『記者たちは海に向かった』 - 半径10kmのジャーナリズム

2014年3月11日 印刷向け表示
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記者たちは海に向かった  津波と放射能と福島民友新聞

作者:門田 隆将
出版社:KADOKAWA/角川書店
発売日:2014-03-07
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記録を残すとは、時に残酷なものである。

本書の表紙をめくると、そこには一枚の写真が掲載されている。カメラに向かって微笑む、福島民友新聞の6人の記者たち。撮影されたのは、2011年3月9日。後方には激震と津波によって後に消失してしまう「ろうそく岩」もそびえ立つ。そして6人の運命が、やがてジグソーパズルのようにバラバラに引き裂かれていくことを、彼らはまだ知らない。

記録を残すとは、時に希望を生み出す。

2011年3月12日の福島民友新聞の社説は、このような書き出しで始まる。

<私たち福島県民にとって、これまでに経験したことがない、想像を絶する揺れだった。>

一次資料もなく、被害状況も分からず、周囲が安否確認をしているさなかに書き出された文章は、助け合い、支え合うことへの呼びかけを目的とし、多くの被災者の元へと届けられた。

だが、このわずか3日ほどの間に、福島民友新聞の中では想像を絶するドラマが展開されていた。新聞社としての機能が完全に分断されながらも、一つのアウトプットへ力を結集し、震災翌日での発行を実現したのである。その思いはただ一つ「紙齢をつなぐ」ということ。

本書は震災という困難に直面した際の、記者たちの「本能」、そして新聞社という組織における「無意識」の結集を、3年の月日をかけて描き出したドキュメントである。

震災報道における地方紙という存在は、特殊性の際立つものである。とりわけ福島民友新聞の場合は、津波から放射能汚染へと連なった複合災害により、取材対象区域も営業区域も、そして配達区域も消えてしまうという異例の事態に見舞われた。

面積の大きい福島県をエリアとする福島民友新聞では、福島第一原発を中心として10kmほどの位置に浪江支局と富岡支局、20kmの位置には相双支社と、拠点を10kmおきに配置することで、県全域をカバーしていた。だが支局といっても社員が1名のケースも多く、半径10kmほどの範囲を、記者からカメラマンとしての役割まで一人でこなすことが求められる。

彼らにとっての震災報道とは、特別な現場を取材するわけではなく、日常の現場の非日常な状況を切り取るということであった。それゆえに記者の多くが、津波が起きた瞬間、通い慣れた取材先の海へと向かったのは必然の行為であったと思う。写真を撮らねばーー。新聞記者としての本能が、そう告げたのだ。

相双支局の若き記者、熊田由貴生。彼は前日、前々日にも訪れた漁港へと向かい、そこで命を落とした。津波に向かってくる車に両手で×の合図を送ることで被害を防ぎ、自らはカメラを持ちその場から逃げなかったという。彼は、側にいた市役所の職員を見捨てることが出来ず、津波に呑み込まれたということが、後に明らかになる。

浪江支局長の木口拓哉は、福島第一原発の南にある東電展望台を目指した。かねてより、津波を取るならここと決めていた場所であった。そこで木口は、この世のものとは思えない轟音とともに、巨大な渦がこちらに向かってくる光景を目の当たりにする。反射的にカメラに手を伸ばした瞬間、同じ方向に孫を抱えて走ってくる一人の老人の存在も視界に入ってきた。老人を助けるのか、津波から逃げるのか。一瞬カメラに手を伸ばしたことが津波から逃げる以外の選択肢を閉ざしてしまう。そして、その事実は彼の心に大きな影を残した。

相馬支局長の小泉篤史は、幾多の幸運に恵まれ、奇跡のスクープ写真をものにした。自分の目の高さよりはるかに高くなっている津波が、奇跡的に表面張力のおかげで襲いかかってはこなかったというから首の皮一枚である。彼は瓦礫の上を歩きながら悪戦苦闘し、写真を本社に送信した。

