う~ん、あかんがな。読み始めてすぐにそう思った。エッセイとは本来こういうものを言うのだろう。う~ん。なにがあかんか、まずはその話から。
最相葉月さんといえば、押しも押されもせぬノンフィクションライターだ。『絶対音感』を読んだ時の衝撃-テーマへの迫り方の凄さ-は今でもよく覚えている。それだけではなく、エッセイの名手でもある。
ずいぶんと前になるが、「我が心の町 大阪君のこと」を、記憶が正しければ文藝春秋の巻頭エッセイで、読んだ。このエッセイが元になって、後年、真中瞳主演の映画「ココニイルコト」が作られたほどだから、大きな広がりを感じたのは私だけではなかったのだ。エッセイの舞台が大阪だったということともあるが、その視線の温かさにすっかりファンになった。
ちなみに、この映画、まだ無名だったころの堺雅人が「大阪君」の役で登場し、「ま、ええんとちゃいますか」というセリフを絶妙にずれた大阪弁で話してるのが最高だった。笑福亭鶴瓶がちょい役で出ているのもいい。ネット配信がされてないようなのが残念だ。話を戻そう。どうして、あかんがなと思ってしまったか。
かくいう私も、この本と同じくミシマ社から『仲野教授の 笑う門には病なし!』という「エッセイ集」を出している。それどころか、最相さんがほぼ同時期に、これもミシマ社から『辛口サイショーの人生案内DX』を出版されたのをご縁に、リモートだったけれど対談までさせてもらったという楽しい思い出もある。
『母の最終講義』を読み始めてすぐに思ったのは、私ごときが書く雑文をエッセイと呼んでいいのかどうか、という問題である。世間からは自己肯定感が強いと思われているが、最低限の判断力はわきまえているつもりだ。最相さんのをエッセイというならば、私のなどはヘタレのエッセイで「ヘッセイ」、あるいはエッセイもどきの「エセエッセイ」レベルではないか。だから、「う~ん、あかんがな」なのだ。そんなであるから、このエッセイ集のレビューを書くなどとは僭越なことだ。と、わかっていながら紹介したい。
最相さんのお母さんは、50代前半で若年性認知症を発症された。その30年にもおよぶ長い介護の末に、母が教えてくれた、ではない、教えてくれたと最相さんが感じられた内容が、本のタイトル『母の最終講義』をはじめとする思い出話エッセイだ。ご両親ともすでに亡くなられているが、お父さんの話もある。かなりユニークな人だったようだ。
読むのは好きだが、記憶に残っているエッセイというのはそれほど多くはない。エッセイというのはそういうものだという気もするが、単に記憶力が悪いだけなのかもしれない。それでもいつまでも覚えているエッセイだってある。「我が心の町 大阪君のこと」がそうだし、そのタイトルも忘れてしまったのだが、「ココニイルコト」が公開された頃に書かれた最相さんのエッセイもそうだ。
お父上は映画会社で助監督まで勤められた。その父が、「ココニイルコト」のエンドロールに原作者として出てくる娘の名前を見た時、どんな気持ちだったろうかという内容である(間違えていたらゴメンナサイ)。なんと優しいんだ。どんなお父さんだったのかとずっと気になっていた。今回のエッセイ集で人となりを垣間見て、若い頃にすれ違っただけの人に出会えたような気がしてうれしかった。
この本のエッセイ、ご両親のことだけでなく、内容はとても多岐にわたる。すぐれたエッセイストの第一条件は、いろいろなテーマについて書けること、言いかえると、いろいろなことに思いを馳せられることではないだろうか。両親の介護や看取り、コロナのことなどが最初の二章だ。第三章のタイトルは『相対音感』、これにそそられない最相ファンなどおりはしまい。以後、バイオミミクリー、Hela細胞、ひとり旅にカプセルホテル、ヤングケアラー、いまではすっかり見かけなくなった婚礼家具。どんだけ縦横無尽やねん。
いいエッセイってなんだろう。まずは文章がうまくなければならない。それも、シャープでありながら柔らかくあってほしい。桂枝雀の「笑いの定義」ではないけれど、緊張と緩和も必要だ。最相さんのエッセイはどれも満たしている。そのうえ、ところどころでかまされる捨て台詞みたいなものに笑えるし、時には経験に基づいた社会への提言もおこなわれている。
「ヘッセイスト」としては、いやなことを言う人だと思わざるをえないが、かの井上ひさしは「すべてのエッセイは自慢話である」と語ったそうだ。だが、このエッセイ集を読まれれば「ほとんどのエッセイは」と意見を変えられるに違いない。
読み進めながら、最相さんと対話しているような気持ちになっていった。優れたエッセイとは、単に内容を伝えるだけでなく、そのことによって、読み手の記憶を呼び覚まし、感情を揺さぶることができるものではなかろうか。さして長い本ではないが、あぁそういえばこんなことがと、思いにふけることが何度もあった。たとえば、認知症の母親を見舞われた時の話だ。
私が帰り支度をしていると、母はいつも「どこへ帰るの」と聞く。母から見れば、私は突然扉の向こうから現れ、扉の向こうへ消える存在だ。私が家で料理したり仕事したりする姿を想像することはできない
同居していた我が母は、認知症になってから、家の中で顔を合わせるたびに「おかえり。ご飯たべたか?」と訊いてきた。一日に何度も問われたりするので鬱陶しかったが、母からすれば、何十年もの間、「外で何をしているかを想像することはできない」で、「家に帰ってくるのを待ち、帰ってきたらご飯を食べさせてやる存在」だったのだろう。ここを読んだ時、もっと親孝行できたのかもと目を泳がせた。そんな「親孝行」についてのエッセイ(と言っていいのか)を書いたことがあるので、ご興味のある方はお読みいただきたい。
自分のことを書くとき、どこまでさらけ出すのか、というのは悩ましいものだ。『セラピスト』の時もそうだったが、最相さんはエッセイでも相当に踏み込んで書かれている。このエッセイ集、内容には重いものもあるけれど、そうとは感じさせない。それこそ力量のなせる技だろう。比べること自体が間違えてるやろと言われそうだが、どこをとっても脱帽の一冊だった。
心理療法をめぐる本。発売当時にレビューしました。
拙「ヘッセイ」集であります。
近日発売! 『母の最終講義』と同じ編集者さんであります。