熱量の高い一冊だ。読みながらなんども胸が熱くなった。だがこの熱は、著者が抱く強い危機感から発せられたものでもある。
著者は大阪市の中小企業支援拠点「大阪産業創造館」に創業メンバーとして参画しつつ、ビジネス情報誌「Bplatz」初代編集長として多くの経営者を取材してきた経歴を持つ。なぜ、資源もない島国の日本が経済大国になれたのか。この事実がかねてより著者には謎だった。取材を重ねるうちに著者は、日本の競争力の源泉は、長寿企業が数多く存在していることにあるのではないかと気づく。
日本には100年企業が3万社以上もある。これは世界の老舗企業の4割を占める数だ。長く続く企業の経営者に共通するのは、規模の拡大や事業の急成長以上に「会社の存続」を最優先に考えていることだという。会社が存続するには、従業員や取引先を大切にしなければならないし、社会の変化に対応して自分たち自身が変わらなければならない。世間では老舗は保守的で権威的なイメージを持たれているが、実際は逆である。むしろ長寿企業のほうがイノベーティブだという。
ところが、その存続に黄色信号が灯っている。日本企業の99%が中小企業であることはよく知られているが、その9割はファミリービジネス(同族経営)だ。総務省によれば、2025年には社長の64%が70歳以上となり、うち3分の2が後継者不在になるという。年間3万件といわれる廃業のほとんどは、継ぐ人がいない「自然消滅」によるものではないかというのが著者の実感である。このままでは日本経済の発展を支えてきた中小企業の多くがその歴史に幕を下ろさざるを得ない。「事業承継」は待ったなしの社会課題なのだ。
経営者には「始める」人と「引き継ぐ」人の2種類しかいないと著者はいう。わたしたちは「始める」人に注目しがちだ。逆境を乗り越え夢をかなえた億万長者。ゼロからイチを生み出したサクセスストーリーの体現者。創業者に目をひかれるのは、そこにドラマを感じるからだろう。極貧のなかで育ったとか、はじまりは狭いガレージだったとか、成功者にはこの手のエピソードがつきものだ。
一方、「引き継ぐ」人はまったくといっていいほど注目されない。だが本書を読めば、その認識は劇的に変わるはずだ。「引き継ぐ」という行為がこんなにもドラマチックだったとは!取材を通してたくさんの「アトツギ」から話を聞くうちに、著者はそのドラマの面白さに魅せられていく。そんな人間ドラマを集めたら、世にも珍しい「事業承継ノンフィクション」が出来上がった。
本書には6人のアトツギが登場する。事業を継ぎたくて継いだ人はひとりもいない。親が商売をしている家にたまたま生まれた人がほとんど。なかにはプロポーズしたら彼女の父親から結婚を許すかわりに会社を継げといわれて後継者になった人もいる。もちろん全員が経営の素人だ。ところがそんな前のめりではない引継ぎが劇的展開をみせるのだから、人生は面白い。
著者は母校の関西大学で「アトツギ白熱教室」という授業を持っている。主な受講者は親が商売や事業をしている学生だが、そのアトツギ予備軍たちが「一生忘れられない」と口をそろえるのが、アチハ株式会社の阿知波孝明社長の話だという。
アチハは「大型物流」の会社である。大型物流とは、ロケットや風力発電の大型部品、航空部品、電車、橋梁など巨大なものを運ぶ特殊な運送のこと。もともと前身の阿知波組の時代から手がけていた事業だが、4代目の孝明氏が後を継いでからは、国内で役割を終えた電車車両のリユース(売買と海外への運搬)を手がけたり、テーマパークのジェットコースターを運ぶだけでなく、組み立てまで請け負ったり、風力発電も輸送・設置にとどまらず、自らが事業主となって発電事業にも進出するといった挑戦を続けている。でかいものを運ぶ「祖業」から、輸出やエンジニアリング、発電なども手がける商社へ。言い換えれば、下請けから元請けへと会社を大きく変えつつあるのだ。
だが、その道のりは波乱万丈という言葉では足りないくらい苦労の連続だった。大学院卒業を控えたタイミングで実家に呼び戻され、民事再生を考えていると打ち明けられる。父親が弱音を吐く姿にショックを受け、思わず後を継ぐと口にしたものの、家業についてなんの知識もない27歳のアトツギを待っていたのは、支払いの催促に押し寄せる取引先の人々だった。「今月はもう手形はジャンプできない」などと訴えられても、そもそも手形が何かもわからない……。はじまりからもう絶体絶命だった。
その後の紆余曲折はとてもじゃないが要約できないので、ぜひ本を手に取ってほしい。さわりだけ触れておくと、絶体絶命のピンチにあっても、事態を打開するヒントは必ずあるということを本書に教えられた。また、腹をくくって本気で事にのぞむと、不思議と会うべき人と出会えるということも。実体験に裏打ちされたアトツギの言葉は、まっすぐ読む者に届く。
もっとも、本書に登場する全員が再建に成功したわけではない。ひとりだけ、34歳で家業のゼネコンを継いだものの、会社を1円で売却することになってしまった人物が出てくる。本書の最後に置かれたこの苦いドラマはとりわけ心に残る。彼は再建は果たせなかったが、それに優る「経験」という名の宝物を手に入れた。
日本はスタートアップの数が少ないとよくいわれる。たしかにそのとおりだ。だが、それだけをもってしてアニマル・スピリットを欠いているかのように批判するのは間違っている。少なくとも本書に登場するアトツギのやっていることは、ほとんどスタートアップと変わらない。これを著者は「ベンチャー型事業承継」と呼ぶ。
これまで続いてきたものを、新しいものにつくりかえる。あるいは、これまで続いてきたものに新たな価値を付け加え、次の世代へとつないでいく。これだってクリエイティブな挑戦である。むしろ日本が誇るべき「強み」はこちらのほうかもしれない。
「ユニコーン企業(評価額が10億ドルを超える未上場のスタートアップ)が1社生まれるより、家業のビジネスを10倍に伸ばせるアトツギが1000人誕生したほうが、日本はきっと豊かになる」という著者の言葉が胸に響く。
日本が経済大国への階段を駆け上がっていたころ、人々には希望があった。「昨日よりも明日のほうがきっと良くなる」という希望である。その後、30年を超える停滞を経て、社会から希望の物語はすっかり失われてしまった。わたしたちはいつの間にか下を向くことに慣れてしまった。
本書には、わたしたちが見失ってしまった希望の物語が描かれている。ただしそれは、かつてと同じような「明日はきっと良くなる」類いの物語ではない。明日もあさっても冴えない毎日が続くかもしれない。簡単に事態が好転することはないかもしれない。だが、たとえどんなに向かい風が吹いていようが、俯かず、前を向く人々の物語がここにある。それはこれまでになかった新しい物語だ。
新しい希望の物語にヒーローは登場しない。たまたまアトツギとして生まれたごく普通の人が、悩み、あがき、だがある時点で覚悟を決め、マイナスの状況を少しずつ変えていく――。
この本を読み終えた時に初めて、自分が長い間、そんな物語を待ち望んでいたことに気づいた。