本書は12年前に刊行された本のリニューアル版だが、いろいろな意味でおすすめだ。まず、当然ながら内容が良い。前回出版時には予想外に教科書として採用されたらしいが、実際、入門本として適している。というか私には「入門本として適していることしかわからない」のだけれど、専門用語を使わずに、大変広い範囲をカバーしていると思う。また、フルカラーのCG画像がとても多く、見ていて飽きない。製本もしっかりしている。最近ちょっと本に対する金銭感覚が麻痺しているのを考慮しても、これで2500円とはえらく安いのではないか?ペイするのだろうか?原書房、グッジョブ。
さらに(副代表 東えりかのような)本マニアの皆様におかれましては、6章の章題と各ページのフッターが間違えているところが高ポイントかもしれない。レアものをゲットした、自分、グッジョブ(違うか)。
脳科学の世界は日進月歩だ。fMRIなどのスキャン技術は進歩し続けていて、今まさに、詳細な機能がわかってきたところらしい。本書の序文によれば、
精神を解明しようと言う研究はまだ始まったばかりで、いまわかっている脳の姿は、16世紀の世界地図並みに不完全・不正確である。この本の内容も、実際はもっと複雑かもしれないし、将来誤りとされる部分もあるだろう。
はじめて世界地図作りに取りくんだ中世の学者たちは、知識のすきまをほら話で埋めた。ある地図製作者は、自信たっぷりに書いている。「ここには竜がすんでいた」
脳の地図には、なるべく竜をすませないように努めたつもりだ。しかし見る人が見れば、竜はもちろん、誤った標識や疑わしい目印が出てくるだろう。だが、未知の場所を探索するとき、そうしたまちがいはどうしても避けられない。絶対確実な道しか歩きたくない人は、旅行ガイドが出るのを待ったほうがいい。探究心のある人は、どうぞ先に進んで欲しい。そこには、不思議で素晴らしい世界が広がっている。
ということである。
たしかに、本書には不思議な情報が満載されていて、しみじみ興味深い。たとえば右脳と左脳だ。左脳は分析的で、緻密で、時間間隔が鋭い。右脳は夢見がちで、ものごとを細かく分けるより全体的に処理する。左脳は言語を担当する部分を持ち、右脳の同じ部分には音楽を担当する部分がある。左脳は陽気で脳天気、右脳は警戒心が強く、感情の起伏が激しい。なので、落ち込んでいる時には、左脳が担当する活動に集中すると、右脳の情緒的反応が抑制されて悲嘆がやわらぐ。
また、てんかんの分離脳手術を受けた人は、左脳と右脳が支配権を争うようになる。右手で夫を抱き寄せようとしても、左手が押しのけようとする(逆はあるのだろうか?)「頭の中にやんちゃな子どもが2人いて、たえずけんかしているみたいです」。ある患者は、左脳ではニクソンを支持しつつ、右脳では嫌っていた。左脳は「階段をひとつずつ登る」スタイルの保守派、右脳は「ぼやけた」スタイルで、リベラルだ。このような特性の2つの脳が、脳梁を介してやりとりしている。支配的なのは左脳だ。左脳が優勢になるほど、支配的な権力志向の行動が目立つようになるらしい。一人の人間のなかで、こんなことが起きている。右脳が全体的な意見をあいまいに言うと、きっぱりした左脳が「そんなことより、こっちをやれ」などと細かい話を始めたりしているのか。自分の脳ながら、ちょっとしみじみする。
疾病失認の話も不思議だ。半側空間無視の患者さんは、半身が動かなかったり視界がなかったりするが、たとえば「左側が見えない」とは思わない。むしろ、その人にとっての「左側」は考慮すべき対象として存在しておらず「気づいていない」。ごく軽い失認なら、誰にでも起こるそうだ。ぼんやりして靴下がちぐはぐな人、ぼんやりして前日にHONZの朝会に行ってしまう人、いずれも「概念的無視」の例であり、人がいかに物事をちゃんと認識しないかという例だ。研究の最先端では、利他性、共感といった能力を発揮させる部分を突きとめることが可能な域に達してきたらしい。
脳の地形図を書くということは、脳に地名をつけるということだ。その地名は、「扁桃体」とか見慣れないものが多いが、本書を監修した養老先生は
じつは科学を一般向けに説明するということは、むずかしい作業なのである。
中村桂子さんが述べていた例がある。「化学を子どもにやさしく教えてください」というのが、母親たちのふつうの要請である。もちろんふつうの人は、「やさしい」ということを、「すでに知っていることを利用して、知らないことを学ぶ」ことだと思っている。でも「水やお湯ならだれでも知っているでしょ、でもそれをH2Oという、知らない言葉で説明するのが化学なんですよ」
と書いている。いきなりH2Oの話をしても全く伝わらないのだが、一旦名前ができると、他のモノとのあいだに何かの「関係」が生まれて、その関係がいろいろ深まっていくと、「おお、そういうことか!」という新たな発見がある。関係性を見出すと言う意味で、新しい情報を知るということは地図に新しい地名を記入することだ。ちょうど1年前くらいだったか、朝会で代表の成毛眞が「読書って地図を作ることだよね」と言った。もしHONZが地図を書いているとしたら、今はまだ、始まったばかり、おもしろ珍道中といったところか。
今回の本にも載っている睡眠時遊行症の話は非常に不思議です。
今週出たHONZ久保のレビューはこちら。
超絶技巧のメカニズム。ブックハンター鈴木のレビューはこちら。
HONZメンバーでよく話題になる一冊です。