2009年秋、2つの連続不審死事件が明るみに出た。いずれも30代の小柄の肥満体型の女性が幾人もの男性を虜にして多額の金を貢がせていた格好だったが、世間の反応は対照的だった。
首都圏でネットを通じて知り合った中高年の独身男から金をだまし取り「セレブ」な生活を送った木嶋佳苗。法廷での服装や突拍子のない発言まで詳細に報じられ、佳苗の裁判の「追っかけ」まで登場した。
一方、鳥取県の寂れたスナックで5人の子どもを抱えながら出会った男達を手玉に取った上田美由紀。木島佳苗が独身の中高年がターゲットだったのに対して上田美由紀は妻子持ちを狙った。それも刑事や読売新聞記者という収入や社会的地位が低いわけでもない人間が多い。だが、彼らは青白く瞬く「誘蛾灯」に吸い寄せられるように妻子や職を捨てでも美由紀の元に走り、最終的には謎の死を遂げる。ダンボール箱をかぶった状態で轢死するなど木嶋事件よりも、謎の点も多いのだが、鳥取の事件は首都圏の事件と同時に起きたがために取り上げられたような添え物のような扱いであった。
多くのメディアが木嶋事件に記者を投入する中、「かなりの天邪鬼」を自認する著者は狂騒に背を向け、編集者の要請を受けて軽い気持ちで鳥取の取材に足を運ぶ・・・。
著者は事件を単なる悪女による犯行という簡単な構図にせず、美由紀と周囲の関係性を客観的に捉え、事件の背後にあるものを浮き彫りにする。周辺取材を進め、美由紀とも面会を重ねるが本書の鍵となるのが、美由紀がかつてホステスとして働き、不審死を遂げた男たちとの出会いの場であったデブ専スナックの「ビッグ」だ。
著者は鳥取の事件に日本の社会に巣食う矛盾と病理が孕んでいると指摘する。そしてビッグこそが「日本の縮図」であると。全都道府県の中で人口最小の鳥取県の陰鬱とした歓楽街の中でも、さらに陰鬱とした「底辺」ともいえるデブ専スナック。ホステスは70を超えたママと60代のアキちゃん、20代ながらバツ5のマミちゃんの3人。客は一日に3人もいれば多いほう。
そして地方都市の宿命か店に出入りする人間が複雑に絡み合う濃密な人間関係。美由紀は被害者たちとはビッグで出会う。スナックのママは美由紀をかわいがっていたが、美由紀による住居侵入窃盗事件の被害者でもある。美由紀がかつてつきあっていた男はマミの今の彼氏だ。そして、彼女にその男を紹介したのがママ。マミの五番目の夫は数少ない客のひとり・・・。
そして出入りする人間の生活保護受給者の多さにも驚く。
ビッグを取り巻く人間関係は、どう考えてもメチャクチャである。周辺にいる生活保護受給者にしたって、私が知るだけで幾人もの顔が浮かんでくる。ついさっきまで店にいたハマムラさん。そのハマムラさんと唇をすいあっていたバアさん。ハマムラさんと同じくママのアパートに一人で住み、第六の不審者となってしまった山口英夫。美由紀から奴隷のように扱われた挙げ句に第二の不審者となった伊藤竜一の母・真紀子。かつて美由紀と深く交際し、いまは市内で一人暮らす松島忠信。そしてマミちゃんに至っては、ハマムラさんの生活保護費を目当てに五回目の結婚をしたと公言している。
ほとんど冗談としか思えないが別に美由紀とその周辺だけがおかしなわけでもない。検察取材に詳しい著者だけに、裁判を通じての検察や弁護士にも厳しい視線を向ける。間接証拠しか積み上げられず、矛盾だらけの強引なストーリーを展開する検察。それに対して、証拠も無いのに「真犯人は別にいる」と叫びだし(後に撤回)、殺人後に「しまむら」で買ったとされる着替えに妙なこだわりを見せ、「しまむらなくして、ずぶ濡れなしっ。ずぶ濡れなくして、殺害なしっ」と自分に酔っているとしか思えない発言で法廷で失笑を買いながら、迷走に迷走を重ねる弁護士。悪い冗談か、出来の悪いコントにしか思えないがこれが法廷で起きている現実だ。
美由紀が殺人を犯していたとしても、人の命がこのような冗談のような形で裁かれることにむしろ恐怖を感じてしまう。そして、そのような司法プロセスに全く我々が無関心であることがまさにこの事件が日本の縮図であることの証左でもあろう。
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裁判官は何を考え裁くのか。
公安警察を学ぶバイブル的存在。