一見関係のないものを掛け合わせると、思いもよらない新しいものが生まれることがある。本書は「中国現代史」と「トヨタ創業家の歴史」を組み合わせることで、これまでにない角度からトヨタの核心部分を描くことに成功している。
異質なものを掛け合わせるには触媒が必要だが、本書では、ひとりの男性がその役割を務める。男の名は、服部悦雄。”低迷していたトヨタの中国市場を大転換させた立役者”であり、”トヨタを世界一にした元社長、奥田碩を誰よりも知る男”であり、”創業家の御曹司、豊田章男を社長にした男”でもある。そんなキーパーソンへの長時間にわたるインタビューをもとにまとめられたのが本書だ。
この本には読みどころがふたつある。ひとつは、中国現代史の暗部を身をもって体験した服部の貴重な証言。そしてもうひとつは、トヨタと中国との知られざる因縁である。
服部の半生は異色だ。1943年(昭和18年)、旧満州の伊春市生まれ。農林省の官僚だった父親は、終戦後も日本に帰国せず、このため、生まれてから27年間も中国で暮らすとことになった。この間、毛沢東による大躍進運動や文化大革命に巻き込まれ、筆舌に尽くしがたい苦労を味わう。1970年(昭和45年)、ようやく帰国し、「トヨタ自動車販売」に入社。上司だった奥田のもと頭角を現し、のちに「トヨタ中国事務所総代表」として中国市場の開拓を成功に導く。
「あのね、日本人は中国人をわかっていないんだよ。本質をちゃんと見ていないから、中国人のことを、中国共産党のことを見誤るんです。本質がわかっていない」
初めて著者と顔をあわせた飲食店で、服部はそう言いながら、箸袋の裏に何やら書き始めた。そこにはこう書かれていた。
「好 死 不 如 懶 活」
”きれいに死ぬよりも、惨めに生きたほうがまし”という意味で、服部によれば、これこそが中国人の本質だという。潔く切腹するとか、桜のように散るといった発想は中国人にはない。27歳まで中国にいたからこそ見抜ける本質である。だがそれは、服部自身にも当てはまる言葉でもあった。
敗戦後、日本人技術者の多くは、中国共産党から留用を強いられた。国家再建のためにテクノクラートを必要としたからだが、なかには自らの意思で留まる者もいた。森林技官を育成していた服部の父もそのひとりだった。服部が帰国を懇願しても、首を縦に振らなかったという。
おかげで学校ではひどいいじめにあった。苦しさから逃れるには中国人から一目置かれるような成績をおさめるしかなく、服部は勉学に没頭した。だが中国のような国では、いくら優秀な成績をおさめても、それだけで報われるとは限らない。試験の点数という誰が見ても明確な基準のほかに、中国共産党という不透明なモノサシもあるからだ。
毛沢東が引き起こした社会の混乱から服部も逃れることはできなかった。大躍進運動では服部自身も過酷な飢えを経験した。オランダの歴史学者フランク・ディケーターは『毛沢東の大飢饉 史上最も悲惨で破壊的な人災1958-1962』のなかで、大躍進運動による餓死者をおよそ7000万人としている。当時の中国の8人に1人が餓死した計算だ。それほどの飢餓を服部は生き延びたのである。だがその代償は大きく、飢えに苦しむ悪夢をいまだにみるという。
トヨタにとって中国が特別な国であることはあまり知られていない。その関係は戦前にさかのぼる。創設者の豊田佐吉が自動織機を発明したのは1896年のことだった。1918年、「豊田紡織株式会社」を設立した佐吉は、中国へと進出する。アヘン戦争に敗れた中国に列強が我先にと進出していた時代である。当時、自動織機の導入が遅れていたこともあって、中国での事業は佐吉に莫大な富をもたらした。こうして蓄えられた富が、後に自動車製造へと進出する際の礎となった。中国での成功がなければ、いまのトヨタはなかったかもしれない。
だが、中国が経済大国へ駆け上がるタイミングで、トヨタは遅れをとった。1995年に中国の自動車メーカーとの合弁企業をつくるも、車体を製造する認可を受けられず、”部品メーカー”として中国市場でいたずらに時を浪費していた。
中国市場の開拓に本腰を入れた奥田碩は、創業家のひとり息子、豊田章男を責任者として送り込む。奥田は「創業家に生まれたからといって社長になるのはおかしい」という考えの持ち主で、章男を責任者に据えたのも、中国市場での失敗を見越し、後継者失格の烙印を押すための深謀遠慮だった。ところが、服部の活躍によってこの企ては頓挫する。奥田との間に強い絆を持つ服部が、中国側との難しい交渉をとりまとめてみせ、創業家の御曹司のピンチを救うのである。このあたりの人間ドラマはじつに面白い。
本書は、孤独な男たちの物語でもある。
著者がトヨタや自動車業界の関係者から聞いた服部に対する評価は、極端なものだったという。わがまま、勝手、唯我独尊、中国人のようにがめつい、まるで中国人そのもの――。だが、平和な日本でぬくぬくと育ったエリートサラリーマンに、服部のことが理解できるはずもない。服部は生きることが当たり前ではなかった時代の中国を生き延びてきた人間である。自らを「中国人になりきれない中国人で、日本人になりきれない日本人」と評するその言葉には孤独が滲む。
服部が豊田章男への共感を隠さないのも、章男が自分に似て、孤独だからかもしれない。章男はある時、父親の章一郎から常々こう言われて育てられたと服部に打ち明けたという。
「お前に寄ってくる者は、お前が好きで寄ってくるんじゃないぞ。お前の後ろに控えている、”トヨタの看板”に引き寄せられるんだ。だから、簡単に人を信用してはいけない」
トヨタは世界一の自動車メーカーへの足がかりを中国市場でつかんだ。その立役者だった服部は、2018年に会社を去った。その後は生活感のまったくないマンションに独りで暮らし、飢えの悪夢にいまなお苛まれているという。
一方、トヨタの最高権力者として君臨する豊田章男はどうか。報道にいちいち神経を尖らせ、トヨタイムズなどという自社PR媒体に大金をつぎ込む姿は「裸の王様」にしか見えない。内幕小説 「トヨトミ自動車」シリーズの最新作『トヨトミの世襲』に出てくるスキャンダラスなエピソードともつい結びつけたくなってしまう。それが事実かどうかはさておき、この手の話が漏れ伝わってくること自体、内部でモラルハザードが起きていることの証左ではないか。トヨタモビリティ東京、日野自動車、豊田自動織機、ダイハツなど、子会社での不正行為が相次いで発覚しているのは、けっして偶然ではない。
「中国の怪物」と創業家出身の最高権力者。孤独な男たちの目には、トヨタのどんな未来が映っているのだろうか。