『大江健三郎 作家自身を語る』あとがき by 尾崎 真理子

2013年12月12日 印刷向け表示
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大江健三郎 作家自身を語る (新潮文庫)

作者:大江 健三郎
出版社:新潮社
発売日:2013-11-28
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東京・世田谷区成城、こんもりと庭木の繁った奥ゆかしいたたずまいの一角。木製の両開きの門の前からチャイムを鳴らすと、ゆかり夫人が朗らかに迎えてくださる。前庭には丹精された薔薇の花々が揺れているが、その日の目的に気を取られて、観賞するゆとりを持てたことはほとんどない。

 

玄関から左側の居間に通されると、一段高くなった奥の食堂のステレオの前で、低く流れる音楽に全身を浸して聴き入る光さんの姿がある。南側の窓を背にして置かれた、年季の入った焦げ茶の肱掛椅子が大江さんのいつもの場所で、今しがたまで画板の上で原稿を書かれていたのだろう、その余韻を空気の中に感じ、「静かな生活」を乱す闖入者は、身の引きしまる思いがする。

 

それでも脇のソファに腰を降ろすと、たちまち会話に引きこまれ、別の時間が流れ始める。ここは現実の世界だろうか。それともこの家の主の小説世界と地続きの空間だろうか。「もはやどれが事実でどれがそうでないか、自分が書いたものなのに見分けがつかなくなりました」。冗談めかして語る作家につられ、ここに座ると、不意に虚実の境界が揺らぐ瞬間がたしかに、ある……。

 

長年接してきた人々は皆、知っていることだが、作家・大江健三郎さんとは、それほど魅力的な語り手であるのだ。こうした会見を読売新聞文化部の担当記者としてこの15年、何十回も重ねてきた。その多くは新作小説の発表を機としたインタヴューであり、ノーベル賞の受賞前後の取材のことも、連載小説「二百年の子供」やエッセイなどの原稿をいただくために訪れることもあった。

 

そしてある時から、同時代に数多くこの作家と作品についての批評が著され続けているし、また、すぐれた作家がすぐれた批評家であるのは当然でもあるけれど、これほどまでに的確で痛烈で執拗な、「大江健三郎」に対する批評家は作家自身しかいない——そう確信するにいたった。

 

何とかして大江さんの語りを丸ごと記録しておきたい。だが、氏の頭の中は「次の小説」のことで常にいっぱいであることは痛いほど伝わってくる。長々とお邪魔をする勇気は持てないまま。そんなところに2005年夏、「おかしな二人組」3部作の完結を機として「新潮」編集長の矢野優氏からロング・インタヴューを行う場を与えられた。この時、『さようなら、私の本よ!』の舞台を連想させる北軽井沢の山荘へも訪ね、初めて小説を書き始めた頃にまでさかのぼって話を聞かせていただいた。追って読売新聞・東京本社の映像部からCS放送の連続番組として、自作小説の連続講義のようなインタヴューの取材、収録をお願いすることになり、快諾を得た。理由は本書の冒頭にある通りだ。

 

2006年3月末から、毎月1回ずつ収録していく計画が具体化し、ほぼ10年ずつ5回に分けて主な作品を読み返し、それぞれの時期の氏の発言や出来事を調べていった。その上で各回ごとに約20の質問の流れを提案し、返答の文章を書き入れてもらったものを台本として撮影に臨んだ。

 

本番になってカメラが回り始めると、大いにアドリブが加わり、収録は休憩も入れず2時間を超すこともあった。愛媛県内子町の大瀬中学校や、谷間の村を見渡す山の中腹でもロケを行ったが、大半はご自宅の書斎にカメラを据えての撮影。匍匐前進でおそるおそる発していた私の質問も、意欲的なスタッフに見守られ、回を重ねるごとに少しずつ勇ましさを増し、思わずゴシップ的興味から駆け出したり脱線したり。カメラの存在もいつしか忘れ、その場にいた全員が息を詰めてじっと聞き入る、という成り行きになった。あまり愉快でない質問も少なくなかったと思う。それでも「もう、このあたりで」と氏からストップが掛かることは、ただの1度もなかった。

 

この模様は、ご長男の光さんが作曲された音楽、のべ87曲を挿入し、作家の小澤征良さんと俳優の小澤征悦氏ごきょうだいによる朗読を交えて、07年の元日から5夜連続、計5時間にわたって放映され、DVDも読売新聞社から発売された。

 

しかし、時間の都合から番組で割愛した部分も多く、入り組んだ内容の、初めて語られる数々のエピソード、それらの細部の面白さまで余さず伝え直すための工夫が必要になった。そこで単行本化にあたっては、新潮社出版部・鈴木力氏のアドバイスにそって、「新潮」のインタヴューも加えるなど全体を6章に再構成し、質問を大幅に追加してゲラの応酬を再開。それに対する大江さんの回答も、さらに各方向に過激なほど存分に伸び、あいまいな部分が除かれた。私の方で小説の本文からの引用を質問の中に埋め込んで行ったのは、50年間にわたって幾度となく変貌を遂げた文章の、その時々の切実な美しさをもう一度、思い出してもらう、あるいは若い読者に発見してもらう手がかりにしたいと考えたからだった。

 

1996年に新潮社から刊行された「大江健三郎小説」全10巻から主に引用したが、その月報をまとめた『私という小説家の作り方』に、質問のヒントを多く得ている。これは各作品と時代ごとの文学的格闘を振り返ったエッセイ集で、今回の連続インタヴューは、その印象深い氏の記述を「本当ですか?」と確認していったものだといえるかもしれない。

〈作品の総体が、この世界で生きる私のもうひとつの経験として積み重なることにもなった〉(『私という小説家の作り方』)

という大江さん。極言をしてしまえば、氏は実人生と自作の小説世界、2つの人生を歩んでこられた。そして『懐かしい年への手紙』以降、両者は分かちがたく交錯し、共鳴し続けている。やはり大江さんは、「日本の近代、現代の私小説を解体した人間」(同)と呼ばれるべき作家ではないだろうか。

 

深く実感したことがある。それは氏の2つの人生を通しての究極の夢は、作家自身と光さんの魂が文学と音楽、2つの想像力の根を深く結び合わせることにある、との思いである。光さんとのRejoice、共生を脅おびやかす世界へのGriefの間に立ち、夢の実現をめざして大江さんの「静かな生活」は、日々、懸命にここまで持続されてきた。

 

そのような氏が健在であるから、尽きせぬ質問を発する力を与えられた。こちらの力量不足から、踏み込めなかった領域を多く残し、短篇小説や評論への言及も十分でなかったものの、「これを訊いてみたかった」という読者や研究者の願いに報いる内容になっていれば、嬉しい。

 

最後にもう一度、大江さんに対して心からお礼を申し上げたい。長い長い時間、取材に応じていただきまして、ありがとうございました。

  2007年4月

 

 

 

新潮文庫
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