こういう著作を、良書というのかなと思う。
名著や傑作ではないかもしれない。HONZで紹介される多くのノンフィクションのように、キャッチーでもない。みすず書房らしい至ってシンプルな装丁は、版を重ねることを戦略的に狙っているとも思えない。原文で176ページとテキストも短く、ハードカバーにしては物足りないと感じる向きもあるかもしれない。
でも、そういった諸々が裏返しの魅力になっている。特段飾ることなく、シンプルかつ明瞭に記述された本題。入手できる資料を読み込んで、具体的事実を丹念に追いかける姿勢はまさしく学者の本懐。決して難解な表現を用いることなく、非常に分かりやすく整理された論点。最後に1つの独立した章としてまとめられた「結論」は、これだけでも十分に知的好奇心を刺激する濃密なものとなっている。スターリン、そしてジェノサイドを学びたい人にとって、本書は格好の入門書になるだろう。派手さはないかもしれないが、長く読まれてほしい。
少なくとも私は、本書を読んで、2つの意味で心を動かされた。
1つは、「スターリンのジェノサイド」そのものに。
そして、「スターリンのジェノサイド」が必ずしもジェノサイドとされていないことに。
著者のノーマン・M・ネイマークが本書を記した理由は、とてもシンプルだ。序論の冒頭、本書のまさに1行目に、著者は書いている。
長めの論文と言ったほうがふさわしいこの小冊子で、わたしは、1930年代のスターリンによる大量殺人を「ジェノサイド」と定義すべきだとする自分の立場を明らかにしたい。
いきなり1行目で、頭を捻ってしまった。スターリンの虐殺について踏み込んだ知識は持っていないまでも、最低限のことは知っているつもりだった。富農(クラーク)の大量殺戮、そして大粛清といった歴史的事実は教科書にも載っている。ジェノサイドに決まっているじゃないか。そんな感じだった。
ネイマークによれば、問題はこうだ。ジェノサイドには定義がある。それは1948年12月9日、国連総会において満場一致で採択された「集団殺害罪の防止および処罰に関する条約」(以下「ジェノサイド条約」)によるもので、この条約では、さまざまな「国民、人種、民族、あるいは宗教集団の全部あるいは一部を破壊する意図をもっておこなわれた行為」をジェノサイドと定めている。しかし、この定義には伏線があった。1947年7月に国連事務局が起草した当初のジェノサイド条約案は、「人種的、民族的、言語的、宗教的あるいは政治的人間集団の破壊を防止する」ことを求めるものだった。これに対して、ソ連とその同盟国が、「政治集団」を条約から排除することを強硬に主張した。これらの国は、社会・政治集団を定義することは流動的で困難だと訴え、条約の重要なエッセンスを骨抜きにしたのだ。ネイマークはそれを「満場一致採択を達成するための妥協の産物だった」としている。そして、この問題を複雑にしているのは、「この条約から除かれた社会・政治集団こそが、スターリンの残虐な作戦のおもな犠牲者だった」ということだ。
こうした経緯もあって、スターリンによる大量殺戮をジェノサイドと捉えることには、様々な反対論もあるそうだ。ジェノサイドの概念を政治集団にまで広げてしまうことで、ある意味でジェノサイドの本質が「薄っぺら」になってしまうのを懸念する学者も少なくないという。「社会主義と人類進歩の高邁な理想の名において殺した」スターリンの行為は、その動機からも、他のジェノサイド行為と同列に論じることはできないとする歴史家もいた。もちろんジェノサイドには、ナチスによるホロコーストを定義する言葉としての側面があったのも事実であり、スターリンの犯罪にこれと同じ言葉を用いることへの遠慮もあった。
しかし、それでもなおネイマークの立場は明快だ。
スターリン体制の下で行われた大量殺戮はジェノサイドであり、スターリンはその実行を主導した。これが、彼の結論である。
ネイマークはこの問題を論じるために、4つの章を割いて、スターリンが行った主要な犯罪の実情を明らかにしている。取り上げられている4つとは、富農(クラーク)撲滅、ウクライナ大飢饉(ホロドモル)、「カチンの森の虐殺」に代表される民族強制移住と迫害、そして大粛清だ。そのいずれもが凄惨を極めた虐殺であり、本書はそのような悲劇が展開された歴史的経緯や背景、そして虐殺の実態を明らかにしている。決して長くない章立ての中で、不要な修飾語を伴うこともなく。
