あの日から、三年が過ぎようとしている。
東日本大震災が起きて間もなく釜石の地に着いたとき、私は3年後の釜石を想像することができなかった。あまりに凄惨な現実に圧倒され、目の前にある光景以外のものを思い浮かべる力が木端微塵に砕け散ってしまっていたのである。異臭と寒さと瓦礫が私にとっての被災地すべてだった。
本書の執筆は、そんな私にとって祈りともいうべき作業だった。壊滅した町にあっても、生き残った人々は遺体を捜索し、搬送し、検案し、なんとか人間の尊厳を保ったまま家族のもとへ送り返そうとしていた。私にはそうした行為が真っ暗な闇に灯る、一つの小さな光のように思えた。この光が少しずつ大きくなっていけば、釜石が再び歩み出す力となりえるのではないか、いや、どうかなってほしい。そんなふうに自分に言い聞かせながら、人々とともに過ごし、話を聞き、書き綴っていったのが本書なのである。
最近、3年が経とうとして釜石がどうなっているかとよく尋ねられる。だが、これはあまりに大きく重要な話であり、あとがきのような限られた場所で書けることではないし、書くべきことでもない。もし述べようとするなら、もっと長い年月のなかでしっかりと一冊の本としてまとめるべきことだ。従って、今この場で私が記せるのは、本書の登場人物たちが三年を経た今どうしているかということだろう。
遺体安置所の管理を市長に申し出た千葉淳。
彼は今なお釜石市内に民生委員として地域の高齢者のために活躍する傍ら、葬儀会社の釜石支部を設立して亡き人のために働いている。きっかけは、震災の後にある葬儀会社の代表者が遺体安置所での千葉の活動に目を止めたことだった。千葉なら誠意をもって遺体を扱ってくれるはずだと考え、知人を介して依頼してきたそうだ。
千葉は、遺体安置所での悲惨な記憶がまだ鮮明に残っていたが、年をとっても釜石の力になれるのなら、と思って引き受けたという。業務内容は、病院で亡くなったり、自室で孤独死したご遺体を清め、専用の車で葬儀社へ搬送することである。この仕事をする一方で、遺体安置所で一緒に働いた鎌田葬祭会館から依頼を受けて、納棺の手伝いをすることもある。遺体の死後硬直をほぐし、仏衣を着せ、棺に納める仕事だ。
私自身何度かそれにも立ち会った。彼はスーツ姿で遺体の硬直した手足をさすりながら、安置所でしていた時と同じように語りかけていた。その穏やかで優しい口調は三年前のままだった。
遺体搬送班として尽力した松岡公浩。
震災前は生涯学習スポーツ課で国体関係の業務についていたが、2011年の夏に遺体搬送の任務を終えた後、町の復興計画の任に当たることとなった。
釜石では、震災後犠牲者が多数に上ったのは市の責任だとする声が上がっていた。実際に、釜石市鵜住居地区防災センターでは、市の職員が津波避難所ではなかったこの場所に住民を誘導したことで百名以上にのぼる死者が出ていた。マスコミもそれを重ねて批判的に報じた。
私にしても、松岡にしても、同じことが2度と起こらぬように十分な議論がなされるべきだという点では一致している。ただ、私がこの話をふった際、松岡が声をふり絞るようにして次のようにつぶやいたのが印象に残っている。
「あれは大変な出来事でした。ただね、大勢の市民と同時に市の職員だって亡くなったんです。あそこへ避難した人は、誰1人として死にたくて行ったんじゃない。それは誘導した市の職員も同じなんです。助かろう、助けようとしてあのときの精一杯の判断であそこへ行ったんです」
彼には、市の職員として運命の糸が少しでも違っていれば、自分があの場にいたかもしれないということが痛いほどわかっている。だからこそ、彼は凍えるような寒さのなかトラックに乗って遺体の搬送業務を、ただ一人最初から最後までやり遂げたのだろう。
検案を行った医師の小泉嘉明。
2011年の4月からは、県外から支援にやってきた大学の医学部チームに検案を頼み、小泉は地域医療に専念することとなった。
チームは6月には任務を終えてそれぞれの大学等へ帰っていったが、夏以降も月に数体の遺体が発見された。被災した釜石警察署は旧二中のグラウンドに移され、体育館が再び検案の場所として使用されることとなった。小泉は医院で働く傍ら、遺体が見つかる度にそこへ赴いては検案を行った。
震災から半年以上経ち、家屋の取り壊し工事の際に瓦礫の下から見つかるのは、ほとんどが手足や頭部だけといった部分遺体だった。それでも小泉は傷んだ遺体を前にして、「見つかってよかったな」と思ったそうだ。どんな形であれ、家族のもとに帰れることが1番なのだ。現在に至るまで、小泉1人で約300もの死体検案書を作成している。
2013年、こうした功績が認められたこともあり、第20回ノバルティス地域医療賞が小泉に授与された。
歯科医師として歯科所見を任された鈴木勝。
