昨今の「維新流行」はいったい何なのだろうか。政権交代からTPP、政治家の自己アピールまで、なにかと言えば平成維新だ、平成の開国だ、奇兵隊だ龍馬だと、幕末・維新期になぞらえる。江戸時代は由らしむべし、知らしむべからずの封建的・圧政的時代であり、「鎖国」によって激動する世界史の流れにも目を瞑った時代。それを打ち破ったのが明治維新であり、近代国家日本の夜明け、日本の青春であるという、いわば「維新史観」が厳然と根を張っていているらしい。だがそれは、維新になぞらえてしまえばもうそれ以上深く考える必要もないという、思考停止の作用を働かせてはいないだろうか。維新=善であると。言うまでもなく、維新とは政権を奪取した側が権力闘争と内戦の勝利を「御一新」と呼び、やがて「維新」と呼んだに過ぎず、そもそも善と悪という基準で判断するようなことではない。歴史の流れに「以前と以後」という断層を安易に設定してしまうことに「危うさ」や「つまらなさ」を感じるのだ。
さて、とすれば「江戸時代」とは、実はいかなる時代であったのかという興味をあらためて持たざるをえない。260余年にわたる徳川政権下で政治的に無力だった朝廷は、いかにしてその命脈を保ち、幕末に急浮上したのだろう。私には知らないことが多すぎる……。
「江戸時代の天皇」と聞いて、何を想像するだろうか?
幕府に押し込められて逼迫を余儀なくされ続け、それがついに“討幕”によって政治の表舞台に返り咲く…そんなイメージを持っている方も少なくないと思う。歴史の片隅に追いやられ、のちには担ぎだされという、少々「あなたまかせ」のイメージである。だが後水尾天皇以来、徳川将軍家の政権いわゆる「幕府」と「朝廷」とは、時に激しくせめぎあい、一方では協調し合いながら、そのときどきの天皇による「朝儀再興」にかける執念を契機として、次第に「皇国」意識が育ってきたのだというのが、著者の考えだ。本書を読んでいると、江戸時代の朝幕間の関係性が実に複雑で、引き込まれる。単純な敵対関係ではなく、ある種の依存関係であるともいえる。緊張を孕みながら、それぞれの思惑にもとづき最大限に利用しようと駆け引きに力を尽くす。公家は権威、武家は権力というが、南北朝期や応仁文明の乱以降、祭祀や朝儀は衰退し、朝廷の権威は地に堕ちていた。その再興は、長期にわたる武家政権による社会的な安定と、経済的支援があってこそなし得たものだった。朝廷の権威を利用しながら(利用しやすいように権威を高めながら)、財布の紐を締めたり緩めたりすることでその運営は統制しようとする幕府。幕府の思惑を利用しながら国王・君主としての権威を再興しようとする朝廷の強い皇統意識。本書には朝幕のバランスの揺らぎが実にスリリングに描かれている。
朝儀とは単なる年中行事ではなく、国家的儀式・儀礼のことであり、まさに天皇の権威の根幹ともいえるものなのだが、実は江戸時代以前に、それらの多くが中絶してしまっていたことには驚いた。二百年、三百年と行われなくなっていた朝儀が数多くあったのである。零落していた朝廷は、おもに財政的な理由でさまざまな朝儀を行えなくなり、それらはやがて跡形もなくなって、再興しようにもわけがわからなくなってさえいたという。最も重要な神事である大嘗祭すら十五世紀後半に財政上の理由から行われなくなっており、二百数十年中絶ののち、1687年、霊元天皇が譲位し東山天皇が即位する際にようやく再興した。幕府とのぎりぎりの予算交渉。失われた古記録・古典籍・有職故実の収集と研究。制約が多い中で不備なかたちでの再興となってしまったことにより朝廷内に生まれた深い亀裂。まさに苦闘の歴史である。
本書では、「禁中並びに公家諸法度」以来の、朝幕間の取り決めについても実に詳細に書かれているが、天皇(朝廷)のいわゆる権威のよりどころであった改元や暦の制定、そして官位の昇任についての、朝廷と幕府との間の決定システムも本当に面白い。
最も読み応えのあるところは、光格天皇について書かれた第五章だ。閑院宮家という傍系から半ば偶然、践祚することになった光格帝が、どのように朝廷の権威を権力としていこうと模索してきたかが生き生きと描かれており、物語を読むようである。(岩波の『天皇・皇室辞典』は明治維新以前のページが少なく、項目を立てて記述されている天皇もたったの三人しかいないのだが、そのうちの一人が光格天皇で、記述者は本書の著者の藤田覚氏であるのを“発見”して嬉しくなってしまった)。
孝明天皇、明治天皇そして今上天皇にいたる皇統は、すべて閑院宮家の血筋である。激しい時代を生き抜いてきた閑院宮家統に、歴史の運命を感じる。
ところで、本書の中ではサラリと触れられているのだが、「御所千度参り」の項に「おっ!」となった。天明の大飢饉のとき、江戸、大阪をはじめ各地で激しい打ちこわしが起こったが、天皇のお膝元の京都では五万人もの人々が禁裏御所を囲む築地塀の周囲をぐるぐる廻り、南門で拝礼して祈願する「千度参り」をしたのだ。他の大都市では打ちこわし。京都だけ千度参り。光格帝が困窮する民のために救い米の放出という救済策を幕府から引き出したことは、天皇が幕府の政務に口を差し挟む前代未聞の出来事であると同時に、その前例となった。のちの「日米通商条約勅許問題」は幕府が政務委任の大原則から逸脱し、政治力を失っていく決定的な出来事なのだが、その種はこのときに蒔かれていたのかもしれない……。
そこで思い出されたのが北方謙三氏の時代小説『余燼』である。江戸の打ちこわしを題材に、その裏側で重層的に交錯した人々の思惑や幕府内の権力の暗闘を描いた物語なのだが、一方では御所千度参りとなれば、こちらの裏側にもなんらかの「蠢き」があったのではないかと想像を逞しくしたくなる。同じく北方氏の『林蔵の貌』の主人公・間宮林蔵も光格帝から仁孝帝の時代に生きた人物だが、本書に描かれた「権威の再興に懸ける朝廷の執念」を知ったうえで読み返すと、これもまたリアリティを増すのである。優れたノンフィクションを読むことで、優れた小説がまた一段と味わい深くなるのも読書の楽しみの一つだ。
本書はこのさき江戸時代に関する本を読むたびに、読み返すことになりそうである。