採点:★★★★★
誰にでもおススメ。どんな人でも何かを感じるはず。
日本は「太平洋戦争」「大東亜戦争」を戦っていたそのとき、大西洋でも、ライン川でも戦争だった。日本にいては第二次大戦中のヨーロッパの状況につい詳しくしる機会はあまりないが、本書にはそのときの現状が生々しく再現されている。パンのことが頭から離れなくなるほどの極限状態に追い込まれたユダヤ人の少年、未だ見ぬ英国軍人に憧れながらもイタリア兵に恋する少女達が、どのように戦争を生きたのかについて知ることができる。
私たちが子どもだったころ、世界は戦争だった (2010/08/06) サラ・ウォリススヴェトラーナ・パーマー |
■あらすじ
第二次世界大戦中に書かれた各国の少年少女達の日記を蒐集し、時系列にまとめることで、当時のの世界を生々しく描き出している。。原著の著者はBBCで歴史ドキュメンタリーを制作している2人。本書は英語で出版された本書を日本語へ翻訳したものではない。出版社が著者と交渉し、各国の言語(英語、日本語、フランス語、ヘブライ語・・・)で書かれた原文を取り寄せ、各国語の一流の作家を翻訳として、元の言語から日本語へ翻訳された本である。
■感想
書籍の電子化、コンテンツのマイクロ化を受けて、「出版社はなくなる」「出版社はもういらない」という話をよく聞くし、そのようなタイトルの本も出ている。しかし、このような本を作り出せるなら、「出版社はなくならない」「出版社は絶対に必要」だ。翻訳、資料収集のコストを超えて、これだけの手間を惜しまなかった文藝春秋はエライ!!日記の書き出しには書き手の当時の写真が添えられており、その当時を想像しやすくなっている。本当に細かい所まで気を配って編集されている。
日本人であれば、第10章の特攻隊隊員の日記に何も感じない人はいないだろう。特攻隊関連の書籍はそこそこ読んでいるが、それでも読むたびに様々なことが頭を巡る。強制収容所で飢え、怒り、憎しみに苛まれながら、ポーランド語やヘブライ語で綴られた、名前も分からぬユダヤ系ポーラド人少年の文章も戦争の悲惨さを強烈に叩きつける。
誰にぼくたちの苦悩がわかる? いったい誰に-ポーランド人の誰に、ハンガリー人の誰に、ルーマニア人の誰に-ぼくたちの深い悲しみを慰めることができる?ユダヤ人の心だけがぼくたちがこうむった災厄の悲しみを、ぼくたちの苦痛の深さを、感じることができる。ぼくたちにはもうどんな強さも忍耐も残されていない。神がぼくたちをお生かしになったら、ぼくたちは自分で自分を慰めるだろう!
アウシュビッツでの日記は、心理学者の著者による夜と霧があり、こちらもおススメ。またまた全く違う「戦争」がそこにあるように感じるだろう。
イタリア兵に恋する無邪気なフランスの少女も、アメリカの少女との文通を楽しみに続けるイギリス兵の少年も、自らの命を国のために捧げる決意をした特攻隊員も、それぞれが戦争の中で懸命に戦争を生きていた。それは当然一色で塗りつぶせるようなものではないし、してはならない。安易に「戦争の悲惨さを学べる」という言葉で終わらせたくないと思わせるものが本書にはある。