世界は、人類が地球環境と調和しつつ平和で豊かな暮らしを続けるための現実的なエネルギー源として、原子力発電の利用拡大を進め始めていました。このような中で、東日本大震災および福島第一原子力発電所の事故が起こりました。我が国は、事故終息に向け最大限の力を発揮しなければなりません。 (※東京大学大学院工学系研究科 原子力国際専攻 「震災後の工学は何を目指すのか」の一節より)
このような文章が「東大話法」の典型であると、いきなり切り捨てられている。まず、「世界は」と言うことによって責任関係を曖昧にしていること、そして「我が国は・・・しなければなりません」という一文に見られるような、自分たちが「国」を代表しているいう意識。この話法こそ間違いの元凶であるというのが、著者の主張だ。しかも、切り捨てているのが現役の東大教授であるというから面白い。
本書では東大話法規則というのが全部で20個紹介されているのだが、最も興味深いのは以下の規則だ。
東大話法規則⑧ 自分を傍観者と見なし、発言者を分類してレッテル貼りし、実体化して属性を勝手に設定し、解説する。
この話法は、以下のステップによって構築される。
1:ある問題について書かれたものを大量に集め、幾つかに分けて分類する
2:それぞれの代表的論者を二、三取り上げて、主張を整理する
3:自分の意見はどれにも属さないで、全体を相対化するものだというスタンスを取る
4:どれかに属する人は、その外側に立って「冷静に観察」している人よりもレベルが低いと捉える
このようなものが、傍観者的態度の典型であるそうだ。う~ん、心当たりあるな。
本書は原発をテーマに書かれており、刺激的な印象も受けるため、そこに目が行きがちではあるが、この問題は原発のみに限らないのだと思う。世の中に溢れている文書はなぜ分かりづらいのか、なぜ議論は噛み合わないのか、そんなことを考える際の一助になりそうな一冊である。