2010年、ニューヨークのクーパー・ヒューイット国立デザイン博物館は「なぜ今デザインなのか」展を開催した。本書はそこで展示された製品やプロジェクトをまとめたものである。この展覧会はデザインがいかにして環境保護や社会の平等などを後押しできるかを提示した。
たとえば、米国でデザインされた籐や竹で作られたリアカーがある。変形させて椅子になることも、鶏や水を運ぶための箱にもなることも、長いものを運ぶための台車にもなる。実用的で安価なだけでなく、都市生活者からみても美しい。ノルウェーでデザインされたシンプルな医療コード留め具も美しい。輸液や電線などのケーブル類を1つにまとめることで事故を減らすように設計された。ヨーロッパで使われており、米国と日本でも発売が予定されているという。
日本からも6点ほどが紹介されている。ホンダが試作した、作業者を支援する目的で作られた足だけのロボット。WASARAと名付けられたデザイン性あふれる紙食器。さらには無印良品というブランドそのものも高く評価されている。
日本にも50年以上前に通産省が創設したグッドデザイン賞がある。歴史的にみて素晴らしい成果をあげたと評価できるのだが、なぜデザインなのかという視点はない。コンテストがその時点のベストを選ぶという視点だとすると、展覧会は多様性を眺めながら未来につなげるという視点だからだ。
ところで、この展覧会はゼネラルエレクトリックが支援し、ノルウェー、デンマーク、スイス、イスラエルの各国大使館などが協力をしたという。そこには日本の家電メーカーと外務省の名前はない。貧すれば鈍するのであろうか。鈍すれば貧するのであろうか。
(産経新聞3月3日掲載)