今から30年前、都内郊外の精神病院の保護室にマリアの絵を描く患者がいたそうだ。
保護室とは、東京足立病院の閉鎖病棟は最奥に位置し、簡単な台座と布団だけが置かれ、コンクリートの床に穴が空いただけの便器が備え付けられている構造だった。実際に入った患者によると、当時この場所を「牢獄よりもひどい」と伝えていた。保護室という鉄格子の威圧感がもつ物理的かつ象徴的な閉鎖性が、患者の症状をさらに悪化させていたのではないか。
鉛筆を三本飲みて血を吐きし友の屍白き担架に
この短歌は、他の閉鎖病棟に入院した経験を持つ男性が、鉛筆が引き起こす恐怖を詠んだものだ。
個人的な話だが、私は東日本大震災により建てられた仮設住宅を彩る活動をしている。実際に仮設を訪れると想像以上に驚くのが、仮設住宅の無機質で殺風景な空間だ。簡易に建てる機能だけを重視した結果、圧迫感や閉塞感を強く覚える造りになっている。
マリアを描いた保護室の男性は画材を差し入れてもらい絵筆を走らせていた。マリアといっても、画面は支離滅裂に中心から放射的に線を走らせただけであり、その中にうっすら見える女性像である。その線は男性の「外側」への衝動を如実に表している。男性は放射を続けないと精神性が崩壊していくと考えたのではないか。
その男性による図版が掲載されているが、社会の閉鎖感や生きにくさ、あるいは冷酷さなどを凝縮し、保護室という場に映しだしたような作品にもみてとれる。投薬や拘束によって押さえ込むのではなく、絵画という自己表現を通じて感情を放出した方がよいと自ら判断したのだろうか?その絵は自分を見守るようにベットを見下ろす位置に描かれていた。この男性は長い時間、極限的な精神状態を経験したが、その後克服し無事に退院したそうだ。
だが、これは結果的に当人のためになった稀有な例だ。
人は自己表現しながら生きている。
嬉しい出来事に出会って、笑顔がこぼれるのも身体の自己表現だ。その日に経験したつらい思いを家族や友達に聞いてもらうのもまた言葉による自己表現だ。自分の心に湧きあがってきた感情を、何らかの手段で表現し、誰かに伝える。そうやって私達は自己表現しながら生きている。(ここまで異論はないかと思う)
逆を言えば、人は自己表現しなければ生きていけないのだろうか?人にとって自己表現とはどれだけの意味があるのだろう、という面に迫るのが本書である。
例を出して、その解に近づこうとすると
A「この嬉しさを誰かに伝えないと死んでしまいそうだ」
B「この苦しみを誰かに伝えないと生きてはいけない」
おそらくAのフレーズで、その人が死んでしまうと心配する人はいないだろう。しかしBの場合は、当人は比喩ではなく本当に「生きていけない」状態が訪れるかもしれない、そんな危険性を孕んでいる。
本書は精神科病院のなかで営まれている創作活動によって、心の病を抱えた人々が自己表現によって、自らの心と体を支えている様子にフォーカスしている。登場する病の例として、お風呂のガス栓を閉め忘れたか常に不安でずっと風呂を見続けてしまう「確認脅迫症」、幼少時代の家庭内環境からトラウマが残り、自分の血を絵具としキャンバスを描く常習リストカッターの女性。目の前にあるはずのない「汚物」が見え、その幻想を消すため一日中あらゆる場所に除菌スプレーを吹きかける女性。
皮肉なことに自己表現というのは、自分が置かれた現状が満たされない状態、あるいは苦しく、つらい思いを抱えていたりする時のほうが、絵に加わる重みや深みも増してくるのも事実だ。それらは画面から伝わってくる。
どうも心を病む人たちのアートと聞くと、多くは「アートセラピー」とか「作業療法」といった言葉を思い浮かべるのではないか。これまでも病跡学やアウトサイダー・アートなど心の病とアートの関係性を解明していく研究は盛んになされてきたが、本書は治療としてのアートを求めておらず、それとは違う<癒し>の試みと研究がなされている。
著者が取材した〈造形教室〉は、東京都内の精神科病院・平川病院内にある。ここは主に、精神科病院に入院・通院する人たちが参加している。場合によっては今日一日生きることさえ耐えがたい人もいる。そのような人達がアートを通じた自己表現によって自らを<癒し>、支えている現状がある。アートセラピーや作業療法は、治療やリハビリを目的として行われるが、ここでは精神科医・臨床心理士・作業療法士といった資格をもつ医療者がいない。この場所は治療を目的としていないのだ。
自分は精神病者なのだ、と納得できる人は、現実にほぼいないだろう。
多くの人は大変な葛藤を抱えつつ、処方薬を抵抗感と共に飲み下したり、通院や入院などをはじめとした数々の通過儀礼を経たりして、ときにつらい思いやみじめな経験を沈殿させながら、「精神病者」として自己同一性を形成していくはずだ。だが少なくとも創作活動中は、「精神病者」ではなく「表現者」としていられる時間に代わる。
「精神病棟の中で、自由な自己表現などできるのか」といった外部からの批判もある。だが痛む心を一枚づつはがすような制作行為の実践事例を出し、患者の絵を見世物に扱うなという外部からの衝突しかねない声にも動ぜず、勇気をもって紹介しており、そこに明るさの兆しが見える。
創作活動、または自己表現活動は、ともするとアーティストだけが行う独占活動と思われがちだが、そうではない事を本書は伝えている。私達は、他者との関わり合いの中でしか生きられない。他者に自分を理解してもらうため、また他者を理解するために、表現活動は存在する。生きていくためにも、人には創作活動が必要なのだ。
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スウェーデンの病院では建設費の1%ををアートに使う法律がある。集中治療室にもアートが施され、その効果が科学的に証明できているなど豊富な掲載例を紹介。フルカラーで読みやすい。
60代の女性が都内23軒の精神科を尋ねたが、医師たちの反応は千差万別。成毛眞によるレビューはこちら
チャーチルが排除された時、完全に鬱状態だった。そこから脱却したきっかけは、何気なく始めた水彩画だった。はじめ完全に息抜きをするためだったのが、描けば描くほど、元気になり絵画で活力を取り戻している。その後、チャーチルはフランドル地方の戦いに参加している。
⇒アートの魅力を通じて障害や病気に対する社会の価値観を変えていこうとする運動。