1928年から始まった第一次五ヵ年計画では、農業の集団化・工業化が進められるが、クラークと呼ばれた富農(とはいえ、実際には「たかだか数頭の牛を所有している」程度だったという)が反対分子とみなされ弾圧された。集団化の過程で殺されたクラークは約3万人、極北とシベリアに強制移住させられたのは200万人にも及んだ。特別移住地に移送され、まともに食糧も与えられない極寒の収容所で、50万人ともいわれる人々が死んだか、逃亡したという。
1931年、当時のウクライナと北コーカサスは小麦の全収穫量の45パーセント程度を占めていた。しかし、農業集団化に反発し、民族主義的な傾向をみせるウクライナ農民が「癇にさわった」スターリンは、彼らが翌年の収穫用に備蓄していた穀物種子まで徹底的に徴発する。これによって大飢饉が発生すると、食料を求めて農場からの逃亡を図った22万人のウクライナ農民を逮捕。19万人を村に送り返した挙句、ロシアとウクライナの国境を閉鎖。これは事実上、死刑を意味していた。
ポーランド人に対する虐殺も無残極まりない。ソ連の領土保全において「明白な脅威」とみなされたポーランド人は、1930年代から弾圧の標的とされてきたが、1940~41年には30万人以上のポーランド人がソ連占領下の母国を追い出され、シベリアへと強制移住させられた。1940年4月には、約22,000人ものポーランド人将校たちがグニェズドヴォ近郊の森に運び込まれ、銃殺された。「カチンの森の虐殺」と呼ばれるこの事件を、ネイマークは「20世紀史におけるもっとも明快なジェノサイド事件の1つとみなされるべきである」と主張している。
そして大粛清。「本人、つまりスターリンを除いてソヴィエト市民のだれもが逮捕され、拷問され、流刑あるいは処刑される可能性のあった」恐怖政治の時代。トロツキストへの徹底的な弾圧。古参ボルシェヴィキへの熾烈な直接攻撃。いや、それだけではない。1937~38年の2年間だけで、約157万5,000人を逮捕。そのうち68万1,692人が処刑され、残りは流刑に処されて収容所に送り込まれたという。
本書においてネイマークは、こうした惨劇の中心がどこまでもスターリンだったことを強く主張している。いずれもが組織的であり、計画的だった。スターリン自身の明確な意図に基づいており、スターリンがいなければ同様の悲劇は生じなかった。スターリンは、「つまるところジェノサイド実行者だった」のだ。こう明確に言い切っている。
「スターリンのジェノサイド」のことを、私は本当の意味で、ほとんど知らなかった。概念というものはどこまでも相対的であり、時に作為的であると頭では理解していたつもりだったが、ジェノサイドという概念が内包する複合的な問題を理解していなかった。教科書ではわずか数行ばかりの無機質な記述で終わってしまうこの歴史的事実が突きつけてくるものは、とても重い。ジェノサイドは現代の問題でもあるのだ。
「知らないということは、時として罪である」と言ったのは、誰だったろうか。
ナチスと比べると、文献量も多くないスターリンのジェノサイド。でも、知っておきたい。
最後に、ネイマークの言葉を。
ジェノサイド問題はあらためて率直に見直すことができるし、また見直されるべきなのだ。(中略)ジェノサイドの輪郭をはっきり描くことは、国の自己認識と未来のために決定的に重要だ。(中略)ソヴィエトの過去を研究する学者はどこにいようとも、ジェノサイドとその結果に真正面からとりくむ義務があるのだ。
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毛沢東の大飢饉 史上最も悲惨で破壊的な人災 1958-1962
- 作者: フランク・ディケーター, 中川治子
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出版社: 草思社
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発売日: 2011/7/23
スターリンによる虐殺が悪魔の仕業だとすると、その数倍の規模におよぶ毛沢東による虐殺は愚か者の仕業。成毛によるレビューはこちら。(成毛)
ウクライナ大飢饉(ホロドモール)についての詳細。(成毛)