を描いた作品だ。女性が読んでどう感じるかは分からないが、いつも朝井リョウの作品を読むと、どうしてここまで女性の気持ちが分かるのだろう、と不思議な気持ちにさせられる。三人の女性たちの、まるで袋小路に迷い込んだかのような、薄く降り積もった悲哀を、どうして朝井リョウは描き出せるのだろうか。
この作品は、短篇集だ。それぞれの短編は、実に小川洋子らしく、日常の入り口から少しずつ非日常へと接続していくような、僕らが生きている世界からほんの数センチ浮いているような、そんな不可思議さをまとった作品が多い。起こりえないような状況や設定を、不可能図形を二次元上に描き出すかのようにして紙の上に現出させていく。
しかし本書の最も見事な点は、それぞれの短編そのものではないところにある。それは9つの短編を包む大きな設定だ。
本書に収録されている9つの短編はそれぞれ、人質が監禁中に語った自らの話である。
日本の裏側で起こった誘拐事件。結果的に、犯人・人質とも全員死亡という結末を迎えたこの事件において、人質たちの息遣いを伝える唯一のものが、彼らが語り遺した物語なのだ。
実に魅力的な設定だと感心した。この9つの短編の背景にはすべて、「人質たちが、監禁されているという特殊な状況の中で、自らの死を意識しつつ語った物語」という属性が付随している。それがさらに、小川洋子らしさを引き出す形になっていると思う。現実と非現実のあわいを行き来する物語だ。
以前友人と話をしていて、
「『+』や『÷』と言った記号がどうしてその形になったのか、算数や数学の授業では説明してくれない。そういう部分をちゃんと説明してくれたら、もう少し数学に興味を持てたかもしれないのに」
と言われて驚いたことがある。元々理系の僕は、与えられる文字や記号の意味なんかに深く思考を取られたことはなかった。人間、本当に色んな考え方があって、色んな理由で物事の好き嫌いを決めているのだな、と思ったものだ。
本書は、「+」や「÷」の由来は載っていないが(それらは、『+-×÷のはじまり』原島広至 に詳しい)、「数学の前提」を描く作品だ。「数」とは何か、「証明する」とは、「作図できる」とはどういうことかなど、学校の数学の授業では深く突っ込んでくれない事柄(学校で教えてくれるのは「問題の解き方」であり、「数学を理解する道筋」でないことが多いように思う)について触れている。
とはいえ、易しい内容では決してない。出てくる式の複雑さに呻いてしまう人もきっといるだろう。しかし、もっと数学を勉強しておけばよかった、と思っている人には、いい入門書として機能するのではないだろうか。
1983年、今や世界遺産となった富士山の割と近くで生まれる。毎日どデカい富士山を見ながら学校に通っていたので、富士山を見ても何の感慨も湧かない。「富士宮やきそば」で有名な富士宮も近いのだけど、上京する前は「富士宮やきそば」の存在を知らなかった。一度行っただけだけど、福島県二本松市東和地区がとても素晴らしいところで、また行きたい。他に行きたいところは、島根県の海士町と、兵庫県の家島。中原ブックランドTSUTAYA小杉店で文庫と新書を担当。
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