世界は名前であふれている。
街ゆく若者が凝視する手のひらサイズの四角い機械には「スマートフォン」、鋭い目つきでゴミをあさる黒い鳥には「カラス」、体毛がほとんどなく出歯のネズミには見たままの「ハダカデバネズミ」という名前がある。これらの名前はもちろん、自然に授けられたものではなく、ヒトによってつけられたものである。名前のないものを見つけることが難しいほどに、ヒトはあらゆるものを分類し、命名してきた。世界を分類し命名することは、ヒトのDNAに組み込まれた本能なのかもしれない。
それではヒトは、この分類し命名する本能を抱えて、どのように世界と対峙してきたのか。人類の誕生以来本能に任せて行っていた分類と命名が、学問へと昇華したのは18世紀。古典物理学がアイザック・ニュートンの『プリンキピア』から始まったように、生物の分類学はカール・リンネの『自然の体系』から始まった。本書はリンネがどのように生物界全体を巧みに分類してみせたのかを明らかにするところからスタートし、分類学が科学の発展に伴って進化してきた軌跡を描き出す。チャールズ・ダーウィンやエルンスト・マイアなどの天才たちによって、パラダイムがシフトし、新たな学問領域が生まれていく過程に息をのむ。この学問の変化は、我々の世界観の変化に直結しているのだ。
初版ではたった14ページだった『自然の体系』の真の凄さは、二名法(ラテン語の属名と小種名から、種の名前を決定する)という生物の命名方法や、界から種までの包括的階層分類方法を提唱したことではない。この本が歴史に残る一冊となったのは、リンネの手によって示された動物界全体の分類が、誰の目にも正しいと納得できるものだったからだ。つまり、「リンネは、生物は個人の直感に基づいて分類されるべきだという古来の考えが正しいことを、語るでも宣言するでもなく、実践することによって立証した」のだ。
定量的データではなく、1人の男の直感に基づく分類が、どのように時と場所を超え、多くの人々の共感を勝ち得たのか。生態学・進化生物学で博士号を取得し、サイエンスライターとして活躍する著者は、「環世界」をキーワードにその背景を読み解いていく。ドイツの生物学者であるユクスキュルによって提案されたこの「環世界」という概念は、我々が知覚する世界は、個々の種に特有の感覚、認識能力などのフィルターを通して得られたものであり、「ありのままの自然」などではないと主張する。色覚を持たないイヌにはイヌの、紫外線を見ることができるハチにはハチの環世界があり、それらはそれぞれに独自のものだということだ。
環世界に基づく生物の分類が、文明の壁を超え、全人類にとって普遍的なものであることを示す具体的な事例が本書で紹介されている。「種とは何であるか」「種は存在するのか」を追求していた、エルンスト・マイアは、若き日にニューギニアで137種の鳥を発見した。しかし、驚くべきことに近代科学から隔離され、分類学など知らないはずの原住民も136種の鳥を見分けており、その分類はみごとにマイアのものと合致していた。我々がそれぞれ全く異なる世界を知覚していれば、種というものが存在しなければ、このような一致が起こりえるだろうか。
20世紀に入り、分類学に大きな疑問が投げかけられた。いくら多くのヒトの共感を得られるからといって、いかに精緻に対象物を観察・記録しているからといって、定量的データに基づかない分類学は、果たして科学と言えるのか?「そう見えるからそうなのだ。ただそれだけだ」と主張するだけでは科学足り得ない時代に、客観性と厳密さに欠けると考えられた分類学は、科学者から批判されるようになっていった。しかし、リンネから200年を経て、分類学はロバート・ソーカルを得る。ソーカルは、生物の形質を定量化する方法を開拓することで、数量分類学の礎を築いた。数量分類学自体は大きく広がることはなかったが、分類学が本当の科学として歩みを始めるための大きな一歩となった。
分類学のより先鋭的な科学化(客観性、定量性の重視)は、1950年代後半の分子生物学の発展で加速した。この流れを決定的なものにしたのが、ヴィリ・ヘニックである。彼は、共有された進化的派生形質のみを頼りに近縁生物群を規定しようとする分岐学を生み出した。この分岐学によって、「魚」はこの世からいなくなり、「鳥」は恐竜になった。詳細な説明は本書に譲るが、分岐学的に「魚」をとらえようとすると、その群にはウマやウシまで入っていまうという。これは私たちの環世界センスが訴える「魚」とは、全く異なるものである。このような科学と直感の乖離を目の当たりにし、著者の考察は、科学的とはどういう意味を持つのかという領域に及んでいく。
量子科学が誕生した時、多くの人々はその理論を受けることができなかった。このなめらかな世界が離散的な量子によって構成されているなどということは、私たちの感覚とあまりにかけ離れていたからだ。それでも、量子科学の正しさは揺るぎがなく、現代社会はその成果なしには成り立たない。分類学も、もはや我々の本能に刷り込まれた環世界では理解できない領域に突入してしまったのだろうか。科学とは、世界を私たちのもとから専門家のもとへと引き離してしまうものなのだろうか。多くの天才たちが1つの学問を進化させてきた歴史を、ヒトが世界をどう見てきたのかを知ることができる。
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鳥と恐竜の関係をとんでもなく面白く紹介する一冊。つい笑ってしまうネタが盛りだくさんなので、電車で読む時には注意が必要だ。HONZでは、成毛眞、土屋敦、内藤順がこぞってレビューしている。
訳者の1人の分類学者三中信宏氏による、系統樹という分類方法に注目した一冊。長い歴史の中で人類が作り出してきた様々な系統樹の図版が掲載されており、それらをまじまじと見るだけでもあきることはない。レビューはこちら。
1つの学問分野が新たに発見され、誕生していく過程を丹念に描き出す。20世紀初頭に人類の世界観を揺さぶった量子科学誕生時のアインシュタイン、ボーアなどの天才たちの激論に興奮するしかない。成毛眞のレビューはこちら。