ひとの善意を壊すもの
文庫化にあたり、単行本の後書きを読み返してみた。後書きを執筆したのは2011年7月で、世の中が東日本大震災の余波の真っ只中にあった頃だ。
あれから二年半。世の中は変わった。
被災地の頑張りの方向性は一貫しているが、社会のベクトルは大きくぶれ、被災地をネグレクトする方向に動いてしまった。そうした動きをここで詳細にあげつらうと却って論点がぼけてしまうので、一点に集中して述べる。
それは行政と政治の、被災地、ひいては日本国民全体に対する背信行為である。
震災後と2014年初頭の、もっとも大きな違いは、民主党政権から自民党政権に政権交代したことだろう。自民党政権は、以前、凋落した原因をすっかり忘れ、完全に官僚制度の無批判全面支持というスタイルに舞い戻ってしまっている。
そして官僚が震災後に行なった、もっとも悪辣な行為が「復興予算の流用」である。復興予算という名の下で集めた税金を、自分たちの利益を守ることを優先して使った、国家機構による詐欺行為である。おそろしいことに、個人がやったら罰せられるであろう「犯罪行為」も、国家体制が行なえばほとんど咎められず、結果的に正当化されてしまう。
2013年。東京オリンピック招致には成功し、行政と政府を取り巻く小さな世界では浮かれた「ええじゃないか」踊りが展開しているが、市民の多くはしらけた目で、その様子を冷ややかに見つめている。
オリンピック招致に当たり、「原発事故での放射能の汚染水漏れは制御されている」という、韜晦に近い言い抜けを時の総理大臣が行なったことは、末永く日本の恥として記憶されるだろう。一方で政府と行政は、オリンピックに膨大な予算をつけ、除染や復興の予算は漸減させていくだろう。
こうした行為を、日本の未来を担う子どもたちが見ている。
これでは日本の未来はない。
そんな未来が見えているにもかかわらず、変えようがない。
大震災の被害を国民みんなで助けよう、と呼びかけて集めた金を、官僚たちは主に自分たちの体制強化のために使った。古代中国の漢が滅び、三国時代に移行する直前の宦官政治と似ている。『日本は官はダメだが民はいい』という美徳を維持し続けるのにも限度がある。なぜなら、大きな方向性を決めるのは国民が「委託」した税金の使い道を実質的に決めている「官」だからである。
つまり官僚たちが考える税金の使い方は、この国を滅ぼす方向に向かっている。
東日本大震災は死者、行方不明者合わせて2万人という、途方もない天災だった。ただ、もしも東日本大震災が、単なる大地震という災害に留まっていれば、今の日本にここまで暗い影を落とすことはなかっただろう。
大災害に対しては人の善意がはたらいて、少なくとも現場では治癒機構が健全に機能したと思われるからだ。
本書はまさにその証である。大震災は、人知ではどうしようもない天災だった。だがその未曾有の大災害に対しては、日本社会は対処できたのだ。
本書は日本の希望である。
しかし東電の起こした原発事故は違う。これが今の日本に大きく暗い影を落としている。異論はあるだろうが百歩譲って、東電の事故は防ぎえなかった、想定外の出来事だったという論調に同意してもいい。だがそれでもここまでの事態であれば、その後、無批判に再稼働に同意できるはずがない。
そうした問題を認識している、多くの国民が原発再稼働に反対しているにもかかわらず、数にものを言わせた自民党政権は原発再稼働へ舵を切った。
自民党政権が間違えているのは、国民が自民党に政権を付託する多数を与えたのは、原発再稼働をするためではない、という点だ。
ただし、騙されてはいけないのは、そうした方向に舵を切ろうとしている真の意思決定者は官僚機構だということだ。
これは単純な引き算でわかる。民主党政権から自民党政権に、政権交代したにもかかわらず、そして国民の反対意見も強いにもかかわらず、推進されてしまった事案が3つある。
消費税増税、特定秘密保護法案、そして原発再稼働である。
この3つには共通点がある。官僚機構の権力増進に役立つ、ということだ。
そうして増強された権限が、更に自己肥大の方向に向かう。生体にたとえると、無限の自己増殖を目指す、癌細胞のようなものである。そして現在の政治も、これに似ている。国民の付託を得てから、付託と違う、自分たちの欲望を果たす、という構図は、そのまま復興予算の流用をした官僚機構と瓜二つである。
こうした卑しい精神が、日本の国力を低下させている。それを、本書にあるような、現場レベルの善意が懸命に押しとどめている。
2年半後の、被災地の現状が付記されたこの本は、「単行本の文庫化」ではない。
前著は『救命──2011』で、本書は『救命──2014』という、まったく新しい書籍と考えても差し支えがない。
美しい恋愛小説だと思って読み進めていた物語が、最後の1章で突然、醜悪なホラー小説に変貌してしまったようなものだ。こうした作りはフィクションの領域では、「どんでん返し」と呼び、ミステリーの基本構造ではあるのだが。
ミステリー作家として、日本社会のこんなどんでん返しを予見できなかったのは忸怩たる思いである。だが、そんなことが起こるとは思わなかった、という最低ラインの信頼感を、国家に持っていたがための不明を恥じる気にはなれない。
”信なくば立たず”という言葉の重さを今、ひしひしと実感している。
そんな絶望感の中、本書に描かれた人の善意が確かに存在した、ということが、日本社会の命綱になってしまっている、と感じるのは筆者だけではないだろう。
そうした諸々(もろもろ)の意味を込めて本書は、2014年を迎えるに当たり日本人なら誰もが手に取って、読んでいただきたい書籍である。
2014年元旦 海堂尊
新潮文庫
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