ときは第二次世界大戦、ところは北アフリカ戦線。イギリス軍の前に立ちはだかったのは、「砂漠の狐」の異名を持つロンメル将軍率いる屈強のナチス・ドイツ軍であった。
そして、ここに愛国心に燃え上がる1人のイギリス紳士が立ち上がった。彼の名はジャスパー・マスケリン。名門奇術一家の出自にして、マジックの名手である。そう、566ページにも及ぶこの長編は、泣く子も黙るロンメルを相手に回しマジックで丁々発止と渡り合ったヤツラがいたという、嘘のような本当の話、一大戦史スペクタクルである。
ジャスパーの下に結成されたカモフラージュ部隊、メンバーも揃いに揃ったクセ者たちだ。有名婦人服デザイナー、画家、デザイナー、彫刻家、動物の擬態を専門とするオックスフォード大学教授、サーカス団のマネジャー、動物学者、美術専門家、舞台装置家、宗教美術の修復士、電気技術者、ステンドグラス職人、雑誌の編集者、漫画家、シュルレアリスムの詩人など、およそ軍隊生活には馴染みそうもない連中が集まった。
これだけの面々が揃っていながら、何もやらかさないワケがない。迫りくるナチス軍・ロンメル将軍の猛攻に対し、まさに”奇”襲で翻弄する。イギリス軍によるバトルアクス作戦の火ぶたが切って落とされると、両軍の勝負は補給戦がカギを握ることになった。イギリス軍の補給の要はアレクサンドリア港。繰り返されるドイツ軍の爆撃をかわすべく、我らがジャスパーに下された任務は「港を丸ごとカモフラージュしろ」という、途方もないものであった。
リアルな港が舞台とは、歴史上最大のマジックステージには違いない。この難題にジャスパーの心は躍った。
「ひとつやってみますか」
自信たっぷり涼しい顔のジャスパーに対し、カモフラージュ部隊の同僚、マジックギャングの面々は気が気ではない。兵舎で丸型ストーブの火を囲み、身を寄せ合いながらの話し合い。しかし良い知恵は全く浮かばない。夜もとっくり更けた頃、堂々巡りの議論の傍ら、一人テーブルで地形測量図と向き合っていたジャスパーがついに閃いたようだ。
「この港は大きすぎる。何かで覆い隠すことも、別のものに見せかけることもできない。消すのも無理だ。だが、ひとつだけ解決策があるだろ?」
(一同無言……)
「移動させるんだよ」
移動って、どうやって???
ここからは今回の種明かし。実は、アレクサンドリア港から沿岸を下ることおよそ1キロ半、地形がそっくりのマリュート湾が存在する。夜間、上空2,400メートルから襲来するドイツ空軍を担いでやろう、アレクサンドリア湾とそっくりな地上照明とダミーの起爆装置を張り巡らせたマリュート湾に誘導しよう、という規格外のトリックだ。
はたしてドイツ空軍は、ダミー港の疑似餌に食いつくのか?
ついに敵は来襲せり。ジャスパーはショー初日の興奮に身体がうずいていた。パワーレバーを叩きつけるように押すと、次の瞬間、アレクサンドリア港が闇に消えた。
「点灯!」
無線で叫ぶとダミー灯台がまぶしい光を放つ。2秒後、ダミー港全体が突如光の中に浮かび上がる。こちらの一斉射撃が始まると、ドイツ空軍編隊長にもう迷っている暇はなかった。闇を指し示す計器より、自分の目を信じるしかない。編隊長に従い、残りの爆撃機も旋回してこっちにやってくる。
これぞ痛快の極み。この瞬間、ドイツ空軍は見事にジャスパーの魔術に陥ったのであった。
その後もカモフラージュ部隊の快進撃は止まらない。戦車をトラックに見せかけ、ゴミの山から軍隊を作り出すなんてのは朝飯前。スエズ運河を消し、折り畳み式潜水艦を開発し、だだっ広い平原で十五万の兵士・千の大砲・千の戦車を隠す、といった離れ業を次々とやってのけていく。
手に汗握るトリックの数々、種も仕掛けもある話。分厚いが首っ引きでガンガン読める一冊である。
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つづいてお約束、関連図書の紹介である。
こちらも読ませる翻訳ノンフィクション。かつてHONZの課題本としても取り上げられた。美術愛好家のみならずサスペンス好きにもおススメの一冊。
『スエズ運河を消せ』と同一の訳者による本格派・翻訳ノンフィクション。グイグイ読ませる、この翻訳者の手腕に拍手。
SF小説ではあるが、「戦場の魔術師」と言えば真っ先に思い浮かぶのがヤン・ウェンリーである。若き帝国の将”常勝の天才”ラインハルト・フォン・ローエングラムとの知略を尽くした戦いは、今もって読み応え十分。そう言えば、ジャスパーのカモフラージュ部隊に負けず劣らず、ヤン艦隊の面々も相当な「クセ者ぞろい」である。