一方で、福島民友新聞の本社も緊張感につつまれていた。非常用のバッテリーが切れ、停電によって端末が使えなくなり、原稿を受け取ることすらできない。電話がつながらないため外の情報も全く入ってこない。そのうえ記者たちの多くは、原稿用紙に手で原稿を書いた経験もなかった。

だが、編集系、技術系の二人の社員が、偶然にも東京へ出張していたことが幸いする。二人は親会社の読売新聞に駆け込むやいなや緊急要請を行い、東京にて紙面制作がスタートした。前述の小泉からの写真を見て、事態の深刻さを把握出来た二人は、読売新聞の紙面を複写したものをベースに、福島民友独自の記事を少しでも盛り込もうと奮闘した。

新聞をつくる側も必死なら、配る側の執念も半端ではない。ある販売店の店主は、みんな地震でやられているはずなのに、配達員がどんどん店にやって来たのだと証言する。放射能による避難から半年経って一時帰宅した際に、その紙面をポストで見つけて、感動した読者も少なくなかったという。しかし、新聞が制作されてから配達されるまでの、どの工程における偶然が欠けても、実現しえないことであった。

半径10kmのジャーナリズム、それは営みのためのジャーナリズムである。平時には卒業式や卒園式という街ネタを住民のために届け、有事にはインフラそのものになる。震災という前代未聞のフィルタリングは情報を断絶し、記者たちが決死の思いでつないだ新聞は、生きるために必要不可欠なものとなった。それは正義を追求するための報道の論理ではなく、共同体の生活の上に成り立つジャーナリズムであったのだ。

象徴的なのが、初めて災対本部にて東京電力・小森常務の会見が行われた3月18日のこと。反原発一色に染まった記者会見場は公開処刑の様相を呈し、メディアは殺気立っていた。ただ一人、福島民友新聞の橋本記者をのぞいて。彼にとって小森常務は取材対象であると同時に、同じ生活共同体におけるメンバーでもあった。前年まで第一原発所長だった小森とは、飲み会や行事などで何度となく交流を深めており、その模様を複雑な思いで見ていたのだ。

会見終了間際、橋本記者が「これから、地元はどうなるんでしょうか」と質問を投げかける。旧知の橋本の顔を見た小森は思わず号泣し、橋本もまた号泣した。取材される側と取材する側がなぜ両方泣いているのか、全国紙の記者たちには分からない。相手の善悪を問うだけのジャーナリズムには、決して見えない紐帯がそこにはあった。

起きてしまった震災にも、生死を分けたことにも要因はない。その差は「運命」という全く理不尽なものに委ねられおり、誰が悪いわけでもなかった。それゆえに、彼らが問いかける善悪の矛先は、自分自身の方向へと強く向かっていったのかもしれない。

命を落とした熊田は、一人の人間として何が正しいのかを決断し、また生き延びた木口も、あの時どうすればよかったのかを今でも悩み、自分を攻め続けているという。

震災そのものを描くのではなく、震災に直面した人々を描く。同じ共同体の中で人間関係を築くことによって形成される地方紙ジャーナリストとしての役割を、著者もまた同じジャーナリストとしてループさせた。

いかに希望だけを描こうとしても、その背後には必ず絶望がつきまとう。だが極限下においてシンプルに浄化された記者たちの行動の一つ一つは、畏怖を感じるほどに美しい。本能がさまざまな行動を生み出し、いかなる状況においても己が何者かを問い続けた。

かろうじて紙齢をつなぐことの出来た3月12日。しかし、その日がゴールだったわけではない。それからも毎日、記者たちは地域の情報を届けることを使命とし、「時」を刻み続けてきた。

世の中には、時を経なければ語ることの出来ないものがある。悲しみを拭い去れたものもいれば、ようやく口にすることを始めた者もいる。3年という月日の長さは、人によって様々だ。だが、悩み、葛藤しながらも、毎日を確かに刻み続けなければ、過去を振り返ることなど出来はしない。

だから、今日も前を向いて、しっかり生きようと思う。この本に出会えて、本当に良かった。

河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙 (文春文庫)

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