コータリンこと神足裕司といえば、ラジオ番組「キラ☆キラ」での、小島慶子とのオープニングトーク、週刊アスキーの連載、そして私の世代には忘れられない、西原理恵子とのコンビによる週刊朝日の「恨ミシュラン」などが印象深い。そして執筆やテレビ出演など超多忙な日々を送るなか、毎週毎週、事件記者としてさまざまな事件の現場を実際に取材してレポートした週刊SPA!の連載「これは事件だ」を執筆するタフさにも驚嘆していた。
そんな人気コラムニストが倒れたのは、2011年9月3日。故郷広島から東京に戻る飛行機内、羽田への着陸直前のことだ。グレードⅤという、もっとも重度のくも膜下出血だった。一命をとりとめたものの、大量出血で脳は大きなダメージを受ける。頭蓋骨が外され、脳を休ませるため麻酔で眠らされた。「麻酔が切れても、このまま目覚めないかもしれない」。「目覚めたとしても、ご家族のことは覚えていないかもしれない」。医師からはそんな言葉を告げられる。
しかし神足は目覚めた。
「文子はどこ?」
妻が聞くと、神足は娘の文子さんを指した。家族のことも覚えていたのだ。しかし要介護度はもっとも重い5。半身麻痺と高次脳機能障害という後遺症が残った。周囲からは施設の介護を勧められるが、家族は頑なに受け入れず、自宅介護を選ぶ。「原稿を書くことはもう不可能」。多くの人がそう思うなか、家族の支えのもとに自宅でリハビリを続け、ついに自身の手で原稿を書き、本を完成させた。本書こそが、その「奇跡のエッセイ」なのである。
とても不思議な文章である。研ぎ澄まされた感覚が、一見そうであるとは感じられないような、平易かつ素直な言葉で表現される。読んでいるとやわらかい光が差してくるようだ。余分なものが省かれ、ただ本質のみが、そっとやさしく紙の上におかれているよう。
例えば倒れた後、意識がなかったときのことをこう書く。
あたたかい、やわらかい空間で、取材をしたり、原稿を書いたりしていたのだ。
「そうだ、家に帰らないといけない」
「心配しているかもしれない」
そう思っていると、遠くから息子や娘の声が聞こえてくる。
「そろそろ帰ろう」
そう思っていたが、何度も原稿の締め切りがあって、たくさん原稿を書いていた。
そして、もう一回書かないと、とゆっくり書いていた。
死の入り口の人間は痛みもない、あのあたたかい、やわらかい空間にいるのだと思う。
死の入り口は、痛くも怖くもないのだ。
そして意識回復後に眠っているとき。
思い出したことがあった。
眠っているとき、白い服を着た白い鳥のようなものがボクの頭の上あたりをぐるぐる回って飛んでいる。僕は仕事で忙しかったので、その白いものを見て見ぬふりをして、仕事を続けていた。忙しい、忙しいと、締め切りに間に合いそうもないと、原稿を一生懸命書いている。
気分は良好。そこで娘の叫び声がする。
「パパ! 」
僕は娘のところ行かなくてはとふと顔を上げると、白いそれは消えてなくなった。
喉が渇いていた。そうだこれは喉が乾き過ぎたからだ。
だが僕は何を知らせたいのか、わからなかった。
「パパ、お茶飲む?」
そう娘に聞かれて、喉が渇いたのをはじめて思い出した。本当に喉はからからで、お茶をごくごく飲んだ。もっと、もっと、飲みたい……。
だが、僕は喉が乾いていたのを、忘れていた。
綴られているのは、まずはそんな日々の自身の状態である。そこからは、脳の不思議さも見えてくる。
脚が動かないというのはどんな感じかというと、夢の中で一生懸命、声を限りに叫んでいるのに、近くにいるにもかかわらず、声が届かない。
誰も気づいてくれない。そんな感じか……。
そこにあって、届かない感じだ。
昔、歩いていたのだから、歩く感覚はわかっているはずだ。
しかし、だ。
歩こうと思うと、歩くという指令は逆に脚に届かない。
食べようと思って左手を口に持っていこうと考えると、手は動かなくなる。
話そうと思うと、話せなくなる。自分が考えてやろう思うと、動きは止まる。
やはり、脳の指令はうまく末端に届かなくなっしまっている。
逆に、考えずに自然に出てしまったようなときは、声も出るし、脚も動く。
考えないというのは、むずかしいものだ。
人は知らず知らずに考えることと動かすことの2つの動作を行っているが、それにずれが生じると、しようとしていることは何もできなくなる。
できの悪いロボットのようなものだ。
しかも、動かそうとしている途中で、違う指令が出ると、もうパニックになる。
ショートだ。
脳はショートする。
だから、何かやろうとしているときは、話しかけないでね。
刻々と変化していく自身の気持ちも素直に記される。不安や悲しみ、怒り、諦め、感謝、達観、もう一度、不安と悲しみと怒り。それが堂々めぐりするが、どんなときもやわらかいユーモアがある。
いつも朝起きたら、脚が動くようになっていないかなとか、原稿が書けていないかなとか思うが、そんなわけない。
小学生がテストの前に、学校が爆破されていないか想像しているのと同じだ。
「動かない脚よ! 動け!」と念じていればいつか動くと思う。
それにしても、リハビリ施設の中村君は美男子だ。
「神足さん、さあ歩きましょう」
そう言われると、その気になる。美男子というのはトクだ。
なんとも言えない味わい。そんな文章から浮かび上がってくるのは、自然や故郷への思い、そしてなんといっても家族、友人たちとの愛情に満ちた深い関係である。
昨日のことを覚えているボクは、ボクにとって、珍しいことのようだ。
自分が自分で、怖くなる。何を言っているか、わからないんだからね。
そう書いているボクの横で、奥さんが言う。
「酔っ払ってても同じだったでしょ。恐くないよ!」
昔のボクと、何にも変わらないのか……。そりゃ、そうだな
いまは諦めにも似た境地だから、怖さはない。
だが、どうだろう?