中妻町にある鈴木歯科医院では、今1人の女性が働いている。津波の犠牲になった親友佐々木信彦の妻である。勝は信彦に代わって、できるかぎり家族の力になりたいと考えたそうだ。2人の娘のことも気にかけ、よく食事に呼んだりしている。
私自身、信彦の娘2人とは何度か会食をした。次女桃子は市内の保育所で働く20代半ばの女性だ。ある日、勝と彼女と3人で会食をしていた時、彼女がこんなことを言っていた。
「勝先生は、死んでしまったお父さんの代わりだと思っています。だから、私が結婚しようと思う男性が現われたら、お父さんの代わりに会ってもらうって決めています。勝先生が『この人で大丈夫』って言ってくれたら結婚するんです」
勝はそれを聞いて照れ臭そうに、「俺はノブ(信彦)より厳しいぞ」と笑った。嬉しいと思うのと同時に、背筋を正される気持ちだったにちがいない。
2013年の父の日、桃子は姉の春奈とともに勝に花を贈った。オレンジや、白や、ピンクの美しい花だった。
歯科助手として勝とともに歯科所見の作業をした大谷貴子。
震災の後、彼女は当時交際していた男性と再婚し、相手の実家である遠野市へと引っ越した。鈴木歯科医院は退職したものの、実家のある釜石へは時折帰ってきており、勝と食事をすることもあるそうだ。
2013年1月、彼女は夫との間に一児を産んだ。2782グラムの元気な男の子だった。
旧二中の体育館に、祖母によって運ばれた赤ん坊、雄飛君。
安置所に置かれていた際、遺体には職員の誰かによって〈生後100日〉と記されていたが、実際はわずか54日だった。本書の単行本を刊行した直後、父親から連絡をいただいた。刊行当初は雄飛君の名前を仮名にしていたが、父親と何度も話し合った結果、「雄飛が生まれてきたことが記録に残るなら」ということで、5刷から本名に訂正した。
父親は雄飛君の火葬以来、千葉に感謝の言葉をつたえたいと思っていたそうだが、名前も連絡先もわからなかった。そこで一年が経とうとする2012年の1月、釜石のホテルで私が千葉を紹介した。父親は妻とともに千葉と再会した瞬間に大粒の涙を流し、彼の手を握りしめて言った。
「あのとき、雄飛のことを本当にありがとうございました。声をかけてくださって、本当にありがとうございました」
千葉もあふれる涙をぬぐって「お父さんも、お母さんも、よく頑張ったね」といたわっていた。
1週間ほどして、千葉は雄飛君の実家を訪ねた。雄飛君が迎えられなかった1歳の誕生日に、線香を上げに行ったのである。ご両親からは、千葉さんが来てくださった、という喜びの連絡が私のもとにあった。
釜石仏教会を設立した仙寿院の芝﨑 恵應。
仙寿院の本堂の裏には、今でも棚があり、そこに震災で犠牲になった人々の骨壺が安置されている。名前がわかっている遺骨は少ない。大半が腕だけなどの部分遺体であったり、未だに遺骨が発見されておらず、骨壺に遺族が遺品を入れているだけのものであったりする。惠應は毎日棚を訪れては手を合わせている。
震災から1年と少しが経った7月、北上に暮すお年寄りが手作りの小さなお地蔵さんのぬいぐるみを贈ってくれたそうだ。80体ほどあり、手縫いでそれぞれ表情が違う。このぬいぐるみを骨壺の前に飾ったところ、訪れた遺族が「これは死んだ息子に似ている」とか「行方不明の母に似ている」と言いだした。故人を小さなぬいぐるみに投影したのだろう。惠應はぬいぐるみを箱に入れて自由に持って行ってもらえるようにした。遺族はそれぞれ故人に似ていると思うものを捜し出して家に持ち帰ったという。
惠應は次のように語る。
「いまでも、寺には市内外の方がお参りに来てくださいます。月日が経っても、震災のことを憶えていてそうしてくださる方がいるのは嬉しいことです。亡くなった方やご遺族は喜んでくれると思います」
あとがきを執筆している今は震災から3年が経とうとしているが、この先5年、10年、20年などあっという間に過ぎていくにちがいない。それが時の流れというものだし、そうすることによって人間は1歩1歩前に進んでいくものだ。
ただ、読者の皆様には、2011年の3月11日に起きた出来事をどうか記憶の片隅にとどめていただけたらと願う。生きたいと思いながらも歯を食いしばって亡くなっていった人々がいたこと、遺体安置所で必死になって働いて町を支えようとした人々がいたこと、そして生き残った人々が今なお遺族の心や生活を支えていること。それらを記憶することが、これからの釜石、東北の被災地、そして日本を支えるものになるはずだと確信するからだ。
最後に改めて、震災で亡くなられたすべての方々のご冥福と、釜石の未来への歩みを心からお祈り申し上げます。
2013年10月 石井光太
新潮文庫
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