ノンフィクションファンの人たちにとってHONZが恐ろしいのと同じ意味において、私は恵文社一乗寺店が怖い。
関西地区では、そのイメージキャラおねえさん『おけいはん』で知られる京阪電鉄。その終点の出町柳は、比叡山方面へ向かう叡山電鉄、いまだにICカードを導入していない奥ゆかしき小さな私鉄、の始発駅でもある。
ワンマン電車にとことこ揺られて三つ目の駅が一乗寺。駅員さんもいない小さな駅で下車すると、曼殊院道といういかにも京都らしい名前の道がある。小さいながらもちょっと正しい商店街になっていて、魚屋さんや酒屋さん、和菓子屋さんに、なんと、なつかしの駄菓子屋さんまでならんでいる。
心うきうきそぞろ歩いて3~4分のところに、知る人ぞ知る恵文社一乗寺店がある。何平米とかはわからないけれど、決して大きくはないワンフロアの本屋さんである。しかし、本のセレクションと並べ方がすごいのである。
おぉ、こんなところにこんな本を並べるのか、とか、ありゃ、こんな本もあったのね、とか、買い手の心がこちょこちょとくすぐられまくるのだ。前回レビューした『パン語辞典』なんかも、けっこう目につくところに置いてあった。だから、ふだんは料理本などに縁のないわたしでも、つい買わされてしまったのだ。
どう怖いかがわかってもらえるだろうか。このお店に行くと、本を買いすぎるのである。それを防止するために二つのルールを決めている。ひとつは、一巡目は買わずにチェックするだけ。そしてもう一つは、持てる量しか買わない。ということだ。それでも、行けば少なくとも一万円、下手すりゃぁ二万円ほども出費してしまう。
行かなければいいのであるが、発作のように行きたくなってしまうのが困りものである。げに恐ろしき本屋の店長、堀部篤史氏が『斜陽産業と呼ばれる街の本屋を営む立場として、非合理的である「嗜好品」を売るお店の存在意義を、いま一度たしかめていたい』という意気込みでしたためられたのがこの本だ。
第一部は、この本屋さんが、どのようにして今のような本屋さんになったのか、が、1996年にこの店でアルバイトとして働き始めた堀部氏の経験とともに語られる。『恵文社に入るやいなや、突然本棚を一本任せてもらうことになった。』のは、特段のポリシーがあったからというよりは、単にやむをえずであったようだ。
しかし、このお店の棚が生き生きしているのは、こういった個人的な趣味に基づく本棚作りに源流があるからだろう。いまでは『言語化することの難しい、感覚を根拠とした本棚づくりの方法論』ができあがっていると胸を張る。
文庫やハードカバー、絵本やアートブックを混在させ、あいうえお順などのインデックスは使用しない。
「料理書」「文庫本」のような便宜上の分類をほぼ解体させ、独自のテーマで並べる陳列法を各コーナーに応用する。
行ってみればわかるが、本の並び方が、まるで連想ゲームなのである。おぉ、ここはこういう筋でこういう本がくるのか、うわっうわっ、というグルーブ感が味わえるのだ。
この連想ゲームが内から外へと展開していくのが、第二部である。お店のある左京区を中心に、いろいろな小商いのお店へとつながっていく。『ガケ書房』、『三月書房』といったユニークな本屋さんにつながっていく。『ナミイタアレ』という “複合施設” や『迷子』という喫茶店につながっていく。気分は散歩だ。
出町柳の和菓子屋さん『ふたば』にもつながっている。よそとはひと味ちがう『豆餅』で有名なお店である。人気があるのと、いまひとつ効率のよくない売り方で、いつも行列ができているという、小商いらしさを守り切っているお店だ。
恵文社で買い物をした後に、ほとんど毎回といっていいほど立ち寄って豆餅と季節の和菓子を買って帰る。だから、わたしの脳内地図では、恵文社一乗寺店のお隣にあるようなお店なのだ。ぜひ、みなさんにもセットで訪れてみてほしい。
京都の町を歩いてみるとよくわかるが、意外なほど小商いが生き残っている。京都人の精神性もあるだろうし、市内にイオンのような商業施設を作りにくいという町の事情もあるだろう。しかし、小さな市場などはつぶれたところもあるし、これとていつまで続くかわからないような気がしている。
自分にとっては「地元になくてはならない」「京都らしい」と感じる、大切な店ばかりだ。ほんの数年で変化するメディアのトレンドを探るより、自分が信じる個人店の現場を見直すことで、街の本屋が生き延びるヒントを探ってみたい。
街の本屋が生き延びる術は、多くの小商いが生き延びる術でもあるはずだ。そして、我々すべての生活が豊かになる術でもある。それだけではない。ひとりひとりが、小商いの店を、恵文社の本棚の本たちのように勝手につなげていくだけで、どの街もさぞかし楽しいワンダーランドになるはずだ。
『小商い』とは自分らしく自分の責任で生きていくことと見つけたり。
離島の本屋さんたち。現実は厳しそうだけれど、がんばってほしい。
書店員さんたちはじつに大変なのである。