ボクの代わりに息子や娘、奥さんが怖い思いをしているんじゃないかと、ふっと思ったら、急に怖くなってきた。
そして、脳の不思議さと、故郷への思い、家族や友人との深い愛情とが見事に昇華するのが、故郷広島でのカラオケの場面である。
ボクにもマイクが回ってきた。
デュエットだ。
話せないはずのボクが歌っていた。
ボクの声がマイクに伝わる。
一瞬、みんなが静かになってボクを見た。
けれど、すぐに大騒ぎのいつものコール。
周りで踊るヤツもいる。
長い夢を、見ていたようだ。
ボクはいま、歌っている。
奥さんが、泣いていた。
息子と娘が、笑っている。
みんなが、笑っている
ようやくボクは何かの扉を開いた。
広島の地で……
話せない著者が歌えたのだ。
余談だが、神足氏と会ったときにこの話を聞いた堀江貴文は、「しゃべりはダメだけど歌えるって、まるで初音ミクじゃないですか」とツッコミを入れたそうだ。
ちなみにこの本には初音ミクをライブを見た著者の感想も書いてある。
頑張っている初音さんにジンときた。
頑張っている感じが最近にない頑張りだったので、やっぱりいまの時代もそんなに捨てたものではないと思うのだ。
確かに初音さん、頑張ってるよな、と妙に共感した一節。ちなみに本書ではわれらがHONZが誇る「ノーレビュー師匠」麻木久仁子についても触れられているが(「ノーレビュー師匠」の意味がわからない方はこちらのメルマガをご覧ください)、その文章も「そうそう」と思わず首肯する内容である。
……って話が思いっきりずれたので元に話を戻そう。
さて、回復後の著者の文章を堪能できる本書だが、実は、当初は書いた文章は意味不明だったという。TBSラジオ「えのきどいちろうの水曜Wanted!!」では 著者が手紙で参加する「コータリさんからの手紙」というコーナーがあったが、当初は6000字ほども書いたすえ、ようやく意味が通るごく短い手紙を完成させたそうだ。
パソコンは打てないから、20年ぶりに原稿用紙とペンで書く。短時間しか書けない。30分書いたら、やめる。そして書いたことは覚えていない。だから読みなおして先を続けるが、読んでみると、わけのわからない文章が書いてあることもあるという。文章を読み直し、修正し、ジグゾーパズルのピースを埋めるように書き足し、文章を作っていく。
いわば今書いている文章も、スピードとの勝負だ。
脳との勝負。
自分が書くことを忘れないうちに、書き留めておこう。
ところで、何を書こうか?
著者は「書くことが、生きること」であり、この先も「書いて、書いて、書きまくるぞ」という。この先もずっと神足裕司の文章が読める。それはわれわれにとって幸福極まりないことだろう。
今回は、著者の文章が素晴らしく、引用が多くなってしまったが、本書にはその何百倍もの珠玉の言葉が詰まっている。常に手元において、何度でも何度でも読み返すことになるはずだ。
最後にもう1ヵ所だけ引用させてほしい。
ボクの先はない。
先には、何も見えない。
暗闇だけだ。
小さな明かりが見えるとしたら、子どもの成長と妻の笑顔と友人たちの顔。
そんなふうに書くと、ずいぶんよい人間になったものだと勘違いされるかもしれないが、それがあれば十分だということだ。
生活するだけのお金と住み家、それとその3つがあれば、 十分だ。
自分のなかで削りに削った大切なものは、それだけということになる。
台所のざるにあり金を全部入れて、テーブルの上に置こう。
そうして、家族でそれを大切に使うのだ。
そんな生活でも、幸せなのだ。
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仲野徹からこの本も合わせて読むべし、との推薦が。