最近つくづく思うのは、世の中には色々なフェチの人がいるものだなということだ。それは、今や巨大百貨店の様相を呈しているAmazonのレビューからも窺い知ることができる。
例えばこのレビュー。百歩引き下がって「いい肌触り」とコメントするところまでは良しとしよう。それに対して「参考になった」と投票した人の数が1991人(※2/11現在)というのはどうしたことか。良い子の皆さん、くれぐれもAmazonのレビューでは絶対に遊ばないように。
もう一つ、最近面白かったのがこちらのレビュー。キリンの等身大フィギュアが売っていることにも驚きなのだが、レビュー自体もエンタテイメントの域に達している。ちなみに、こちらのお値段507,000円。平和すぎるぞニッポン!
もちろんネタ臭さは百も承知。それでも面白いと思えるのは、各々のレビューでフェティシズムが存分に表現されているからなのである。そう、フェティシズムにこそ、日本を元気にするヒントが隠されているのかもしれない。そんな訳で、今日はフェティシズムを学ぶための三冊をご紹介。
まず最初は、団地フェチの心意気を高度成長期ばりに高めてくれる『団地団 』の紹介から。知る人ぞ知る団地団のメンバーは、生粋の団地エリートである脚本家・佐藤 大、団地を見る時にはまず形からというフォトグラファー・大山 顕、まとめ役のようでまとめない編集者/ライター・速水 健朗の三人。まるで階段の踊り場で立ち話でもするかのように、話は進んでいく。
副題に「ベランダから見渡す映画論」とあるように主な話材は映画についてなのだが、作品そのものについてはほとんど触れられず、その映画における団地の描かれ方のみがひたすら熱く語られている。
例えばなぜ「ウルトラマン」シリーズに団地がよく登場するのか?それは当時、一戸建ての模型を作るのは技術的にも難しく、予算が掛かるわりにインパクトも薄かったということが背景にあるのだという。これが団地になると金型ひとつでたくさん並べることも出来るため、大量生産可能なセットとして重宝されていたらしい。
またアニメの世界に話を転じても、作り手側にとっての団地はコピペがしやすいという至極単純な裏事情があったようだ。ただしその中でも、宮崎駿の描く団地は一味違うのだというから驚く。特に『耳をすませば』に出てくる団地の描かれ方は、稀に見るコストのつぎ込みを行った形跡が残っており、団地史に残る画期的な出来栄えであるそうだ。これは宮崎駿がエコロジストの中でもシニカルな部類に位置しており、「人間が作る団地も自然の一部である」という自然観が反映されたためではないかと推察されている。
さらに期待通り、日活ロマンポルノで有名な『団地妻 昼下がりの情事』あたりのネタも外していない。この中で出てくる「団地中の人に知らせてやる」という脅し文句。そんな一言からも、1970年代においては「団地=世間」という構図が存在していたことが見えてくる。そして、この作品がそれ以前までの団地の描かれ方と決定的に異なるのが、かつては存在した団地への憧れや希望が明確に否定されたということなのである。
さて、団地といえば高台にそびえ立っているのが相場であるが、対極にある”谷”の方は一体どのようになっているのか。そんな千尋の谷よりも深い疑問に答えてくれるのが、こちらの『東京「スリバチ」地形散歩』だ。
いよいよ東京湾を跨ぐ東京ゲートブリッジが開通し、「水の都」とも形容される東京。しかし、水は高い所から低い所へ流れるという事実からも分かるように、東京は山あり谷ありの起伏に富む大地なのだ。本書では窪地状の谷を「スリバチ」と命名し、ゴマでもするかのように褒めたたえている。
著者は東京スリバチ学会の会長。この東京スリバチ学会、奇しくも団地団と同じ3人で活動をスタートし、現在は会員も増殖中とのこと。考えてみれば東京には谷のつく地名が本当に多い。山手線内だけでも渋谷、四谷、千駄ヶ谷、市ヶ谷、茗荷谷、神谷町、谷中など。他にも麻布、赤坂、麹町などは旧町名で谷町と呼ばれていたそうだ。
本書ではこれらの谷に共通するポイントとして「スリバチの法則」というものが紹介されている。そのうちの一つは、「建物は地形の起伏を増幅するように立つ」というもの。これは、高台には高い建物が立ち、スリバチの底には地面にはりつくような低層高密度な街並みが広がっているということである。実はこれは東京に限った現象ではなく、世界各地の都市や集落で見ることができる普遍性のある現象であるそうだ。ちなみに、つい先日渋谷駅の超高層化計画の記事を見かけたのだが、スリバチの法則には真っ向から反しており、先行きがやや不安である。
また後半では、東京における各エリア毎のスリバチ事情が、魅力たっぷりにレポートされている。図版や断面図も豊富であり、ついつい「書を捨て谷に出よう」となることは請け合いだ。
地名とは自分とって身近なものほど、記号化してしまいがちなものである。地形やその由来を感じながら街を歩くことは、すなわち地名を身体化するということでもあるだろう。そんな好奇心に思い切って身を委ねてみると、身近な日常ほどいつもと違った風景に見えてくるのかもしれない。
そして最後の一冊。東京が「水の都」なら、こちらのお宅は「ミミズの都」である。そんなミミズ達とのラブリーな日常を描いた胸キュン・エッセイがこちらの『教授とミミズのエコ生活❤』。
著者は哲学者で小説家としても知られる三浦 俊彦。ある日、自宅に太陽光発電パネルを設置したところ天と地のバランスを取りたくなり、ミミズコンポストを始めることになる。三層のたらい型容器とミミズ3000匹を35,000円で購入。ここに生ゴミを入れていくと、どんどん食べて液体・固体の肥料に変わりながらミミズも2万匹にまで増えるのだそうだ。
しかしミミズには敵も多い。ウジムシの大量発生、ミズアブ幼虫軍団などによって、度々ミミズの環境は脅かされる。それを著者は「サンドイッチ作戦」、「隠れ家提供作戦」などと命名された不思議な戦術で応戦していくのだが、何度か絶滅の憂き目にもあってしまう。それでも哲学者らしく「不確実を確かめないのは不実だし、確実を確かめてしまうと確執だし」などのサブタイトルがついており、そのアンマッチさ加減が笑える。
この著者のミミズへの萌えっぷりも半端ない。まさにミミズという名称の語源通り、盲目的なのだ。本書においても、ミミズが段ボールの破れ穴を何箇所か巧みにかいくぐって、ジグザグに縫うように身体を滑り込ませるのが何とも可愛いのだと、えんえんと熱弁を振るっている。もちろん交尾のシーンを目撃して狂喜乱舞していることは言うまでもない。
著者曰く、ミミズを飼うことには、生ゴミなどが減る「軽減効果」、肥料などを生み出す「余剰効果」生ゴミを出さないように不必要な食料を買わなくなる「節約効果」、ペットとしての「趣味効果」など、4つの効果があるという。
しかし不思議なことに、この著者は出来た肥料を使うための家庭菜園などを一切やっていない。ミミズの魅力は「五感に直接訴えかける身体的快感」と宣い、4つの効果のうち特に趣味効果を重点的に満喫しているのだ。そして、元来人間にはただ積み重ねることを楽しむという特徴が存在していると言い放つ。フェティシズムとは何とも前向きな習慣であり、人生を楽しくしてくれるものなのである。
さて、いかがだったであろうか?フェチシズムを学ぶための3冊、加えることのスクール水着とキリンの等身大フィギュアで全5点。ちなみに現時点でキリンの方は入荷まで6~10日、スクール水着の方は在庫があと1点。お買い求めの際は、くれぐれもお早めに!